メルロ・ポンティの身体の現象学を通してインスピレーションを受けたものをつづる第二回目は、「内に語りかけるものが貴方を導く」ということを述べたいと思います。
貴方の心の耳に語りかけてくるものがあります。
それは、貴方自身であるかのような言葉です。
また、貴方よりも貴方であるものという意味で、貴方を超えて貴方を生きる主なるものということになります。
貴方よりも高い位置にあることから、それは山などの高い場所を意味し、さらに貴方の身体ということでいうなら、貴方の胸と考えることができます。胸は旨(むね)に通じます。つまり、趣旨ですね。
貴方に必要な事柄は、いつも高いところから下りてくる、というイメージです。
それは、古代より神は天上に住んでいるとか、空のかなたに天国があるということと同じです。
また、古代の日本では、死んだものの魂は山に行くと信じられていました。
沖縄などの島では、海の彼方に死者が行く国があると思われていました。
いずれも、ここの場所ではなく、ここから遠く隔絶された場所に、死者または神が住んでいる、とわたしたち人間は考えていたのですが、わたしたちの身体の中でそういう場所を探すと、それは胸であるということになります。
わたしたちの身体で胸がもっとも世界に近く触れていると同時に、わたし自身からもっとも離れている場所であり、かといえば、心臓というもっとも大事な臓器を抱えている場所なわけです。
そのような意味で、わたしは胸というキーワードを用いたいと思います。
この胸はわたしの趣旨なる場所であり、わたしの主、わたし自身に命ずる場所です。
心のありかをいうとき、胸を指していうのは、なにかわたしたちの命のずっと奥にある必然的なことなのです。
心、つまり胸で感じているものが、わたしの内なる耳に語りかけ、わたしをあるべき方へと導くと、考えられてきたのです。
これをわたしは胸の思想と名づけることにします。
貴方がよく使っている言葉で表現するなら、「心」、「ハート」です。
貴方の心(胸)に導かれた貴方の思索は、貴方がどれだけ自身があるべきものを生きているか思索をめぐらせているのです。
また、より高みへ、また彼方へと貴方を導くものを求めます。
貴方が荘厳だったり、崇高なものに引かれるのは、貴方の中の心がそれを求めるからです。
そして、そうした荘厳だったり、崇高なものをより聞くための耳を、貴方は獲得しようとしてきたのです。
つまり、感性を養ってきたのです。
貴方が聡くあろうとするのは、まさに貴方をより高みへ、また彼方へと導くための、荘厳だったり、崇高なものから語りかけられるものを聞き分け、受け止める感性を養おうとするからなのです。
そこに美というものが生まれる。
しかし美はなにか独立した普遍的な存在を指すのではなく、荘厳だったり、崇高なものを感じ取ること、そこから語りかけられる言葉を聞きとめること全体を、言い表した言葉なのです。
※本日は引越しでパソコンが使えなくなるため、夜のペタは中止します。明日は、未来投稿を予定しています。