今回から特別に、20世紀の思想家メルロ・ポンティを通して感じたものを、7回にわたって述べていきたいと思います。
メルロ・ポンティは身体の現象学者として知られるフランスの哲学者です。
これまで、この哲学ブログでは、この現象学者について、あえて触れてきませんでした。
なぜ触れてこなかったかといえば、この哲学ブログがメルロ・ポンティの手法に、多くの部分で重なったものだからです。
この哲学ブログそのものが、メルロ・ポンティの思索の延長上にあるといってもいいところがあるのです。
彼は、哲学がデカルト以来、身体と精神とを分けて論じてきたことを批判し、思考は、身体と精神とが分かたれずに発せられたものであるということを主張しました。
貴方が思うのは、貴方のからだと密接不可分な心が思ったのであって、貴方のからだと不可分な心が思ったことが、貴方の考え、そして、貴方の存在を作り上げているのです。
たとえば、貴方の血が貴方の思索に及ぼすものを考えてみます。
貴方のからだを流れる血は、それが息づいている場所が、貴方が生きられている場所である、と貴方に語りかけるのです。
逆に、貴方の血であるものが息づいてない場所は、貴方が生きられない場所であると、貴方に警告します。
これをわたしは血の思想と名づけます。
貴方の血にとらわれた貴方の思索は、貴方がどれだけ息づいていることができるかで、貴方と貴方のまわりのものについて思索をめぐらせます。
簡単なことばで表現するなら、元気でいられるか、ということです。
また、自分を元気に息づかせる潤滑油であるものを持つこと。
これはとても大事なことでしょう。
自分が元気でいられないのなら、そこは貴方にとってふさわしい場所だとは言えないのです。
このように、貴方の思索は、貴方のからだに基づいているのです。
これから、あと6回にわたり、さらに貴方の身体と精神の思想を語ってゆきたいと思います。