互いに対等なものどうしを生き合う 第44回 聖フランチェスコ その七 味わうことと生きること | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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世界とは、貴方について書かれた書物である。

 聖フランチェスコにインスピレーションを受けて(ニーチェを取り入れながら)、世界と貴方の隣人をよりよく生きることを述べる、このシリーズの最後を締めくくるのは、「貴方と、世界と貴方の隣人とは、互いをあまねく味わう」です。


 聖フランチェスコは、この「味わう」という一語に尽きる気がします。




 貴方は世界を味わう。


 それは、しかし貴方もまた、世界から味わわれることでもある。


 貴方は、貴方の隣人を味わう。


 すると、貴方もまた、貴方の隣人から味わわれている。


 世界とか貴方の隣人というのは、まさに、この味わい合われる関係にあるといえる。




 味わわれるのは、貴方がどのように生きたかということです。


 貴方が、貴方の世界や、貴方の隣人とどのようにかかわり生きたかということです。


 貴方が、貴方の世界や、貴方の隣人と、ある意味を持ってかかわり合われている、まさにそのことこそが、味わい合われていることの中身です。




 心地よいかかわり方は、甘美な味がします。


 いつまでもそれを味わっていたいと思います。


 逆に、ぎすぎすとしたかかわり方は、苦い味がします。


 そこから早く立ち去りたいと思うでしょう。


 そして、さきほどの苦さを忘れるために口直しをしたものにほっとし、それが普段口にしていたときよりも、とてもおいしく感じられたり。


 好き嫌いというは、じつは、そうした味覚の問題なのかもしれません。人生の味覚。



 

 居心地のよくない関係は、互いの味覚をおかしくします。


 ときに味覚障害を引き起こすこともあったりするかもしれません。


 人情の機微が分からなくなったり。


 自分って、なんだっけ、となったり。


 つまり、貴方の生き方をゆがめてしまう。


 それは、貴方にとって、あまりいいことではありません。


 人間関係で職場を離れるというのは、じつはそういうところを敏感に感じ取ったものだといえるでしょう。


 よくない人間関係を続けていると、貴方の生き方までおかしくなっていきます。


 味覚障害を起こします。




 貴方が考える、貴方の生きる世界について考えてみましょう。


 貴方は、貴方の生きる世界について、勝手に、なにか道理のゆかない、おかしな解釈を加えていたりしてはいませんか。


 もしそうなら、貴方の味覚はおかしくなっているということです。


 人工添加物を大量に含んだ食べ物を食べ続けてきた結果です。


 添加物を含まない、自然の恵みをそのまま食べてみてください。


 ほっとしませんか。


 それとも、なにか味が足りない気がするでしょうか。


 もし自然のあるがままの味が分からなかったら、貴方は、自分の味覚が害されていると思ってみてください。


 貴方には、自然のあるがままの味、人工ではない、命の味を感じて欲しいと思います。


 あるがままの命の味に出会った貴方は、自然の賜物に感謝するでしょう。



 世界には価値や意味などないとか、自分以外のものは自分が作り出したものだとか、隣人は存在しないとか、そうしたものは、人生に対して味覚障害を起こしているものかもしれない、とわたしはいま思っています。


 化学調味料で、すっかり舌を麻痺させてしまった結果だと考えています。(化学調味料での「化学」が言い得て妙ですが)


 自分や身の回りに対して、味音痴に陥っているのです。



 

 世界や、貴方の隣人は、貴方が思っているよりも、はるかに味わい深い場所です。


 そうして、そうした世界や、貴方の隣人から、貴方は、貴方の思っている以上に、はるかに地味深く、味わわれているのです。



 次回は、この世界の意味を、フッサールの現象学を通して、さらに深めていきたいと思います。