今回は、ドイツの詩人ゲーテの「ファウスト」について述べさせていただきます。
ゲーテの「ファウスト」の中の一節です。
「とまれ、おまえは、いかにも美しい」
これは、この時よ止まれ、この世界はなんと美しいであろう、ということです。
悪魔メフィストフェレースに死んだら魂をやる代わりに、さまざまな人生を可能性を生きることを求めたファウスト。
人生は結果から見ると、みな挫折の繰り返しでした。
けれど、そこに全力で取り組み、精一杯自分の人生を生きたことこそ、とても大事なのです。
上にあげた言葉は、ファウストがまさに絶命する際に発した言葉です。
つまり、いよいよメフィストフェレースとの約束を果たす直前に、ファウストの胸中にあらわれた一句なのです。
結果が大事なのではない。
どのように自分の人生を生ききったか、である。
ファウストは、自分が生ききった人生に対して、おまえはいかにも美しい、と賛辞を送ったのです。
美しい人生、それは、その人自身が最大限に発揮された人生です。
それは、貴方が生きようと意志することで得られることです。
メフィストフェレースとは、貴方が自分の人生を生きるのだ、という貴方の意志が人格を与えられたものだ、と考えられないこともないような気がします。
現に、ゲーテは、ファウストとメフィストフェレースの約束を反故にしてしまうのです。
それは、天国なるものの代表である、マルガレーテ(グレーテヒェン)の魂によって救済されることによって。
マルガレーテとは、ファウストが求めてきた人生の意味なのだ、と理解すれば、このファウストの救済のくだりはわかるような気がします。
人生の意味とは、いかに自分の人生を生きるか、ということなのだ、ということです。
その答えが、マルガレーテによる、ファウストの救済です。
救済は、ファウストが生ききった人生そのものが、ファウストの魂を包み込むように実行されます。
つまり、貴方が生きた人生は、貴方の外部、貴方を包む貴方自身である、ということです。
わたしは、それを、貴方の「皮膚」であるもの、という言葉を用いて、表します。
貴方の「皮膚」であるものは、貴方の人生の意味であり、価値であるものです。
それは、自己満足というのとはちょっと意味合いが異なります。
ある客観的な普遍性をもった人生です。
自分から見ることができるし、自分以外のものからも見ることができるもの、といったらいいのでしょうか。
貴方と貴方の隣人とが共有する、貴方であるものです。
貴方の皮膚であるものは、貴方に向かって、「よくがんばった」とか、「大丈夫だ」とか、語り掛けています。
そうして、貴方が自分の人生を生き切ったとき、このように、貴方にいうのです。
「おまえは、いかにも美しい」
自分の人生を生き切ったものは、美しい。
貴方もまた、貴方の人生に向かって言うのです。
「おまえは、いかにも美しい」
時は流れる。しかし、貴方のこの今というのは、この一瞬だけであって、二度と生きることはできません。
貴方は、二度とないこの一瞬を、このような言葉で締めくくるのです。
「おまえは、いかにも美しい」
そういって、ファウストは息絶えるわけですが、わたしは、それに続くとしたら、こういう言葉なのだと思います。
「わたしは、何度と、おまえを繰り返し生きることだろう」
自分の人生は、何度も生きたい。
そのように思える人生は、素敵だとは思いませんか。
できるのです。
貴方が意志さえすれば。
貴方がよりよく生きたいと、強く思えば、いいのです。
すると、貴方の人生の方から、貴方をよりよく生きるのにふさわしい場所へと導くでしょう。
メフィストフェレースがファウストの前に訪れたように。
自分の人生に対して、よりよく生きたい、という意志を持つこと。
結果ではなく、そのプロセスを大事にする。
結果など、じつに大したことはないのです。
人生に深みを与えるものは、そのプロセスにあるのです。
貴方がいかに悩み、苦しんだか。
それが、結果にとらわれない、前向きの人生ならば、貴方の悩み多き人生は、きらきらと輝いたものになるでしょう。
反対に、結果にとらわれた、後ろ向きの人生ならば、貴方の人生は、暗くよどんだもので終わってしまうことでしょう。
どんなに失敗を繰り返しても、貴方がいつも前向きだったことが、貴方を救います。
ファウストが、マルガレーテの魂に導かれて、天国に行くように。