反対のものから支えられている。
たとえば、貴方が耐えてきた苦しみの経験が、自信となって、どんな苦しみにも耐える今の貴方を支えている。
イエスが、「なんじの隣人を愛せよ」といったのは、貴方の反対者が、貴方の恩人であることを言っているのではないでしょうか。
貴方の反対者がいなければ、貴方は、より貴方であるものを生きることはできなかったからです。
自分を成長させてくれた貴方の反対者は、貴方にとってとてもありがたい存在だということになります。
また、今貴方にとってつらいことが、その後の貴方を支えるものになることがあります。
要は考えようで、同じ事柄で、それを楽観的に考えることができれば、そういう楽観的な人生を送ることができるし、悲観的に考えれば、どこまでも悲観的な人生が続くことになるというわけです。
反対のものから支えられていることの中で、憎しみが支えとなっている場合があります。
憎しみが喪失感を埋め合わせる原動力になっている。
憎しみによって支えられた貴方は、憎しみを維持することで自分を支えていこうとします。
ただ、それは、貴方を少しも成長させません。
なぜなら、それは間違った選択だからです。
喪失感を埋め合わせているように見えていることは、じつは少しも埋め合わせなどしていない。
貴方の喪失感から目を遠ざけさせているだけで、少しも貴方の喪失感を埋め合わせてはいないのです。
貴方は、貴方を支えている憎しみを静かに見つめ、貴方の喪失感の真の反対者であるものから支えられなければなりません。
貴方の喪失感の真の反対者とは、愛です。
貴方は、憎しみではなく、貴方の喪失感(それは愛の喪失なのです)の真の反対者である愛によって支えられるべきなのです。
また、わたしたちの国の政治は、反~という思想によって動かされてきたというのが、率直の感想です。
自民党は、アンチ共産党であることで、国民の支持を受けてきた部分が大きいのではないか。
かつての社会党は、反自民ということで国民から一定の支持を得ていました。
自民党に票を入れたくないから社会党に入れよう、ということです。
アンチであること。とにかくアンチなら、それでよし、と、肝心の政治の中身は二の次というわけです。
同じ左翼でも、共産党でなければいいということで社会党に票を入れる。そのまた逆も。
今は、民主党でなければいいとか、それでも自民党だけはいやだ、という、いったいなにの反で、なにの反との間で揺れ動いているのだろう、と、国民不在の政治状況が続いています。
自分がなにに支えられているのか、それをしっかりと見つめることが大切です。
アンチのためのアンチなら、それに支えられることはとても空虚なことだと気づくべきです。
貴方がよりよく生きるための真の反対者は、どうであるべきかをよく考えてみるべきでしょう。
貴方にとっての真の反対者とは、貴方がよりよく生きるための支えとなるものです。