マルティン・ルターが行った宗教改革とは、貴方と神の間をじかに結ぶ運動であったということができます。
これを、貴方と、貴方の隣人との関係、すなわち互いに対等なものどうしの絆についても、当てはめて考えようというのが、これから七回にわたって述べる「互いに対等なものどうしを生き合う」のルター編です。
キリスト教世界において貴方と神との関係が、教会によって取り持たれなければならないとされていたように、貴方と世界との関係もまた、世俗権力の手にゆだねられていました。
教会からの自由だけでなく、この世俗権力からの解放をも目指した宗教改革者が、ルターのライバルであるミュンツァーです(農民の武装蜂起を指揮しましたが、旧教側と、新教を受け入れた諸侯と手を組んだルター派の双方から攻撃を受けて、壊滅しました)。
さて、世俗権力、すなわち政治的および文化的権威たちは、貴方が世界をどのように生きるかを決めてきました。
このことは、じつはキリスト教世界に限らず、政治的および文化的権威がいる世界に共通のことです。
貴方は、政治的および文化的権威を介することによって世界を生きることを求められてきたのです。
けれど、貴方は、もともと世界からじかに生きられた存在なのです。
政治的および文化的権威などなくても、貴方は世界からじかに生きられているのです。
ただ、貴方と世界とを隔てるものが、貴方が世界からじかに生きられていることを気づかせないようにしてきたのです。
それはどうしてか。
貴方の存在が、それまで築き上げてきた政治的文化的秩序を破壊する恐れがあるからです。
ルターはそのどちらとも行きかねる境目で逡巡していたというべきかもしれません。
では、さらに進んで、貴方がじかに世界から生きられている理由について考えましょう。
それは、世界が、貴方を必要としている、ということです。
世界は、貴方によって生きられるべきものなのです。
そして、貴方は、世界から生きられなければならない。
世界は貴方のからだであり、貴方は世界の心なのです。
貴方ほど重いものはなく、世界全体が一つになったのと同じくらいの重さを持っているのです。
貴方がなければ世界は存在することはできません。
そのくらいに、貴方の存在は重いのです。
政治的文化的権威たちは、そのことを知っていたから、貴方が世界とじかに交わらない仕組みを作り上げてきたのです。
また、貴方が貴方の隣人とじかに交わらない仕組みを作り上げてきたのです。
むろん、貴方は貴方の隣人の存在の重さについても、おもんばからなければなりません。
貴方の隣人もまた、世界全体が一つになったのと同じくらいに重いのだということを。
ただ、この場合、貴方にとっては貴方の隣人は、貴方よりもほんのわずかだけ軽いということを知っておかなければなりません。
そのほんのわずかだけとは、自己愛の分です。
自己愛の分だけ、貴方自身の方が重いのです。
自己愛は、自分を大切に思うということです。
自分を大切にすることができなれば、他人を大切にすることはできないとは、よく言われていることです。
そうして貴方は、貴方が世界から重く生きられているように、貴方の隣人を重く生きなければなりません。
それは、貴方が貴方の隣人から重く生きられるために、です。
貴方と貴方の隣人とは、互いを重く生き合うのです。
互いを重く生き合うことで、貴方と貴方の隣人とは、世界全体と同じくらい、またはそれよりも重い自身の重さを生きるのです。