自然の状態は、万人に対する万人の闘争状態であるが、この万人に対する万人の闘争状態を終結させるために、国家というものが作られたとして、国家の起源とその意義を説いたのがイギリスのトマス・ホッブズです。
わたしたちはなにかの縛りがあるからこそ、ある程度の自由を手に入れることができる。
この縛りがないと、わたしたちは、互いの自由を奪い合うことになる。
ある程度の縛りが、わたしたちが互いの自由を奪い合うことを防いでいる。
互いがよりよく生き合うためのルールを、わたしたちは長い時間をかけて求め続けてきた──。
つまり国家とは、わたしたちがよりよく生きるために作り出した生活の知恵なのだ。
そして、よりよく生きるためにわたしたちが作り出した国家は、完成ということがなく、どこまでも発展途上のものということが言えます。
よりよく互いが生き合うために、わたしたちは、わたしたちが望む国家をつねに作り続けていかなければならないのです。
国家を哲学の問題として深めたという点で、トマス・ホッブズの功績は大きいかもしれません。
それは、どのような政体を持つ国家においても普遍的であるように思われます。
ならば専制主義の国家もそうか、と貴方は問われるかもしれません。
専制君主の統治する国家も、基本においては、専制君主を持つことで、国民が一つにまとまった国家ということが言えます。
民主主義に慣れ親しんでいるわたしたちには、専制政体はなにか国民に対して抑圧的な感じがあり、民主主義よりも劣った政治体制として、あまり支持する気持ちになれませんが。
また、どのような政治体制においても、国家を重く考えるあまり、個人よりも国家を重視し、個人は国家に奉仕しなければならない、とする国家至上主義に陥らないように注意する必要があります。
個人がよりよく生きるために創造されたのが国家であり、個人が国家のために働くというのは本末転倒です。
もっともどのように考えられた国家でも、完璧ということはないことを考えてみるべきです。
わたしたちが作った国家が、わたしたちに対して不利益に働くこともあります。
わたしたちは、よりよく生き合うために、ときに自分たちを抑圧する方向に動くことがある。
互いがよりよく生き合うための自己犠牲が奨励される社会です。
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プロメテウス。
「貴方がた人間は、貴方がたをとらえるものから解き放たれるために、新たに自身の手で自身をおさめるものとして国家を創造した。
それは完全なものではない。
それがゆえに、ときに貴方がた自身を貴方がたの国家社会の契約以上に損なうことがあった。
けれでも、ときに過ちながらも、貴方がた人間は、互いをよりよく生きる術を国家というものを通して実現してきたのである。
互いに対等なものどうしの絆に基づく限り、それは、どんなものよりも強く、貴方がたを支えるであろう。」
※最後、急ぎました。では、また。