日常的にわたしたちが物事を考えるときに障害となっている、イドラの二番目は、洞窟のイドラです。
それは、狭い自分の世界でもって世の中を見るということです。別の言葉でいえば、「井の中のかわず」。
自分の見方には限界があることを自覚し、自分の世界から一歩外に踏み出すこと。
そうすれば、貴方は、より広い視野を獲得し、貴方の世界を超えた世界を知ることができる──。
これは、貴方を超えて貴方を生きる、貴方の自分であるものが貴方に示す啓示です。
より世界を知るためには、貴方は、貴方の世界を飛び出し、貴方を超えて貴方を生きる、貴方の自分であるものに導かれ、互いに対等なものどうしが生きられる一なる原理世界を生きなければならない。
このように貴方の生を一元的な原理に基づかせようとするものに対して、わたしは異議をさしはさまざるを得ません。
貴方が生きられている世界は、貴方が生きられている以上のものではありません。
ということは、「井の中のかわず」こそ、貴方の正常な生の姿なのです。
自分が生きられている以上には、なにものも生きることはできないのです。
しかし、そこにこそ、生の真実があるように思います。
すなわち、貴方が生きられている世界が、貴方がそのように貴方が生きられるように創造したものとするならば、このようにいうことができます。
貴方は、貴方が生きられる世界を、貴方が生きたいように創造することができる──。
ただ、それは貴方一人が生きる世界であって、貴方は、貴方一人の世界を貴方の隣人に対して強いることはできません。
貴方は、貴方自身がそうであるように、貴方の隣人が生きる世界を尊重しなければならないでしょう。
お互いの世界を尊重しあうことによって、互いは互いをより生き合うことができるのです。
互いをより生き合うとは、一つの世界を生きることではないのです。
それは、互いを思いやり、尊重し合う、ということに尽きます。
それぞれの世界が共存している、多元的世界というべきかもしれません(ライプニッツのモナドを思い浮かべてもいいでしょう)。
貴方が、相手の世界を尊重すれば、貴方の世界もまた、相手から尊重されます。
また、貴方の世界が限られたものであるゆえに、貴方は貴方の隣人と交わることを通して、貴方の世界の限界を超えて、貴方の世界を充実させることになるのです。
ただ、貴方は、自分の世界が限られたものであることを自覚することが必要です。
さらに貴方と貴方の隣人とは、互いの世界の尊重を超えて、互いの世界をより充実したものにすることに努め合うことになるでしょう。
これこそが、互いをより生き合うということの中身です。
じつは、互いの世界がつながりあって、互いを超えた世界が作られているのです(多元的世界)。
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プロメテウス、自分と隣人の世界を越境してくる人間のからだたちを思いやる言葉。
「貴方がたは、互いの世界を尊重しあうために、自分の世界を超えでてきた。
しかし、それは正しいことではない。
貴方がたは、自分の世界がとても限りあることをもっと味わわなければならない。
そうして、相手の世界を自分の世界と同じように限りあるものとして味わうべきである。
それでこそ、貴方がたは互いをよりよく味わい合うことができる。
しかし、貴方がたが、貴方がたを超えた世界を生きようとすればするほど、貴方がたは自分の意思に反して互いを損ないあうことになるのである。
それは、貴方がたが、互いを尊重するいとまもなく、ただ貴方がたを超えた世界にのみ従わせられるからである。
貴方がたは、貴方がたを超えた世界の原理にしたがうより先に、互いの限りある世界を尊重し合わなければならない。
互いの限りある世界を尊重し合うことができて、はじめて、互いを超えた世界をおのおのがよりよく生きるための場所として、主体的に生きることができるのである。」