前回、誤解を招くような、むずかしいことを書きました。
そこで言いたかったことは、貴方のヒューマニズムを否定することではありません。
貴方は、貴方の人に対する思いやりを持ち続けてください。
わたしが問題にしているのは、ヒューマニズムが人間を下に見た思想(キリスト教的人間観)に基づくものであり、その目的とするところが神などに対する帰依である場合です。
貴方が持つべきヒューマニズムは、なにかの目的のために人間に情けをかけるようなものではなく、純粋に互いに対等なものどうしを生きる、貴方の良心に由来するものであるべきだということです。
自分を超えて自分を生きる、自分であるものから解き離れた、互いに対等なものどうしの絆であるものに基づいて生きることこそが、真のヒューマニズムなのです。
もっともわたしがそう呼ぶところの、「真のヒューマニズム」もまた目的を持っています。
しかしその目的とは、互いに対等なものどうしがより生き合うということです。
この目的のために、貴方は人に対して思いやりを持つのです。
なぜこのようなことを述べるのかといえば、それは、互いに対等なものどうしをより生き合うためのヒューマニズムにおいて、互いを損ない合うことはまったくの矛盾であり、許されないことであるからです。
一方、わたしが否定するのは、人間の解放をうたいながら、そのために人間を損なうことになったとしても厭わない思想です。
互いを思いやるということを語りながら、一方で、誰かを傷つけているようなものは、ヒューマニズムではありません。
ルネサンスとは、神への帰依を前提として、人間性が肯定された時代だったのです。
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ここで、わたしは、ルネサンスより前の中世という時代にさかのぼり、互いに対等なものどうしをより生き合うことをテーマとする、第三ステージの幕を上げたいと思います。
中世という時代は、ルネサンス以降の人間中心の時代とはかなり様相の異なる時代です。
長らく、ルネサンス以降が人間性肯定の時代、ルネサンスの前の中世は人間性がことごとく否定された、人間性の暗黒の時代と言われてきました。
しかし、昨今、これに対して疑念を抱く見解が提出されてくるようになりました。
まず、中世はルネサンスを思想的に準備した時代なのではないか、という見方です。
ホイジンガという人の「中世の秋」という書物が、わたしたちの目を中世という時代に向かわせました。
秋とは、実りの季節のメタファーです。
つまり、思想的な実りが中世において行われ、その果実を味わいだしたのが、ルネサンスという時代だった。
じつは中世は実り豊かな時代だった、ということです。
また、およそ一千年に及ぶ中世の中で、何度かルネサンス的なものがありました。
中でも取り上げられることが多いのが、カロリング・ルネサンスです。
これは、フランク王カール大帝(フランク王 768年 - 814年、西ローマ皇帝 800年 - 814年)がキリスト教に基づく支配体制を強固にするために教育の充実を目的に行った文化振興の時代で、カールの死後も続きました。
この時代に活躍したのが、第一ステージで取り上げた、エリウゲナです。
彼の思想は、むろん神についてのものですが、彼の神をそのまま、貴方の隣人について当てはめると、素敵なことが起こるのです。
第一ステージ「貴方と、貴方の同胞についての神学 第三章 限られなきからだ」、エリウゲナの章で、わたしは、このように書いています。
「エリウゲナは、自然を四つに分類することで、神と人間と、この世界というものを表現しました。
第一は、他のものを創造するが、自らは創造されることのない自然。これは、創造主なる神です。
第二は、創造されるとともに自らもまた他のものを創造する自然。
第三は、なにものも創造せず、ただ創造される、消費される自然。
第四は、なにも創造せず自らも創造されない自然、これは永遠の存在である神自身です。
第一の自然と第四の自然は同じ神の二つの面を表していることになります。
神は、それ自身が他のものを創造する自然と、ただ創造されるだけの自然を創造するとともに、そうした創造行為とはまったく関係なく神自身が存在している。
第二の自然の主となるものは、人間です。
人間は、神から創造されたものであるとともに、自然にかかわり、神にかわって新たな自然を創造するものだからです。
このような神の自然の創造(または非創造)は、貴方の隣人のことを表していると、私は考えます。
ただ、神と自然とが、創造主と被造物という一方的な関係であるのに対して、貴方と貴方の同胞の関係は対等な関係であるところが違います。
すなわち貴方の隣人が、貴方を創造し、貴方から生きられる世界を創造すると、さらに貴方もまた貴方の隣人を創造し、また貴方の隣人自身から生きられる世界を創造し、貴方と貴方の隣人とは、互いを創造し、それぞれから生きられる世界を創造し合うのです。」
次回は、これをさらに推し進めて考えたいと思います。