考え方など大したことではない。 | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 わたしは普段、いろいろな考え方を持った人のブログに触れていますが、わたしの関心事はそれぞれの考え方を発せられているご本人です。


 どんな考え方を発せられようが、本人に興味をもてなければ、わたしは読もうとは思いません。


 わたしが読むのは、その考え方を発せられている本人が魅力的に感じられたからです。


 魅力的に感じた人が、どうしてそのような考え方を持っているのかに、とても関心があります。


 わたしは、どのような物の考え方をするかでは、人を判断しません。


 所詮、考え方というのは、たかが知れています。


 大切なことは、人柄です。


 だから、まったく考え方が反対の人とも、わたしは交わることができます。


 どんなに考え方が素晴らしくても、人柄がよくなければ、その人を支持できません。


 反対に、考え方がどうかという人でも、人柄がよければ、その人を支持したいと思います。




 思い出すのは、三島由紀夫が自決したとき、彼の文壇仲間の多くが彼を批判しました。


 しかし、ただ一人澁澤龍彦氏のみ、こう言いました。


 「友達だろ」


 友達だから、自分は、死んだ彼を悪く言わない。自分は考え方や行動でもって、その人を友達として思ったわけではないのだから。




 もっとも、世の中は、人柄よりも考え方重視です。


 人柄という場合でも、そのじつ、利害的な考え方が入っています。


 政治は利害関係にもとづく考え方による戦いの場です。


 戦争もまた、一人一人は素晴らしいのに、国益とかいう考え方によって、隣人に対する残忍な行為へと人を駆り立てているのです。


 中には、考え方よりも人となりを大切に考える人たちもいますが、こういう人たちをマスコミをはじめ無視してきたことは事実なのではないでしょうか。


 残念なことです。


 考え方で人を損なっている。


 大した考え方でもないのに。


 わたしは、考え方がどうかよりも、その人の人柄を尊重したい。


 もっとも、人を傷つけ、損なう考え方だけは、受け入れることはできないでしょう。




 考え方ということで言うなら、古今東西の思想家、哲学者と言われる人たちというのは、わたしから言わせてもらえば、大したことはありません。


 児戯に等しい。


 中には、すごいという方がいるかもしれませんが、こんなことを言ってとても失礼なのですけど、貴方は毒されています。


 ゲームに夢中になるのと同じです。


 すみません。こんなことを言って。



 さらに現代の思想家に至っては、どれも過去のものの寄せ集めか、焼き直し程度のものばかりですが、ひょっとすると、生きる姿勢というものは学べるかもしれません。


 

 変な書き方で申し訳ないですが、わたしが読みたいのは、まさに生きる姿勢を学ばせてくれるものです。


 それは考え方ではなく、人が考え方を持つことの奥にあるものです。



 心。


 それは、考え方を超えた真の思想なのです。