ブログという性質上、ここで述べていることがなかなか理解されていないのではないか、ということをしばし感じることがあります。
イエスという人間について書き、キリスト教なるものについて述べてはいますが、それらを語ることが目的ではありません。
あくまで、あなたが、「自分を超えて自分を生きるもの」について考えるための手段として、イエスやキリスト教を語っているのです。
ほんとうは、仏教やイスラム教でもかまわないのですが、個人の問題を考えるとき、どうしても没我的なものに縛られるという危惧がわたしにはあります。
それに対して、イエスやキリスト教というのは、宗教であると同時に、人間の学、というところがあるのです。
なかには反論を持たれる方もいるかもしれませんが、仏教やイスラム教では個人がどうしても出てこないのをわたし自身感じています。
あくまで自己を超えて自己を生きるものによって生きられることだけをよしとする、強固な思想というものがあるように感じられてならないのです。
「新しきイエス」にさきがけて公開した「新しきブッダ」は、シッダールタ自身による仏教批判という視点で書いたものです。
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イエスの死後、彼の教団は、イエスを神とすることによって、生き延びることを図ったというべきかもしれません。
わたしは、ここにまた一つの妄想を描いてみたいと思います。
それは、マグダレーナ(マグダラのマリア)といわれる一人の女性信徒の物語です。
この女性信徒については、さまざまな女性との混同があるといわれています。
しかし、ここでは事実はどうだったかということを問わないことにします。
大事なのは、今日のわたしたちにどのようなメッセージを残しているか、ということですから。
じっさい、マグダレーナは、教団の中でかなり有力なリーダーの一人であったが、教団内部の権力闘争に敗れたといわれています。
その事実を多少踏まえて、この物語を作りました。
今回は、この女性を「あなた」と呼ぶことにします。
あなたは、かつてあなたと対等なものから、おびただしく差別されていた。
それは、あなたが、「罪びとが行う行為」をしていたからである。
しかし、イエスが来て人々からの迫害から解放され、自分の役割を教えられたあなたは、
師が十字架上で亡くなったとき、もし師と出会わなければ今の自分はなかったであろうと回想した。
きっと、自分は、人間としての尊厳を失ったまま、どこまでも落ちていったに違いない。
しかし、あのとき、師と出会ったことで、自分は生まれ変わったのだ。
人間としての尊厳を取り戻したのである。
師はあなたに語りかけた。
「あなたは今まで自分を捨てていた。
しかし、今からあなたはそれを誇りに変えるであろう。
なぜなら、あなたは隣人のために自分を捨ててきたものだからである。
あなた以外のものは、そのように自分を捨てることが出来ない。
自分を捨てることが出来ないものは、隣人を利用することで生きようとする。
また、神でさえ利用しようとするのである。
あなたのような、自分を捨てることが出来るものは、これらの人たちよりも高貴なのである」
そうして、師はあなたの前に額づき、あなたの汚れた足の上に接吻したのであった。
あなたは驚き、「私のような汚れたものに対して、どうかそのようなことはなさらないでください」と涙ながらに訴えた。
しかし、師は、こういったのである。
「あなたはすでに多くの隣人を救ってきたのである。
ただそのことにあなた自身が気がつかないだけである。
あなたは自分を捨てるということによって、相手を生かせてきたのである。
あなたはこれまでの自分の人生を恥じてきた。
でもこれからはそれを誇りにして生きなさい。
これからは、もっとあなたにふさわしいやり方で、人を生かすのである。
あなたは私の求めるもの。
無心の魂である。
どうか私と共に来てください」
師は、あなたに向かって懇願したのである。
それはプロポーズの言葉にも等しい魂の告白であった。
師の言葉はあなたの心を打ち砕いた。
そして、自分のような、人たちから蔑まれてきた者が、このように称揚されることが驚きだった。
あなたはすべてを捨てて、師に従うことを誓った。
しかし、それは師にとっても大きな収穫だったのである。
師はそのとき、古い教えに縛られていた同胞たちから離れ、新しい教えに向かって歩みを進めたのである。
あなたはそういう師の考えを誰よりも理解していた。
そして、師の新しい歩みを共に歩いていたのである。
師の考えを自分のすべてを用いて実践しようと思った。
あなたは師の弟子の誰よりも師の教えに忠実であった。
そういうあなたを師は認め、あなたを自分のそばに常にいさせたのである。
師はあなたにこう語った。
「私は、あなたの中に特別な力を認める。
あなたが触れると、あなたは相手の中に魂の建物を造るのである。
私もまた、あなたによって自分の中に魂の建物を見い出したものの一人である。
あなたは私の魂を受肉するもの、私の魂の花嫁。
そして、私の魂を一段上へと引き上げてくれたものである」
師はあなたをとても称揚し、あなたが師とともに人の絆の楽園を築く指導者となることを望んだのである。
いま、師は死んで、残されたあなたは、師の魂の花嫁として、師の考えを積極的に進めていこうと思った。
それは師がまさに自分の死をもって示したこと。
隣人のために死ぬということである。
隣人のために生きるというのより、隣人のために死ぬものは永遠の命を得るのであると、あなたは師の共同体の中で説き始めたのである。
師がなくなって、師の魂を真に受け継ぐのは、あなただけであった。
それは、あなた以外の教団の男性の指導者たちが、師を神として崇め、神なる師にのみ生きられることを求め始めるのに反して、師が説いたように、ただひたすら自身と対等なもののために生きようとしたからである。
ただし、あなたは、教団にとどまることはできなかった。
師の遺志に忠実であろうとすればするほど、師を神なるものとして崇める教団から、しだいに遠ざかっていったのであった。