新しきイエス 第三回 荒野で その二 | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 もうすでのお気づきかもしれませんが、イエスである「あなた」が試みられた言葉とは、その後キリスト教というものにおいて、現実のものとなった事柄です。



 ――わたしは、あなたのあらかじめなる血である。

    あなたがわたしからあらかじめ息づかされるなら、

    わたしは、あなたを数多のものをあらかじめ息づかせる主なるものにしよう。


 それに対してあなたは、

「なにゆえに、わたしを数多のからだであるものから分かち、わたしを通して数多のからだであるものをあらかじめ生きようとするのか。

 わたしは数多のからだであるものと互いにあらかじめ息づかれ合うことで、互いのより「強くあるもの」を生きられ合うからだである。」


 イエスである「あなた」は、「数多のからだであるものと互いにあらかじめ息づかれ合うことで、互いのより「強くあるもの」を生きられ合うからだである。」と返しましたが、現実は、試みられた言葉どおり、「あなた」であるイエスを主なるものとして崇める、「キリスト」教が形成されるのです。



 ――わたしは、あなたの高き胸である。

    あなたがわたしから導かれ、育まれるなら、

    わたしはあなたを数多のものを導き、育む導き主にしよう。

 それに対してあなたは、

「なにゆえに、わたしを数多の耳であるものから分かち、わたしを通して数多の耳であるものを導き、育もうとするのか。

 わたしは数多のものと互いに導き、育み合うことで、互いのより「聡くあるもの」を生きられ合うからだである。」


 ここでも「あなた」は、「数多のものと互いに導き、育み合うことで、互いのより「聡くあるもの」を生きられ合うからだである。」と返しましたが、現実は、「あなた」を試したもののとおりに、「あなた」を主なるものとして、「あなた」にしたがう、「あなた」の教団を創造することになるのです。




 ――わたしは、あなたの限られなき腕である。

    あなたがわたしから創造され、在らされるなら、

    わたしはあなたを数多のものを創造し、在らせる創造主にしよう。

 それに対してあなたは、

「なにゆえに、わたしを数多の脚であるものから分かち、わたしを通して数多の脚であるものを創造し、在らせようとするのか。

 わたしは数多のものと互いに創造し、在らせ合うことで、互いのより「限られなくあるもの」を生きられ合うからだである。」


 「わたしは数多のものと互いに創造し、在らせ合うことで、互いのより「限られなくあるもの」を生きられ合うからだである。」

 あなたはこう答えましたが、現実はあなたの意思に反して、あなたの教団によって、あなたは創造主と一なる存在になりました。



 それはまた、あなたにこう語りかけた。

 ――わたしは、あなたの深き内腑である。

    あなたがわたしから満ち足らされるなら、

    わたしはあなたを数多のものを満ち足らせる恵み主にしよう。



 それに対してあなたは、

「なにゆえに、わたしを数多の肩であるものから分かち、わたしを通して数多の肩であるものを満ち足らせようとするのか。

 わたしは数多のものと互いに満ち足らせ合うことで、互いのより「豊かくあるもの」を生きられ合うからだである。」



 「わたしは数多のものと互いに満ち足らせ合うことで、互いのより「豊かくあるもの」を生きられ合うからだである。」

 しかし現実は、あなたの意に反し、あなたにちなむ事柄が、あなたの同胞たちを支配するようになりました。



 それはまた、あなたにこう語りかけた。

 ――わたしは、あなたの堅き皮膚である。あなたがわたしから庇われるなら、わたしはあなたを数多のものを庇う守護主にしよう。

 それに対して貴方のからだであるものは、
「なにゆえに、わたしを数多の背であるものから分かち、わたしを通して数多の背であるものを庇おうとするのか。

 わたしは数多のものと互いに庇い合うことで、互いのより「貴くあるもの」を生きられ合うからだである。」


 「わたしは数多のものと互いに庇い合うことで、互いのより「貴くあるもの」を生きられ合うからだである。」

 しかし、あなたの同胞たちは、あなたのゆえに互いを損ない合うようになりました。



 それはまた、あなたにこう語りかけた。

 ――わたしは、あなたの一なる骨である。

    あなたがわたしから支え持たれるなら、

    わたしはあなたを数多のものを支え持つ一なる主にしよう。

 それに対してあなたは、
「なにゆえに、わたしを数多の肉身であるものから分かち、わたしを通して数多の肉身であるものを支え持とうとするのか。

 わたしは数多のものと互いに支え持ち合うことで、互いのより「重くあるもの」を生きられ合うからだである。」


 「わたしは数多のものと互いに支え持ち合うことで、互いのより「重くあるもの」を生きられ合うからだである。」

 しかし、あなたの同胞たちは、あなたによって自分自身をはかろうとするようになりました。

 あなたは、あなたの同胞たちの尺度であり、あなたから生きられることが、あなたの同胞たちの存在理由になったのです。



 それはまた、あなたにこう語りかけた。

 ――わたしは、あなたのあまねき舌である。

    あなたがわたしからおし拡げられるなら、

    わたしはあなたを数多のものをおし拡げる所有主にしよう。

 それに対してあなたは、
「なにゆえに、わたしを数多の目であるものから分かち、わたしを通して数多の目であるものを味わおうとするのか。

 わたしは数多のものと互いに味わい合うことで、互いのより「広くあるもの」を生きられ合うからだである。」と答えたのであった。


 あなたは、「わたしは数多のものと互いに味わい合うことで、互いのより「広くあるもの」を生きられ合うからだである。」と答えました。

 だが、あなたの同胞たちは、互いを味わうどころか、互いを意味のないものとして生き合い、ただ、あなたから味わわれることを望んだのでした。



 「イエスである」あなたは、この「自分を超えて自分を生きる、自分であるもの」との対話に先駆けて、洗礼ヨハネと会ったことが、聖書に書かれています。

 次回は、この部分について、妄想したいと思います。


 テーマは、「神の国」とはどこで、どういうところか、についてになるかと思います。