自身と対等なものどうしを離れ、自身を超えて自身を生きる存在(すなわち、神)との固有のまじわりを通して、自身であるものを生きようとしたキェルケゴールに対して、互いに対等なものどうしの間の特別なかかわりを通して、固有の自分を生きようとしたのが、ガブリエル・マルセルです。
つまり、人の絆から離れることで、固有の自分を生きるのではなく、人の絆の内側にとどまることによってこそ、固有の自分を生きることになる。
互いに対等なものどうしの絆の中に、固有の関係を見出そうとするのが、マルセルの思想ということになるでしょう。
彼の思想において、互いに対等なものどうしの絆の中の、固有の関係とは、互いに対等なものどうしを超えたものから支えられた関係です。
それは、親の愛の下で仲良くする兄弟姉妹のようなものだと考えてもいいかもしれません。
つまり、親が兄弟姉妹が仲良くするための環境を整えてくれているのです。
親が兄弟姉妹への愛を注いでいてくれているからこそ、兄弟姉妹は互いを認め合うことができるのです。
また、互いに認め合っている互いの固有の交わりを通して、自分たちを支えてくれている親の存在を感じるのです。
神との固有の交わりによって、固有の自分を生きようとしたキェルケゴールと、神の下での、互いに対等なものどうしの固有の交わりを通して、固有の自分を生きようとしたマルセルの違いとは、あるいは、それぞれが背景にしているプロテスタントとカトリックという宗派による違いに基づいているものかもしれません。
どちらがいいか、そんなことは一概に決められるものではありませんが、私は、マルセルの方をより評価したいと考えます。
究極において人間は孤独であり、それがゆえ、神との永遠のまじわりを通して、永遠の自分を生きるというのは、確かに一つの生き方であると思います。
ただ、人間はけっして一人では生きてはいけない。人と互いにまじわることを通して、この現世を生きているのです。
この両者の違いは、固有の自分というものを、この現世に置いて見据えているか、あるいは永遠の来世というものに置いて見ているかの違いのようにも思われます。
現世をよりよく生きなければ、仮に来世というものがあったとしても、よりよく生きることはできない、というのが私の考えです。
その意味からいって、私は、互いに対等なものどうしの固有のまじわりを説く、マルセルの思想を選択したいと思います。
ところで、これが掲載される3月11日は、東日本大震災から一年の日に当たります。
この一年ほど人間どうしの絆が語られたことはなかったように思われます。
あなたは、感じたでしょう。
あなたの隣人がどれだけ大切なものであるかを。
あなたの隣人がどれだけ、あなたを力づけてくれ、支えてくれたかを。
私は、そうした隣人の持つ意味を、中世ヨーロッパの神学者を取り上げた、「貴方と、貴方の同胞についての神学」のところで述べました。
マルセルは、二人称の意味を捉えなおした人です。
二人称の意味を捉えなおしたということでは、ほかにマルティン・ブーバーがいます。
二人称──。
それは、一人称がもつ主観という閉塞性を打破するとともに、三人称のもつ客観という距離感を取り払う視点です。
私は、それを、直観と考えます。
直観とは、そのもの自身として感じる、という視点です。
ここにおいて、主観も、客観もありません。なぜなら、それは、そのもの自身だからです。
二人称とは、互いがそれ自身となる視点です。
二人称ということですぐ思い浮かぶのは、手紙ですね。
手紙を考えてみてください。
手紙の中に、あなたと、あなたの手紙の相手がいるのです。
それは、あなたと、あなたの手紙の相手との固有の世界です。
あなたと、あなたの手紙の相手以外のものには、まったく意味のない世界がそこにあります。
まさに互いに対等なものどうしの固有のまじわりがここにあるのです。
では、詩に託して。
「互いに対等などうしを生きる、あなたは、
あなたを超えてあなたをあらかじめ息づくものに代わって、
あなたの同胞から、あらかじめ息づかされることを通して、
あなたのより「強くあるもの」に生きられ、
あなたを超えてあなたを高く導き、はぐくむものに代わって、
あなたの同胞から、高く導かれ、はぐくまれることを通して、
あなたのより「聡くあるもの」に生きられ、
あなたを超えてあなたを限られなく創造し、在らせるものに代わって、
あなたの同胞から、限られなく創造され、在らされることを通して、
あなたのより「とらわれなくあるもの」に生きられ、
あなたを超えてあなたを深く満ち足らせるものに代わって、
あなたの同胞から、深く満ち足らされることを通して、
あなたのより「豊かくあるもの」に生きられ、
あなたを超えてあなたを堅くかばうものに代わって、
あなたの同胞から、堅くかばわれることを通して、
あなたのより「貴くあるもの」に生きられ、
あなたを超えてあなたを一に支え持つものに代わって、
あなたの同胞から、一に支え持たれることを通して、
あなたのより「重くあるもの」に生きられ、
あなたを超えてあなたをあまねくおし拡げ、味わうものに代わって、
あなたの同胞から、あまねくおし拡げられ、味わわれることを通して、
あなたのより「広くあるもの」に生きられるのである。」