歴史から生きられることで、より自身であるものを生きるとするヘーゲルの哲学に対して真っ向から異を唱える哲学者がいます。
彼の名はショーペンハウエル(ショーペンハウアー)。
彼は、ヘーゲルの哲学を一部の勝者の哲学とみなし、多くの人類は、むしろ歴史から損なわれてきたのだと考えます。
人類史を、ヘーゲルが考える人類の精神の発展の歴史ではなく、人類の精神の破壊の歴史と捉えました。
むろん、自由の考えを中心に据えるという点では、ヘーゲルと一致しています。
ただ、彼は、歴史というものをヘーゲルのように肯定的には見なかったのです。
彼は、自身の生い立ったこれまでの歴史、つまり自分史というものを考えてみたとき、それを実感したのです。
いったいどうして自分は過去の自分よりも発展していると言えるのだろうか。
確かにある部分は賢くなったということがあるかもしれない。ただ、それはある部分を見たときそう感じるのであって、人間にはいろいろな面があるはずだ。
ある面は発展していても、またある面ではむしろ後退している。
われわれの歴史を見てもそうではないだろうか。
哲学というものひとつ考えてみても、むしろ古代の方が精神的に高かったのではないだろうか。
現代の方が古代の人よりも精神的に高いものがある、とどうして断言することができるだろう。
そうしてみるとき、歴史によって多くの人間が損なわれてきた事例をおびただしく発見することができるのです。
ヘーゲルが肯定する人類の発展に寄与しようとして戦った人たちはまた、歴史の犠牲者なのです。
われわれは、そんな歴史なんかに自分の生を縛られてはならない。
むしろ歴史から、また社会から自由でなくてはならない。
この一点において、彼の考えはジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ!」と一致します。
ただ彼はそこに弱者の視点を置いているところが、とても評価されるように思われます。
われわれはみな弱い存在なのです。
自分を超えて自分を生きようとして、自分をおびただしく損なうことはしてはならない。
自分の身の丈に合った生き方をすべきである。
彼はそう主張します。
そして、互いが互いを損ないあわぬ社会が求められなければならない。
人類史の発展に寄与しようなどとは、ゆめゆめ考えてはなりません。
自分を超えて自分を生きようとすれば、かならず自分自身を損なうことになるからです。
私もこの点は、同感です。
ただし、彼の考えでは、現実社会に対して、なにもなさないというのと等しく、歴史や社会から損なわれる自分を解放することは不可能でしょう。
よって彼が現実社会の中で取る行動とは、現実からいかに逃避するかということに尽きます。
現実社会との接触をなるだけ取らないようにすることが、彼の理想とする社会生活になるのです。
とはいっても、現実社会からおびただしく損なわれた貴方は、ちょっとそこから離れてみるのもいいのではないかと思います。
少し現実社会との距離を取ることによって、自分を建て直すということもできるからです。
また彼の思想は、ブッダの思想と重なるものがあると、私は見ています。
彼の弱者の思想を詩に託しました。
「あなたは、あなたがあらかじめ息づかれるものから、あらかじめ離れなくてはならない。
あなたがあらかじめ息づかれるものは、あなたの「強くあるもの」をあらかじめ損なっているからである。
あなたは、あなたがあらかじめ息づかれるものから、あらかじめ離れることで、
あなたの「強くあるもの」をあらかじめ生きることができるのである。
あなたは、あなたが高く導かれ、はぐくまれるものから、高く離れなくてはならない。
あなたが高く導かれ、はぐくまれるものは、あなたの「聡くあるもの」を高く損なっているからである。
あなたは、あなたが高く導かれ、はぐくまれるものから、高く離れることで、
あなたの「聡くあるもの」を高く生きることができるのである。
あなたは、あなたが限られなく創造され、在らされるものから、限られなく離れなくてはならない。
あなたが限られなく創造され、在らされるものは、あなたの「とらわれなくあるもの」を限られなく損なっているからである。
あなたは、あなたが限られなく創造され、在らされるものから、限られなく離れることで、
あなたの「とらわれなくあるもの」を限られなく生きることができるのである。
あなたは、あなたが深く満ち足らされるものから、深く離れなくてはならない。
あなたが深く満ち足らされるものは、あなたの「豊かくあるもの」を深く損なっているからである。
あなたは、あなたが深く満ち足らされるものから、深く離れることで、
あなたの「豊かくあるもの」を深く生きることができるのである。
あなたは、あなたが堅くかばわれるものから、堅く離れなくてはならない。
あなたが堅くかばわれるものは、あなたの「貴くあるもの」を堅く損なっているからである。
あなたは、あなたが堅くかばわれるものから、堅く離れることで、
あなたの「貴くあるもの」を堅く生きることができるのである。
あなたは、あなたが一に支え持たれるものから、一に離れなくてはならない。
あなたが一に支え持たれるものは、あなたの「重くあるもの」を一に損なっているからである。
あなたは、あなたが一に支え持たれるものから、一に離れることで、
あなたの「重くあるもの」を一に生きることができるのである。
あなたは、あなたがあまねくおし拡げられ、味わわれるものから、あまねく離れなくてはならない。
あなたがあまねくおし拡げられ、味わわれるものは、あなたの「広くあるもの」をあまねく損なっているからである。
あなたは、あなたがあまねくおし拡げられ、味わわれるものから、あまねく離れることで、
あなたの「広くあるもの」をあまねく生きることができるのである。」