全的に肯定されるからだ | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 シェリング、ヘーゲルのクラスメイトで、親友のヘルダーリンを取り上げたいと思います。


 彼は小説「ヒュペーリオン」、劇詩「エムペドクレス」の作者で、また古代ギリシアに心を寄せるとともに、人間主義者としてのイエスとの融合をはかった、ドイツの偉大な詩人のひとりです。

 ある時期、彼は、友人のシェリング、ヘーゲルとともに、「ドイツ観念論最初の体系計画」なるものを作成しました。これは、これまでのキリスト教に替わって、人間自身が自身の神となることを目指すというものです。

 はっきりとしたことはわかりませんが、彼こそがこの作成の中心人物だったという感じを受けます。

 彼の哲学とはなにか。

 一言でいうなら、愛の歴史哲学です。

 存在は、部分の定立、反定立、綜合の否定的発展を越えて、全的に肯定する全体から生かされているからこそ、自身を肯定的に受容することができる。

 すなわち、弁証法的発展を支えるのは、なによりも強い自己の肯定なのだ、と彼は主張するのです。

 もし、この強い肯定がなければ、自己の弁証法的発展に耐えられないことになります。

 自己の強い肯定があればこそ、古い自身を否定し、新しい自身を手に入れることができるのです。

 この強い肯定こそ、人類自身からくる愛です。

 歴史は、愛の歴史だった。強い自己への肯定があればこそ、あえて自己を破壊的なまでに創造することができたのです。

 ヘーゲルの歴史哲学は、じつはこの友人から多くの着想を得たもののようです。

 ヘーゲルはヘルダーリンを友人としてとても敬愛していました。特別に詩を書いて、彼に送ったほどです。

 しかし、やがて詩人は精神を病んでしまうのです。

 それは、この詩人哲学者の精神があまりにも激烈にして繊細であったためでしょう。

 ヘーゲルはその変貌のありさまに、深く悲しんだということです。

 もっとも、ヘーゲルよりはずっと長生きしました。


 ヘルダーリンについて述べるとき、絶対はずせないのが、ディオティーマ体験です。ディオティーマとは、プラトンの「饗宴」に、ソクラテスに愛の意味を説く女性の名です。ヘルダーリンは、ある人妻に恋をしました。当然、それは許されない愛です。やがてその人妻がなくなったとき、彼の中である超越した愛が芽生えたのです。

 彼は、死んだはずの恋人の声を聞きます。

 以下のものは、そのときのことを、私が詩に著したものです。


「私は死んだのではありません。


 死んだのは、あなたの中の私を除いた私です。


 私は、あなたの中で永遠に生き始めたのです。


 あなた以外の中では私は永遠に死んでいるのです。


 あなたと語りかけるものこそが、私です。


 あなたに常に語りかけるものが、私です。




 あなたのからだの中で、私はあらかじめ活きづいています。


 私はあなたの強き血として、あなたのからだをあらかじめ活きづかせているのです。



 また、あなたの耳の中で、私は高く導かれ育まれています。


 私はあなたの高き胸として、あなたの耳を高く導き、育んでいるのです。



 また、あなたの脚の中で、私は限られなく創造され、在らされています。


 私はあなたの限りなき腕として、あなたの脚を限られなく創造し、在らせているのです。



 また、あなたの肩の中で、私は深く満ち足らされています。


 私はあなたの深き内腑として、あなたの肩を深く満ち足らせているのです。


 また、あなたの背の中で、私は堅く庇われています。


 私はあなたの堅き皮膚として、あなたの背を堅く庇っているのです。



 また、あなたの肉身の中で、私は一に支え持たれています。


 私はあなたの一なる骨として、あなたの肉身を一に支え持っているのです。



 また、あなたの目の中で、私はあまねくおし拡げられ、味わわれています。


 私はあなたのあまねき舌として、あなたの目をあまねくおし拡げ、味わっているのです。」


 では、ヘルダーリンが著そうとして著しきれなかった、彼の哲学をここに詩として書き記したと思います。


「からだをもてるあなたは、
自身をより強く肯定するために、

自身をあらかじめ否むことで、
あなたのより「強くあるもの」を生き、


耳をもてるあなたは、
自身をより聡く肯定するために、

自身を高く否むことで、
あなたのより「聡くあるもの」を生き、



脚をもてるあなたは、
自身をよりとらわれなく肯定するために、

自身を限られなく否むことで、
あなたのより「とらわれなくあるもの」を生き、



肩をもてるあなたは、
自身をより豊かく肯定するために、

自身を深く否むことで、
あなたのより「豊かくあるもの」を生き、



背をもてるあなたは、
自身をより貴く肯定するために、

自身を堅く否むことで、
あなたのより「貴くあるもの」を生き、



肉身をもてるあなたは、
自身をより重く肯定するために、

自身を一に否むことで、
あなたのより「重くあるもの」を生き、



目をもてるあなたは、
自身をより広く肯定するために、

自身をあまねく否むことで、
あなたのより「広くあるもの」を生きるのである。」