ここから、ドイツ観念論と、その周囲について述べてゆこうと思います。
カントの影響下から出発したフィヒテは、カントの批判の哲学を通して、自我をいかに克服し、発展させるかについて思考をめぐらした結果、ついに彼独自の考えを作り上げました。
それは、絶対的自我の存在と、その絶対的自我の下で、自己がよりよき自己を求めて、自己を否定することを通して、新たな自己を獲得する、という自己の発展です。
これは、後のヘーゲルを準備するものといってよいでしょう。ヘーゲルはフィヒテを敬愛し、自身のなきがらをフィヒテの墓の横に葬るように遺言したほどでした。
フィヒテの自己の弁証法的発展なくして、ヘーゲルの歴史的弁証法は創造されなかったかもしれません。
フィヒテで注目すべきは、絶対的自我の存在です。
この絶対的自我があるからこそ、自己は自身を否定することができ、自身を否定することで、よりよき自身を創造することができるのです。
この絶対的自我とは、いったいなんでしょうか。
この私というものを超えて、私を生き、かつ、私をここに現わしているもの。それこそが、この絶対的自我なのです。
そこで重要なことは、この私の主観です。
絶対的自我は、私の主観を通して、私を生きるとともに、世界を生きるものだからです。
絶対的自我から生きられる主観は、新たに直感という名を与えられることになります。
この直感こそ、世界を創造する原動力なのです。
絶対的自我は、直感を通して、よりよく世界とかかわる自己を創造するとともに、よりよき世界を創造するのです。
というのは、世界は、無数の自己の寄りつどう場所だからです。
そのとき世界は、古い自己を乗り越えた、よりよき自己が集まった場所だということになるでしょう。
ただし、これは理想であることには違いありません。その意味で理想主義であり、彼の思想が観念論と呼ばれるゆえんです。
しかし、互いがよりよき自己を創造しあうことを、彼は人々に向かって、語りかけたのでした。
自我を世界の創造の中心に置くところから、彼の観念論は、主観的観念論と呼ばれたりします。
これを詩に表したいと思います。
「よりよいあなたのからだを手に入れるためには、
あなたは、より駄目なあなたのからだを否定しなければならない。
より駄目なあなたのからだを否定することで、
あなたは、よりよいあなたのからだを手に入れるのである。
また、よりよいあなたの耳を手に入れるためには、
より駄目なあなたの耳を否定しなければならない。
より駄目なあなたの耳を否定することで、
よりよいあなたの耳を手に入れるのである。
また、よりよいあなたの脚を手に入れるためには、
より駄目なあなたの脚を否定しなければならない。
より駄目なあなたの脚を否定することで、
よりよいあなたの脚を手に入れるのである。
また、よりよいあなたの肩を手に入れるためには、
より駄目なあなたの肩を否定しなければならない。
より駄目なあなたの肩を否定することで、
よりよいあなたの肩を手に入れるのである。
また、よりよいあなたの背を手に入れるためには、
より駄目なあなたの背を否定しなければならない。
より駄目なあなたの背を否定することで、
よりよいあなたの背を手に入れるのである。
また、よりよいあなたの肉身を手に入れるためには、
より駄目なあなたの肉身を否定しなければならない。
より駄目なあなたの肉身を否定することで、
よりよいあなたの肉身を手に入れるのである。
また、よりよいあなたの目を手に入れるためには、
より駄目なあなたの目を否定しなければならない。
より駄目なあなたの目を否定することで、
よりよいあなたの目を手に入れるのである。」