疎水が流れる田の中の一本道を真っ直ぐに行くと、途中道の脇が一部分焼け焦げている。
昨晩の迎え火の跡なのだろう。
さらに先を行くと、この道の突き当たりに森が見え、森を迂回するように道が二手に分かれている。
その森のかたわらに赤い鳥居が目についた。
つまり鎮守の森なのだ。
このあたり一帯の氏子(うじこ)の守り神ということになる。
私はその場所へといざなわれ、森の中に引き込まれるように進んでいった。
なにかとても懐かしい場所、親しい者に会ったような気がした。
だけど、この場所に来るのは初めてのはずだ。
これまで、こっちの方に来たことはなかったと思う。
それとも来たことがあるのだろうか。
石柱が立っていて、○○大神宮、とある。
鳥居の横に縁起が記されたものがある。
祭神、天照大御神。
江戸時代初期の年号が記され、四氏の産土(うぶすな)神として堂宇建立。
この森の木の枝に残った雫が風もないのに、小雨のようにぱらぱらと落ちてきた。
森の脇に釣り鐘状の薄い紫の花が揺れている。
誰かの意志でもあるかのように。
ふと目を転じると、今まで空を覆っていた雲が切れて澄んだ青空が現れ、その下に東北地方を代表する馬の背のような山の稜線がくっきりと姿を見せた。
山の麓の方は靄に包まれている。
ここだけを見ると、下に雲があり上空は晴れ渡って逆転している。
山の麓よりこちら側は靄から次第に大地の姿を現して来る。
靄の合間から濃い緑の森が幾つも島のように浮かぶ田の海が始まり、その田に張られた水が空の明るさをもらって、キラキラと私の目に写し出される。
あたかも地とも天ともつかず、私の目は地の田の海に空の片割れを見ている。
私はこの光景を黄緑色の長い葉の水草が一方に流れている疎水のほとりから眺めている。
なんと自然は雄大なのだろう。
日が高くなるに従って、山と平地との間にあった靄は取れて行く。
それで今朝の散歩を終わりにしようと思った。
家の人に気づかれずに出てきたので、私がいないのをどうしたかと思うだろう。
私は目についた草花などをスケッチしながら、ここまで歩いてきた道を戻り始めた。
家に戻ると、家の人はもう起き出してきていて、私が朝、田の稲が炎のように燃えているように見えたと話したら、この田はみんな実を結ばないで、焼くよりほかないだろうと言っていた。
手間をかけて育てた稲を放棄しなくてはならないなんて悲しいことだ。
午後は昔の家があったほうに行ってみようと思った。
以前家のあったところは、町の主要部を通り抜けた反対側だった。
行って、あたりが以前とすっかり様子が変わっているのに愕然とした。
私が生を得た家はとうに別の家に建て替えられて、家の前にあった畑もなく、その畑に隣接していた、リスが遊んだクルミの木などの木々も跡形もなく伐られてなくなっていた。
私はもうこの場所には来るまいと思った。
あの場所は私の心の中に、大事な思い出としてしまっておこうと決めた。
私は田の中の狭い道を入っていった。
なるだけたくさんの田の稲を見ておきたいと思ったのだ。
どうしてそんな気持ちが起こったか。
今朝のことが私の心を駆り立てていたのだ。
おそらくは何千匹という無数のトンボが舞っていた。
秋の実りの時を知らせる使者は、どういう思いでこの不実の稲田を眺めていることだろう。
遅れた夏の日を惜しむように花実を結ばぬ稲波の上を、恋しく思え。
母を知らず、ただ生まれ出た命のかよわさ。
母なる大地は今年、地上の生けるものたちに恵みをもたらさなかった。
田の脇をゆったりとした水の流れがあった。
アマガエルに似た葉が流れて行く。
稲のような水草の群れる水の上を。
細長く伸びている町の田との境界は、森が町の端から端まで綻びのないように補綴している。
その森に向かって田の方からなんという鳥か知らぬ尾の長い鳥が数羽いちどきに飛び移った。
元を離れてこの処かの処にもぐり込む。
なにかの企みめいて見えた。
実りがない田を離れて田の霊たちが森に移っているかのようだ。
陽が大地を久々に照らし出して、草や花が照り映えていた。
けれど、長くとは続かなかった。
この郷里での滞在中に晴れ間らしい晴れ間は一度もなかった。
本当に今年の夏は日本全国的におかしかった。
私は結局町を見下ろすことをやめて田の海をなぞって帰る道をとった。
翌日はお盆で私は家の人とずっと一緒だった。
素朴な昔ながらのお盆。
私は十数年振りで祖先の墓をお参りし、供え物を手伝った。
次の日が、この帰郷の主目的だった。
市の病院に入院している叔父を他の家族と見舞った。
ベッドの上の叔父は、ふっくらとしていた叔父の頬がこけて、身体が骨と皮ばかりにやせ細っていた。
ほとんど口が利けない状態だったが、顔の表情からみなが見舞いにきてくれたことを喜んでいるようだった。
めったに田舎に帰らなかった私の顔もここにあるのだから。
叔父はにこやかに私の顔をじっと見つめていた。
私の心に、叔父に対するこれまでの積もる思いが湧き起こってきた。
叔父はあまり口数が多い方ではなく、いるのかいないのか分からなかったが、
いつもにこやかで子供にやさしく、そこにいるだけでなにかその場が温かくなるそういう人だった。
私は、この叔父からなにかを引き継がなければならないような気がした。
これが生きている最後のものとなるかもしれないなんて、とても思えなかった。
物心ついた頃よりこれまで、私は幸運にも家族親類の死に遭うことはなかったのだ。
これからは、いやというほど私はそういう場面に立ち会うことになるのだろうか。
翌日は朝からずっと雨だった。
私は傘をさしながら、再び田の中の道を歩いていった。
そこで今度は実らしいものをつけている稲をいくつも目にした。
全滅ではなかったのか。
なんとか実ったものもあるのだと思った。
帰ってからこのことを話すと、実がついているように見えているものでも中身は空っぽだということを聞かされた。
なんだか詐欺にでもあったみたいだった。
しっかり実を結ぶのは花の咲いた籾だけである。
私がその時見た稲の穂は傘の下でスケッチしている。
剣の葉の間から穂が恥ずかしそうに割り込み、その穂の先に小さな丸い籾たちが縦に並んでおしくらまんじゅうしている。
私は初めて稲穂をこうして間近に見た気がし、愛おしいと思った。
これまで何度も田の稲は見てきたのに、こうした思いになったことはなかった。
そうしたことはどんなことについても言えるのではないか。
なにげなく道ばたに咲いていた花に、私は心が惹き付けられた。
稲もこの路傍に咲く花も共にたった一つの命なのに変わりはない。
花は世界に向かって光を放散し開いて行くとともに、それとは反対に真ん中の花芯に向かって収斂されてゆくものがあるのを感じる。
それは、世界に向かって自分を与えているとともに、世界の方から自分の中に取り込まれようとしているという、双方向性なのだ。
つまり、世界はその花の一輪なくしてはありえないし、その花の一輪も世界なくしては存在しえないのである。
葉の上でそぼ降る雨に耐えながら、頭をくりくり回して前足で顔を洗うトンボ。
私は橋を渡ってさらに自分が行っていなかった地区に足を伸ばした。
台地の上に開けた開墾地という風景が、これまで私が知っていた郷里のイメージとはかけ離れている気がした。
郷里にこういう場所があったことを知ったことはよかったと思った。
こちらの方も田が続いているが、田の海の中に所々島のように屋敷森が浮かんでいる。
そうした屋敷森の中のいくつかには厩舎が散見され、牛や馬を飼っているところを見られた。
ここをずっと行くと何処に行き着くのだろうと、想像を巡らして愉しかった。
雨がようやく小やみになって灰色の空に、数少ない電線の上に鳩ほどの大きさの鳥が七羽鈍い逆光線の中で黒ずんで見え、人気のまったく絶えた、秋の実りの遅い田をじっと見下ろしている。
人の世をこの鳥はどのように睥睨しているのだろうか。
田の収穫の不備を嘆く人間の心を知っているかのように。
ほど近い何々森と名の付いている小高い山々は野に放たれた炎のように雨でけぶり立ち、風もなく稲波もそよがない。
なにやら電線の鳥たちが刑場のさらし首のように見えなくもない。
または、われわれの遠い祖先がわれわれのやっていることを静かに見つめているようにも、私には見えたのだった。
東北地方のある場所では、死んだ人の魂は鳥になって親しいところの元に帰ってくるということが古くから言われて、人々に信じられていた。
鳥を追い豊作を祈願する行事があるけれども、むしろ鳥は逆にわれわれの営みを見続けている存在であり、先祖に供えものをするようにあえて追い払ったりはせず、田の実りを感謝の意味で分かち与えるものではないだろうか。
田をいつも見つめている鳥の姿は、自分のあとに残して行く命である子孫を思う先祖たちの魂の姿を私に思い抱かせる。
前日に会ってきた叔父も何処かでわれわれを見守ってくれるのではないだろうか。
と、その時。
田の稲が再び一斉にちろちろと青白い炎を上げているのが、私には見えた。
*
その年一九九三年は天候不順が続いて全国的に米が凶作となり、初めて海外からの米の輸入に踏み切らせた。
ことに米所の東北地方が受けた打撃は大きく、収穫がゼロのところも出たという。
私の郷里などもその中に入っているのではないだろうか。
(終)