貴方と、貴方の同胞についての神学 第十一章 満ち足らされるからだ | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 1141年没のサン・ヴィクトールのフーゴーは、弟子たちに対して、神についての学びを閉鎖的なものととらえず、一見関係のないように見えるものでもそれは神が人間に与えているものであり、それらを積極的に学ぶことが、神について学ぶことであるというような主旨のことを述べています。


 この考え方は、ルネサンス以後にも受け継がれていったものです。

 科学は、宗教ときっても切り離せぬものであるどころか、宗教そのものを支えるものでした。

 科学が明らかにするのは、いかに人間は駄目な存在であるか、ということであり、また神の栄光を理解するためのものでした。

 このことは、宗教の力が衰えている現代に生きるわれわれには、不思議な思いがします。

 宗教は科学的ではない。宗教と科学とは対立するものどうしである、とわれわれはとかく考え勝ちです。

 しかし、宗教は、むしろその科学的ではないがゆえに、存在しつづけているのです。

 それは、われわれが、科学的な生き物ではないからです。

 そもそも宗教を信じるということは、そのことを証明しているわけです。

 科学的ではないわれわれの内面を引き受けているのが宗教であり、科学はわれわれがかろうじて理解し、所有することができる地平なのです。

 その限られた地平を理解することが、一見関係のないことのように見えながらも、人間が神から生きられているものであることを了解する契機となっているのです。


 このことは、貴方と貴方の隣人の間についても言える。

 貴方は、貴方の隣人を限られた範囲でしか理解することはできません。

 しかし、その限られた事柄から、貴方は、貴方の隣人についての多くを学ぶでしょう。

 そして、一見まったく関係のないことであっても、それは、きっと貴方の隣人についての理解に繋がるものなのです。

 それは、貴方も、貴方の隣人も、ともにこの世界から生きられているものだからです。

 この世界に、貴方に、また貴方の隣人に、関係のないことはまったくない。

 貴方と、貴方の隣人とは、この世界から限られなく満ち足らされているのです。


 このことを以下の詩に託したいと思います。


「あなたは、

あなたの同胞の「強くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「強くあるもの」を通して、

あなたの同胞のより「強くあるもの」を生き、

あなたの同胞もまた、

あなたの「強くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「強くあるもの」を通して、

あなたのより「強くあるもの」を生き、

あなたと、あなたの同胞とは、

互いの「強くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「強くあるもの」を通して、

互いのより「強くあるもの」を生き合うのである。


またあなたは、

あなたの同胞の「聡くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「聡くあるもの」を通して、

あなたの同胞のより「聡くあるもの」を生き、

あなたの同胞もまた、

あなたの「聡くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「聡くあるもの」を通して、

あなたのより「聡くあるもの」を生き、

あなたと、あなたの同胞とは、

互いの「聡くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「聡くあるもの」を通して、

互いのより「聡くあるもの」を生き合うのである。


またあなたは、

あなたの同胞の「とらわれなくあるもの」と一見かかわりのない、数多の「とらわれなくあるもの」を通して、

あなたの同胞のより「とらわれなくあるもの」を生き、

あなたの同胞もまた、

あなたの「とらわれなくあるもの」と一見かかわりのない、数多の「とらわれなくあるもの」を通して、

あなたのより「とらわれなくあるもの」を生き、

あなたと、あなたの同胞とは、

互いの「とらわれなくあるもの」と一見かかわりのない、数多の「聡くあるもの」を通して、

互いのより「とらわれなくあるもの」を生き合うのである。


またあなたは、

あなたの同胞の「豊かくあるもの」と一見かかわりのない、数多の「豊かくあるもの」を通して、

あなたの同胞のより「豊かくあるもの」を生き、

あなたの同胞もまた、

あなたの「豊かくあるもの」と一見かかわりのない、数多の「豊かくあるもの」を通して、

あなたのより「豊かくあるもの」を生き、

あなたと、あなたの同胞とは、

互いの「豊かくあるもの」と一見かかわりのない、数多の「豊かくあるもの」を通して、

互いのより「豊かくあるもの」を生き合うのである。


またあなたは、

あなたの同胞の「貴くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「貴くあるもの」を通して、

あなたの同胞のより「貴くあるもの」を生き、

あなたの同胞もまた、

あなたの「貴くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「貴くあるもの」を通して、

あなたのより「貴くあるもの」を生き、

あなたと、あなたの同胞とは、

互いの「貴くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「貴くあるもの」を通して、

互いのより「貴くあるもの」を生き合うのである。


またあなたは、

あなたの同胞の「重くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「重くあるもの」を通して、

あなたの同胞のより「重くあるもの」を生き、

あなたの同胞もまた、

あなたの「重くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「重くあるもの」を通して、

あなたのより「重くあるもの」を生き、

あなたと、あなたの同胞とは、

互いの「重くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「重くあるもの」を通して、

互いのより「重くあるもの」を生き合うのである。


またあなたは、

あなたの同胞の「広くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「広くあるもの」を通して、

あなたの同胞のより「広くあるもの」を生き、

あなたの同胞もまた、

あなたの「広くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「広くあるもの」を通して、

あなたのより「広くあるもの」を生き、

あなたと、あなたの同胞とは、

互いの「広くあるもの」と一見かかわりのない、数多の「広くあるもの」を通して、

互いのより「広くあるもの」を生き合うのである。」