貴方と、貴方の同胞についての神学 第八章 味わわれるからだ | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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世界とは、貴方について書かれた書物である。

 次に取り上げるのは、フランチェスコ会の神父、聖ボナヴェントゥラです。彼は、人が神に近づく過程を、まず神の痕跡を通じて、次に神の痕跡の中で、さらに痕跡の中に映し出される神の影像を通じて、また神の影像の中で、それから存在そのものとして、最後に善そのものとして、神と交わるのである、と説きました。

 この諸段階がどのような内容を指すかはこのさい本題とは関係ないので、あえてかんたんに表現すると、はじめ外部のものを通して神に触れ、それからしだいに内側のものに触れてゆき、もっとも内奥にいたって、神と完全に一になる。

 すなわち、不完全なる人間が、はじめ遠いところから、そして次第に近づき、最後には完全無欠なる神と一つになる過程です。

 外部から内部へ。


 この過程は、貴方と貴方の隣人との間の相互理解の仕方と同じです。

 すなわち、貴方は、貴方の隣人をまずもっとも外側から触れることになります。

 いきなり、相手の内側が理解できるなどはありえません。

 最も外側の部分から徐々に内側の部分に触れて行くのです。

 そうして、あえて外側の部分を介さなくても、貴方の隣人の内部について理解するようになる。

 むろん、完璧に理解するということはない。

 この完璧に理解している場所こそ、最も内奥の部分での理解ということになるでしょう。

 このような内奥での理解が互いの間に持つことができれば、貴方と貴方の隣人とは一つになれるというわけですが、このような内奥の理解とは、一言でいうなら、互いを自身よりも自身であるものとして生きるということです。


 すなわち、それを詩にすると、


「あなたとあなたの同胞とは、

はじめ、互いを遠いものどうしとして理解し、

つぎに、少し近いものどうしに理解し、

さらに、すぐ身近なものどうしに理解し、

それから、互いを行き来するものどうしに理解し、

また、互いを自身の一部として生きるものどうしに理解し、

そして、互いを自身よりも自身であるものとして生きるものどうしに、理解し合うのである。」


ということです。


 このことは、また、はじめ敵同士であったものが、和解し、一つになるのにも対応しています。

 はじめ敵同士であったとき、両者は相手のことを全く理解していなかった。

 やがてお互いが少しずつ交わることで、互いのことを理解するようになってゆく。

 それは、相手を自分の中に根づかせる行為だと思います。

 そして、やがて自分の中で育った相手は、自身よりも自身であるもの、自分にとって愛するべき存在になるのです。


 それを、以下の詩に託します。


「あなたとあなたの同胞とは、

はじめ、互いを付き合わざるものどうしに理解し、

つぎに、警戒しながら付き合うべきものどうしに理解し、

さらに、ある程度、気を許してもいいものどうしに理解し、

それから、完全に気を許してもいいどうしに理解し、

また、互いを自身の一部として愛するものどうしに理解し、

そして、互いを自身よりも自身であるものとして愛するものどうしに、理解し合うのである。」


※予告 「貴方と、貴方の同胞についての神学」は、あと六章分を予定しています。

 現代において、中世ヨーロッパの神学がどんな意味があるのか、と思われる方も多いかと思いますが、少しの間辛抱してください。このシリーズのあと、ルネサンス以降の哲学について順次触れて行く予定です。そこで、いま、中世ヨーロッパの神学をあえて取り上げている理由が、ことさら述べなくても明らかになるでしょう。