半年くらいマンションを彷徨くネコ

近所の放し飼いらしく

ドアを開けるや否や 中へ入ろうとしてくる

絶対いれないけど


私が部屋に帰ろうとすると

よく後ろから追いかけてきて

中へ入れろ とニャーニャー鳴いてるけど

一目散に逃げて ドアを閉める















今日は 夕方、

サビのイメージ浮かんで

正味1時間くらいでコード書き出して 完成


少し不自然なコード進行だったのにさっき気づいたので

寝て起きたら 修正します






ここんとこ こうやって

1日に何曲か浮かぶうち、

1曲選んでCubase に打ち込む習慣にしている


曲作りなら

中学生から始めたから

間が空いてる期間もあるけど

実績としては何十年も続けてきた


全て耳を肥やして 独学で書いてきたけど

100曲以上は歌詞も付けて完成させてきたし

きっと200曲以上は ゆうに作っている




親戚のシェフが この前一緒に飲んでて言ってたけど

「料理は数学」らしい

もちろん アーティスティックな感性はありきだろうけど


私は数学アレルギーだけど

言われてみれば 音楽もきっと数学なんだよなあ


Cubase のブロック一つ一つを打ち込んでいて そう感じる


私は20代から脳梗塞の母の代わりに

両親の料理を作ってたし

和菓子職人として修行もしてたから


音楽と料理の共通点は身をもって感じている



加減乗除 に 記号論理学

味わいや匂いの文法と造形


料理の段取りとかタイミング

音楽のメロディーにはそれに最も相応しい和声が内在する

コード進行も Ⅰ Ⅳ Ⅴ に Ⅱ とか Ⅲ とか Ⅵ といった

メロディーに見合った配列がある


メロディーラインや色彩も比率があって

根幹を突き詰めれば 確かに 数学とも言えそう


当然 感性という、

料理で言う 創作料理などは

インスピレーションが大事になるようだが





おたまじゃくしの記号で幼少期から音楽理論に触れてきた私だが

Cubase の記号ブロックが 今や おたまじゃくしに取って代わり

ここんとこ 音をブロックで判別し

だから余計に 理論と感覚のバランスが

テンプレートのように 整ってきた気がする















夕方 1曲形にして

夕飯を食べてから

約2ヶ月ぶりに 夜、市民合唱団の練習にも参加した




筑後川 という組曲の練習だったが

その中の 2曲目と4曲目の音取りをした


どちらも Allegro 楽章だが

指揮者の先生の狙いだと 曰く、

第2曲目 「ダムにて」がスケルツォ楽章にしたいのだとか


第4曲目「川の祭り」はやや重みのあるAllegro にしたいらしい



私が指揮者ではないので

グループLINEに送信しそうになって 踏みとどまった言葉

「走ってますよ」

踏みとどまったけど


テンポ感もそうだけど

リズム音痴の合唱団なので

そういう造形の下地がまだ出来てない状態で

本番でやりたい完成形の速度でやられると

リズム解釈が まちまちで

ついに何拍かピアノの演奏も指揮とも先にずれてしまった



早い曲はちゃんとリズムの解釈を共有してないと

どんどん走ってしまう


それを どこを直せば 演奏が安定するのかを

指揮者が分かってないと合わない


まだ 音取りの段階だし

直す役目は 指揮者の手腕なので

私がどうこう言える訳でもなし。



でも 予感としては 今のまま行くと

本番でも走りそうな気がする


「川の祭り」は そうでなくとも 走りやすい

重厚な安定した演奏にしたいなあ と

杞憂である事を願う




これも多分

ここんとこずっと Cubase で機械的に有機的な演奏を目指して

打ち込んでいたせいだろうと思う


リズムは 自分が一番納得出来るパターンにしたいし

機械はテンポをいじらない限り

無機質にずっと同じだから


それを 有機的に聴こえるように

四苦八苦してきたせいで


わずかな歪みでも 凄く気持ち悪く感じるのだろう



「川の祭り」は 基本的に テンポを揺らす曲ではない

遅くなっても速くなっても 不自然だと思う

有機的にわずかなルバートやテヌートはありだろうけど

楽譜の冒頭には

Allegro apassionato  と書かれていて BPMは指定されていない

つまり 情熱的に聴こえるように歌うという事だろう


うちの合唱団は

練習のやり方がそういうアプローチをしないのが特長


長所でもあり 短所でもある




私は 曲の性格を全体で掴むところから始めるタイプなので

クレッシェンドとかディミヌエンドが 効果として記されていても

それより先に性格を作りたい

いきなり 完成形の練習をしても

本質的ではなく 表面をさらってる事になるから




自分の曲をずっと書いているから

生意気な事書いてるな とは思う


しかし 音楽は何層にも重ねる為の

飽くなき 一筆書の反復


私は書道はからっきしだけど

文字の美しさって そういう反復練習の積み重ねから来るらしく


今 私に出来る事は

自分の曲作りを

何度も反復練習して

自然体の美しさを身に付ける事だと思う




よく研究して よく聴いて よく学ぶ



さて 桜は散ったが

私は いつ咲くんだか