この著では

ドゥルーズの思考の読み解き方のような

構造主義と

そことの立ち位置のような

精神分析での欲望とか抑圧など

YouTubeでかなり予習していても

解釈を得るにはとても抽象的な、

ドゥルーズ及びドゥルーズ&ガタリの思考が解説されていたようだ。





ようだ。というのは

断定的な結論が

これらの哲学者には多分無いらしいから。



ニーチェとかマルクスも引用しているドゥルーズ及びガタリ

ニーチェなら超人、overman に至れ とか

マルクスなら全ての労働者に団結せよ とか

結論があるそうだが

私はまだ それらの思想もよく理解出来ていないし

多分 資本論 とか 共産党宣言 を読んでも

にわかには理解不能だろう


その上で 結論がよく分からない哲学



ただ、

私も結論を求めてはいない



誤差とか差異がこぼれ落ちる反復とか永劫回帰

その中で欲望が何処に向かうのか?

自らの所在を問う事で保留する。















「楽園」という映画を観た。






内容を殆ど知らない 真っ更な状態で観たが

サスペンスではあるかもしれないが、

ミステリーではないな、と思った。


タイトルである 楽園が全く描かれず、

寧ろ逆。


村社会の闇を思い出した。


犯人が誰かとかは 多分重要ではない。

人を描いた作品だと思った。



人は 色々な面を持つ生き物のようだが

時に残酷で醜い側面を現す。



私は世の中が全て分かった人間とは非常に遠い存在だが

引っ越しを決意するまでの思考では

海外に移住するところまで本気で考えた。


少なくとも この国は 楽園ではない

楽園の張りぼてで飾り立てた虚構だ


生きてここを楽園にするには

私が残りの生涯を賭けたとしても

およそ年月が足りないだろう


せめてZ世代が楽園を作れるように

足元から解体工事をして

新たに地直し出来たら良いのに

とも想像するが

果たしてこの国の未来を本当に考えている人が

どの程度いるのか?


そうこうしているうちに

他国との争いで失われてしまうかもしれないし。



国がどうなろうともう私の知った事じゃないが

地方を見渡しても

地方すら血のめぐりが悪いのが現実。



若者は 現実逃避するくらいしか

楽園なんて存在しないのかもしれない。











私のプロデュース曲が

私の原型をどこまで残して発表されるかは

まだ分からないが


制作過程で

パラノイア的な力関係が生まれ

私の根茎が断たれる場合も想定しよう


1曲たりとも手を抜いたり いい加減だったりした部分は

一瞬たりとも無いが


世の中は

自分の思い通りにはならないという現実を

嫌という程見てきた。



妥協する気は皆無だが

協調というのも捨てられない



欲望と抑圧の関係が

リゾーム的に解決へと至るだろう。












今日は 老人ホームの母が

リンゴを他の入居者にあげようとして

職員に見つかり

思い通りにならなくて

へそを曲げてしまって困った。


どうやら 相手の入居者と友達らしいが

糖尿病だったらしい


理屈では母が悪いのだが

母にとっては善意のみ


何故 職員に叱られたのか分からず

悪態をついたらしい。




私は今日も母に人生を中断させられ

施設長から職員には謝罪へ行き

母には 大好きなイチゴとみたらし団子を買って伺い

機嫌をとるハメになった。





知人の家の話だが

二世帯同居していて

嫁からは母親の苦情を

母親からは嫁の苦情を聞かされ

誰にも愚痴をもらせないご主人の板挟みについて聞いた

いつ爆発してもおかしくないそうだ。





抑圧と欲望は

社会の最小単位ですらその力関係を発揮する。





私は もうずっとそういう状態で生きてきたから

いい加減そこから逃走したいのだが


母親を見捨てるという選択肢は選べない。


まだ、板挟みではない分

私は楽な方かもしれないが


私は私で 毎日 必要以上に 気を遣って生きている。



母が先か 私が先か分からないが

もし私の方が生き残ったなら


海外に移住する選択肢を取っても

私にバチは当たらないと思う




そんな資本は何処にもないけど

資本を目標に 働くのも

人生の目標になり得るかもしれない。




死ぬ場所は

死にたい場所で死にたいと願う。


まあ、それはおいおいの話だとしても。












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