今日も一つ
悲しいことがあった
今日もまた一つ
うれしいことがあった

笑ったり 泣いたり
望んだり あきらめたり
にくんだり 愛したり
・・・・・・・・
そして これらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の
平凡なことがあった



                                 星野富弘 「日日草」より













合唱講習会に参加した


作曲者 自らが指揮をとる現場への参加は 4度目


故 小林秀雄さん(作家ではなく作曲家のほう) に二度

故 平吉毅洲さん に 一度

そして 今回は なかにしあかね さん




混声合唱組曲「今日もひとつ」より

1.「いつだったか」、2.「秋のあじさい」、5.「今日もひとつ」

の3曲を練習



いずれも 星野富弘さんの詩画集の 詩に

なかにしあかね さんが作曲されたもので

独唱曲から 女声合唱版を経て 混声合唱版に最近委嘱されたものらしい


なんと25歳の頃に このような歌曲を!
動画は その十数年後に作曲された女声合唱版
色んな動画があって 団によって演奏は十人十色だが


混声合唱版は最近発表されたばかりらしい





「今日もひとつ」という、組曲のタイトルでもある5曲目は

星野富弘さんの「日日草」に作曲されたもの


Ddur の曲だが 詩の核心であると思われる

「そしてこれらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の
平凡なことがあった」

の箇所で 突然6度上のHdur に転調する

遠い調性なので 核心の「平凡なこと」という言葉に向かって

変化がついて 絶妙な綾を成している



だが、この曲の頂点はここではなく

すぐに詩の頭に戻り 元のDdur に転調して

「今日もひとつ」という言葉を繰り返して高揚し

クライマックスをむかえる




今回 作曲者の意図を最も強く感じられたのは

その「今日もまたひとつ」と最高潮で歌った直後の無音が

実はこの曲の頂点だったということ




初めて楽譜を見た時は

何故 タイトルが「日日草」ではなく、

「今日もひとつ」になっているのかが疑問だった

私の解釈では 「平凡」という言葉が

この詩では 一番の核心だと思った

だが、私がもし この詩に音をつけてみるとしたら

おそらく 歌にするだけでも挫折するかもしれない

なかにしあかね さんは 「今日もひとつ」という言葉に

一番の思いを込めたのだろうと推測する


お話できる時間があれば

是非とも 訊いてみたい事だったが

それはスケジュール上 叶わなかった






私も全くジャンルの異なる方法で

詩に曲をつける事があるが

まだ詩をそんなに深く読解出来た上で 音をつけ切れてはいないと思う


私の読解力は まだまだまだまだまだまだだな と痛感した

(無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄とも思えた)


ただ、私も ギター教室で先生と相談し

ああでもない こうでもないと 様々な試行錯誤を繰り返して

詩が持つ心の遠近法や陰影、濃淡、情感、音色にこだわり

楽譜に自分が辿り着いた表情記号を記入する


スタジオミュージシャンの方に 生音でレコーディングを頼む為

そのニュアンスを意識してデモ音源を作り上げる




おたまじゃくしや記号で書かれている事の

本当の意図は 実は 記号だけでは描き切れない

行間に無限の風景が広がっている



一見 何だ? このリズムは?

と感じるフレーズにも なかにしあかね さん の

こだわりの表現がとても沢山ある事に気づいた


転調だけでなく 

星野富弘さんが首から下が動かない 下半身不随の状態で

口に絵筆を咥えて描く絵の

絶妙な色彩やタッチ


それが 見事な美しい色彩とタッチで 綾 成す 音楽になっている

今回の講習会の練習は

短い制限時間内であったにも関わらず

とても大切な事を学ばせて貰ったと思う













全く性格の違う曲だけど イメージだけ 私がふと頭によぎった曲


中間部とのコントラストや言葉の内包する映像

なかにしあかね さん の曲とは ある意味真逆なのだが

何かシンパシーを感じる

構成がなんとなく似ているからかもしれない






あと、何故かこの曲も頭をよぎった


Aメロ は Dbだが Bメロのあと サビで減5度上のGに転調する

サビのあと Aメロでまた Dbに転調する

JPOPでは こういう遠い調性への転調は珍しい



ヒーローは輝く存在なので こういう構成なのかも