エミシの森 -159ページ目

アシナガバチとの共生

 脚長蜂とは、なんとも羨ましい名前だ(私が蜂ならば、差し詰め胴長蜂と言われただろう)。


 ところでいつもの決まり文句(嫌味)だが、彼の名前は「脚長蜂」ではない。



 私達の事を政府が画面の向こうから「国民の皆様」と呼び、道端に在り酸素を作り出し多くの命の支えとなってくれている草花を「雑草」、そして人工林以外の森を「雑木林」と呼ぶに等しいと想えてならない。人間の傲慢さを感じ、恥じる。



 だが残念な事に、彼の名を知る由はない、確かにないがニックネームをつけるのは、彼に拒否されない限り自由だ。そして彼は、きっとその事をこころよく受け留めてくれるだろうが、ここは文章の世界なので単に「彼ら」と呼ぶ。



 彼らは人間の分類により雀蜂科に入れられているが、その生態が似ているからと言っても、幼虫の餌が肉食(昆虫の肉)という位でしかないと想う。彼を観察すると直ぐに気がつくのが、雀蜂のあの羽をブーンと鳴らしての旋回力と敏捷な性能をまったく感じない・・・どころか、フラフラとむしろ頼り無さ過ぎる程なのだ。つまり人が無用な刺激を与える行為を避けようとするなら、容易に彼との距離を適正に保つことができる。



 熊との関係もそうだが、人が後から彼らの住まう地にやって来たことを忘れてはならないし、認識していただきたい。他人の家に入る時の礼儀と謙虚さを持っての行動が当然、必要不可欠な事を知っていただきたい。それと彼らはその地を追われたのであって、譲ったのではないことも。



 彼らは、主に木に着く毛虫を狩る。



 里の近くの家は、食用に桃、栗、梅や柿などの果樹を植えて来た。だから木を必要以上に痛めつける程に葉を食べてしまう毛虫がいれば(だからと言って毛虫を害虫と呼ぶのは、人間側に都合のいい論理でしかない。地球全体の生態系上害虫など存在しない。人間によって故意に持ち込まれたもの以外は。)、それを捕食してくれる彼らのことを、共生する仲間とみなし感謝した。そのお礼として雨の避らけれる軒下に巣を作っても駆除せず、むしろ喜んで提供して来たのだ。



 ちなみに脚が長いのは、毛虫を掴み、いやぶら下げて空中を飛ぶに便利がいい身体に進化した結果だ。細長い毛虫に、空中で暴れられても墜落を免れる安全設計という訳だ。飛行する姿は、雀蜂が攻撃ヘリの様なのに対し、まるで荷物運搬用ヘリのようである。



 その彼らもその家の者との長い付き合いから安全安心であることを覚えていて、燕のように、毎年、その子孫がその家に巣作りをするのである(これは想像でしかないのだが、きっとそうに違いない)。「ああ今年も来たなあ、御苦労さん」と話かけると、不思議と「今年もよろしくね」と言っているかのように彼らも振舞う、だからますます同じ土地に住む者同士という不思議な親近感が生れてくるのだ。



 このような関係性を、「いいなあ」と微笑ましく想うか。危険な虫として彼らの住処を追うかは、色々な理由があり一概に良い悪いと決める種の物ではないし、決めつけなくて良い。



 しかし少なくとも人と虫との関係性に於いて、このように、互いにその存在を認めあい共生するという形態が極最近まで在った事を、まるで旧知の親友との関係性に似た想いが虫との間にも成立し得る(もはや過去形なのかもしれないが)事を、私はとても嬉しく想い、是非、未来に繋いで行きたいと想うのだ。