皆さんこんにちは(^^)
台風が来てますね、7月頭でもう来るとは早いですね〜🌀
さて、今日からは母を亡くしてからの生活を書いていきたいと思います!
まずは学童保育のことから。
母が生きていた頃は家に帰るといつも母がいてくれたので鍵を持ち歩く事もなく、当たり前のように「ただいま」と「おかえり」を繰り返していました。
でも、母が亡くなってからはその生活は一変しました。
鍵を首から下げて、いわゆる鍵っ子生活が始まりました。
葬儀関係が終わると父も普通の生活をしないといけないため、今まで通り働いていました。
帰りはわりと早い仕事だったので、19時くらいには帰って来たけど、わたしはまだ小学校2年生になったばかりだったので、ひとりで留守番をするわけにはいかず、学童保育に行き始めました。
父は土日休みだったので、平日は学童に行っていました。
小学校4年生くらいになると一人で留守番も出来たり習い事も行けるようになったので、学童にちゃんと行ってたのは2年間くらいでしょうか。
わたしが行っていた学童は小学校からすぐのところで、18時くらいまでそこで過ごしてみんな帰っていく、とういうようなところ。
今の時代だとお迎えが必須なのかもしれませんが私が子供の頃はまだ小学生が一人で歩いて家に帰る時代でした。今考えると危ないですよね💦💦
わたしは母がいた時は学童の存在を知らなかったので、春休みが明け、「学童に行くんだよ」と言われても「ガクドウって何?」って感じでした。
当時(30年くらい前?)はあまり共働きの子も周りにはおらず、何となく学童に行く子は主婦の家庭とは別、、って見られてたような気がします。
そこの学童保育も大体共働きの家の子が来ていました。
小学校低学年、中学年の子が20人くらいと先生という構成。
オヤツを食べてひたすら遊ぶ、という。
わたしはひとりっ子だったので、あまりみんなでワイワイする事には慣れていなかったけど、行ってみると次第に慣れていきました。
友達も出来ました🤝
母子家庭の子は何人かいたけど、父子家庭の子は一人もおらず、分かち合えなさが寂しかったです。
変な話ですが、母子家庭の子を羨ましく思う時すらありました。
お母さんがお迎えに来たり、行事に参加したりする姿を寂しく見ていました。
「お母さんがいないより、お父さんがいない方がいい」なんて、とてもお父さんには聞かせられない事を思っていました(>人<;)
今は全くそんなこと思いません。
あの時の時間があったから今の自分がいると思っています。
母がいない事に耐えられた事はわたしの人生の誇りだと思っています。
今日も母を亡くした子どもの皆さんが少しでも笑顔です過ごせますように!