おはようございます😃
今日は雨上がりの朝です。

先日までは母が亡くなった時の記憶を書いていましたが、今日からしばらく母を亡くしてから大変だったことを記録していきたいと思います!

父子家庭の皆さんにも参考になるところがあるのでは、と思っております!

母が亡くなってから最も大変だった事は、、

ごはん

まずコレです(´-`).。oO

うちの母は病気がちではありましたが、体調のいい時はご飯の支度をしてくれて、彩り鮮やかなお弁当も作ってくれていました。
母の作ったピカタや、ジャガイモの揚げ物が好きでした。
自分も大人になってから作ってみたのですが、わたしが知っている味ではなかったです。
人が亡くなるって、もうその人の作ったご飯を食べる事が出来ない事なんだなぁとしみじみ思います。

さて、父の料理の腕ですが、父は恐らく全然料理をした事がなかったので正直上手くは無かったですが、何とか作ってくれました。

でも品数や見た目は贅沢言えません。
仕事がある中、毎日準備をしてくれたのですから。
最初の頃はお米が固かったり、柔らかかったり色々でしたし、おかずも揚げ物やお魚はなくなりましたけど、栄養を考えて色々な種類のものを作ってくれました。

お弁当も作ってくれました。
見た目は、、

って感じでわたしは友達の前でお弁当を食べるのが少し恥ずかしかったです。
あと、皆んなのお弁当はお母さんが作ってくれてるんだって思うといつも寂しくて。。

というか、毎日の瞬間瞬間が辛かったです。
街を見ても、授業参観でも、学童保育でも、テレビでも全部お母さんが溢れているのです。
それを目にするたびに「わたしにはお母さんがいない」って悲しくなっていました。
小学校2年生で「どうやってお母さんがいなくて生きていけばいいんだろう」って絶望してました。

でもお弁当の事で忘れられないことがあります。
学童の友達の中にいつもお弁当が綺麗な子がいました。
特に、玉子焼きサンドがものすごくキレイだったんです。
タマゴサンドじゃなくて、卵焼きを挟むんですね。鮮やかな黄色でキッチリお弁当に詰まっていて。
それが子供心にすごく美味しそうで、ある日父にわたしにも作って欲しいとお願いしたところ、、

醤油で茶色くて形もベタッとした卵焼きが挟まっていたんですけど、味はとても美味しくてそれから何回もお願いしました(*^^*)
今でも父の作ってくれた卵焼きサンドを思い出します。

父もお弁当作りに慣れてくると少し試行錯誤をし出して、わたしが飽きないようにときな粉オニギリを作ってくれたりしました。
おはぎのようで美味しかったです。

多分お父さんの作ってくれるお弁当は見た目はお母さんのそれにかなう事は難しいかもしれないけれど、子どもは絶対わかってます。
お父さんが苦労をしてお弁当を作ってくれていること。
でもお父さんが大変そうだと自分のせいで苦労させてると思ってしまうので、難しいとは思いますが、父子家庭で頑張っているお父さん達はお子さんに何とか大変さを見せずに楽しそうにごはんを作ってあげて欲しいです。


もちろんわたしもコンビニのお弁当や、ホカ弁が結構な頻度でありましたよ!

でも全然イヤだと思わなかったです。
ただ、父と二人で行く外食は嫌いでした。
この事はまた書きますね!

今日も母を亡くした子どもの皆さんが少しでも笑顔で過ごせますように!