エミ、芸術か、宣言 -14ページ目

エミ、芸術か、宣言

米澤慧美のブログです。




目が肥える、というのはいいことなのか。


ちょっとやそっとの芝居とか、お笑いとか観ても、面白いと感じなくなる。
映画も同様。




笑いに関しては、日常生活において、「オレって面白いですよ」風の雰囲気出してくる男の人とは、会話すらままならない。




えーと、とりあえず笑いとろうとすんのやめてくれるかな、リアクションに困るから。と思いつつ、ボケとかノリに全く気付かないフリして目を逸らし完全にスルーしてると全然仲良くなれない。




いや、その人が嫌いとかじゃないの。大抵いい人だし。
でも周りの女の子がちゃんと笑ってて盛り上がってて、その人が笑いとれますポジションになってたりすると、なんか疎外感でその場に居るだけで辛くなってくる。
笑えない私が悪いの!?それともみんな作り笑いなの!?と疑心暗鬼になる。





目が肥える、というのとはちょっと違うのか?
わたしのツボがズレてきてるだけ?狭まるというか。




こないだ飲み屋で、「今の収入なら、学生の頃より生活水準上げれるんだけど、水準は上げると下げれなくなるから、敢えて上げないんだ」ってことを話してた人がいたんだけど、もしかしたら表現とか笑いもそうゆうとこあるかもなぁ。





面白いのに慣れると前のようにはなんでも楽しめなくなる。
そうすると、表現者として生きて行くのでなければ、面白いのハードルなんて低いほうが得だよなぁ。




特に女は。笑いのハードル低いほうが男からも絶対モテるし、何観ても心から「楽しかったね☆」ってなるわけで。誰も傷つけないし。




女同士だとなお笑いのハードルの低さは重要で、笑わないと空気読まないヤツって扱いにされちゃう。
男に対して以上に、女同士のノリとか笑いには、「だってつまんねーじゃん」って言えない。そこに「私達って、仲良いよね!!」みたいなメッセージが多分に含まれ過ぎてるから。




や、じゃあわたしが面白いこと言えるか、とかそうゆう話ではなくて、
そうゆう類のセンスないんなら、無理にボケたりノッたりしなくていいじゃん!って思うの。
笑いナシの会話でもいいじゃない、て思うの。
つまんなかったら「つまんねーよ」って言えるくらい仲良くなきゃ、本気で笑えるノリなんて生まれないと思うの。




なんか話ずれたか。とにかく嘘はつきたくないんだよ、という結論?














今日はクストリッツァのまだ観てなかった黒猫白猫を観た。


ご飯とケーキも作った。



アンダーグラウンドのシナリオ書き起こしがついに完成した。約1か月の作業終了。



そして何より、平和で幸福な一日だった。



うん、満足。










ヒャダインの存在を今日知った。
モモクロは以前から気になる存在だったが、、、
ヒャダイン。

すごい、あの今っぽさ。

楽しい。観てて楽しいよ。



ちょっとマドマギを思い出した。あの戦闘?シーンを観た時も、こんな気持ちになったの。
今ってこんなん創れちゃうんだーっていう驚き。




ああ、、、、ヒャダイン、、、、。




なんか本人のビジュアルは気持ち悪さ残してるけどね。(おそらく意図してない部類の気持ち悪さ)





みなさん、ヒャダイン、是非観てください。(もう結構有名なのかな)