暑さ寒さも彼岸まで…
嘘つけーー!!ww

まぁどうも昔とは気候も変わってきてるので、まだ残暑と戦わないといけない日がありそうですね照れ




さっそんな事はさておき!

父が亡くなってからあっという間に半年という月日が経ちました。

相変わらず毎日父の遺影と位牌を撫でながら、最近の出来事や仕事のことを報告しています🙋🏻‍♀️✨
(たまに忘れるけど)





そういえば!
この間久しぶりに母とゆっくり父の闘病中の思い出話をしました✨

落ち着いた今だから思う1番印象に残ってることは何かと聞くと、、、

父が脳梗塞後のリハビリの為に入院していた施設から緊急入院になった日の事でした💡


(※少し昔話に付き合ってやって下さい🙇🏻‍♀️)






母が印象に残っていると話した日。

脱水症状や高カルシウム血症という多発性骨髄腫の末期症状が出ていたのにも関わらず、施設の医師の誤診のせいで2週間も放置され…

怠っていたであろう血液検査を強制的にお願いした結果、数値が悪いのでかかりつけの病院へ行って下さいと言われたあの日のこと。

私だって忘れもしません、去年の9月28日でした。




その日母は、リハビリ施設から病院へ行ってくれと連絡を受けたので朝から父を連れてかかりつけの病院へ行きました!

私は仕事だったので、合間で母と連絡をとりながらも気が気がじゃなかった記憶があります💦



お昼頃に仕事が終わった私は母から緊急入院になることを聞きました。

同時に荷物がまだ施設にあるから病院へ運ぶのを手伝って欲しいと言われ、そのまま施設へ向かいました!


なんとなくロビーで母を待っていた私。
そこへ朝に家で別れた様子とは違う憔悴した母が来ました。


もちろん入院するぐらいやから何か悪かったんやろうなと思ってはいましたが…

珍しく部屋に行くまで何も話さない母。


????と思いながらも部屋に行き一緒に荷物をまとめてる最中、母がポロっと言いました。


「えみちゃん。お父さんな、ほんまにもう長くないと思うわ…」


あえて私を見ないように背を向けて、片付けをしながら言ったこの言葉、、、

私は一瞬にして全てを察しましたショボーン



これまで脳梗塞をおこした日も、多発性骨髄腫だと分かった日も、母の前では泣かなかった私。

母が1番辛いんやから自分は気丈に振る舞わないといけないと思っていたのに、一気に感情が溢れました。



片付けする手を止め、溢れる涙を堪えられず母に抱きついて子供のように泣きました。。。


泣きながら伝えたのは、
花嫁姿を見せれなくてごめん
孫を見せてあげられなくてごめん
お父さんを助けられなくて悔しい
って内容だったと思いますショボーン


母は優しく私の背中をとんとんしながら、
お父さんは幸せやよ
えみと30年も一緒にいれたんやから
それだけで十分幸せやよ
と言ってくれました。


母が1番辛いはずやのに…そんな事思わんでいい!えみは何も悪くない!だからそんな泣いたらあかん!と励まされた記憶もあります。



私は勝手に、父なら奇跡を起こせる!病気で死ぬなんて絶対にない!と思い込んでいたので、その気持ちをへし折られたショックが凄かったんだと思いますえーん

父が亡くなる前と後にも、ここまで取り乱して泣いたのはこの時だけかも知れません。




次の日は私の30歳の誕生日でしたが、
父はもちろん病院。母も父の側に居たいので病院。

愛犬を一人には出来ないので私は家で愛犬と過ごす1日。

正直すごくすごく寂しくて、、、
父や母のことを想い泣いてばかりの誕生日でした。




もう大人なので誕生日なんてどうでもいいっちゃどうでもいいんですが、、笑

我が家では毎年誰かの誕生日は外食したり、家で皆でケーキを食べたりするのが当たり前でした。



それが人生で初めて叶わなかった誕生日。




母が8/25、私が9/29、父が10/4

母の誕生日も8月末から手術のために薬の調整をしていたので外食に行けなかったショボーン

だから手術が終わったら、まず頑張った祝いと母の誕生日祝いで父が食べたい物をご馳走しようと思っていたけど、脳梗塞になり行けなかった。

私と父の誕生日は近いので、いつも合同でやってたけど、、、それももちろん叶わなかった。



それからは癌との闘いで抗がん剤の服用、さらに脳梗塞の後遺症のせいで車椅子だったので、どこにも行けなかった。。。




亡くなる数日前まだ話せた時『また皆でご飯食べに行きたい』『また皆でお出かけしたい』と話した父。

その"また"を叶えてあげられなかったえーん





こうして時間が経っても、かけがえのない人を失った心はポッカリと穴が開いています。




毎日それなりに楽しく過ごしてるし、仕事もまぁまぁ順調やし、特に不自由はなく生きていますが…

今年からはもう父がいないという現実をまだ受け入れられない自分がいます。





何気なく関わる仕事の方や友達に対しても、お父さん健在なの羨ましいな〜とか心の中で思ってしまう時もあります。(顔に出さないから許してw)



だからといって自分が父を亡くしたハンデを背負ってるなんて事は1ミリも思ってません!!

哀れんで欲しくもないし、
優しくして欲しいわけでもありません🙅🏻‍♀️



私がこうして綴るのは、同じようにかけがえのない人を亡くした方へのエールでもあります!

有難いことに私はこうしてたくさんの方へ向けて発信する場があります。

なので1人じゃないよ!と伝えたいのです👏🏻



そして当たり前のことやし言われんでも分かってるって言葉が返ってきがちですが、、、


家族は大切にしましょう✨
離れて暮らしてるなら連絡しましょう!
時間作って会いに行きましょう!
たくさん話をしましょう!
たくさん一緒に出掛けましょう!


いつまでも生きてる・側に居てくれるって思いたいですが、、残念ながら時間は限られています。


後悔はどんな生き方をしたってするものだと思うので、それに負けない素敵な思い出をたくさん作ればいいんです💕




「また〇〇しようね」って言える事が、かけがえのない家族を亡くした私が、今一番思う羨ましい言葉です。


いらないプライドは捨てる!
恥ずかしさも捨てる!
そんなん家族に対していらん!

素直な気持ちを家族に伝えるように心掛けてみてください🙆🏻‍♀️✨





明日は我が身。
人生いつ何が起こるか分かりません。


だから私はこれからも自分に素直に生きたい!

父の分も全力で生きる為に、
毎日が楽しいものにしたい!!

そして私に関わる人達が笑顔であって欲しい!



これからはより一層強く想いながら、残りの人生必死に生きていきたいと思います👍🏻✨






というわけで、
今週末は私、誕生日なので🎂

去年の分も祝ってやってください😏😏ww