こんばんは!!

久しぶりのブログやのに暗い内容になる事を謝っておきます、ごめんなさい🙏🏻

なのでアメンバー限定にしました💦
が、やっぱりやめました←


ただ、どうしても振り返らずにはいられず…
お付き合いくださる方はどうぞご覧ください😢





1年前の7/31
亡くなった父上が腎結石の手術のために入院した日。

そして8/1の朝
手術の為に病院に行って告げられた『脳梗塞』の発症。

この日から父上と私達家族の闘病は始まりました。



仕事から帰ると母上がなんだか元気が無く、熱中症でもなったんかな?と心配していたら何となく目が赤い事に気付き、、、

"あ、去年の今日を悔やんでるんやな"

と感づきました。


あーあれから1年かぁ
走馬灯のように亡くなるまでの記憶がよぎりました。



改めてお伝えしますが、父は【多発性骨髄種】という完治が不可能な血液の癌に罹り、闘病の末今年3月に亡くなりました。




去年、この病気かも知れないと医者から母上に伝えられたのが7/20でした。

そして確定診断として告げられたのは8月の下旬でした。

そんな話を懐かしみながら母上としている中で、さらっと衝撃的な話をいくつか耳にしました。






まず"父が多発性骨髄種かも知れない"と母上から連絡を受けた日、その連絡はメールだったのですが…

調べれば調べるほど絶望的な内容しか出てこなかった私は、すぐさま母上に電話をかけ直接色々と問いただすように聞きました。


私「余命がどうたらとか、治らないとか、ゆくゆくは死に至るとか、一体お父さんどうなるん!?」

母「あー大丈夫!大丈夫!そろそろ治療始める頃かな〜?くらいの初期やし、うまく病気と付き合っていけばすぐどうこうはないって先生が言うてる!もしかしたら骨髄種じゃないかも知れんし、心配せんでええよ!」


と、少し笑いながら話してくれたのを覚えています。

だけど、今日ふとその話題になって。



私「あの時ほんまに寿命縮んだ!骨髄種じゃない可能性に賭けたもん!」

母「いやぁ〜今でも忘れられへんわ。だって先生が"これは多発性骨髄種で余命は7ヶ月や"ってズバッと言うてくるんやもん。」



…あれ?

確定診断出るまで分からんてのは嘘やったの?
すぐどうこうでは確かにないけど…
その日にもう余命宣告されてるやん💦



そうなんです!!!

母上は既に全てを知ってる上で、ありのままを伝えると私が落ち込みすぎて仕事に影響が出るんじゃないか?と心配して、ずっと一人で背負って隠してたんです。母上かなりの演技派(笑)




まさかまさかでした…😭

私は何度も『ほんまに大丈夫なん?絶対?』と聞きまくったのに、笑いながら『大丈夫やから気にせんと仕事頑張り〜』って話してたんですから。。。

それも1ヶ月もの間ずっと…💦


母親は本当に強いですね。。
ただただ驚きと感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいになりました😢

ごめんね母上。
でもありがとう!!


 

そして他にも当時のお互いの心境の違いを探ろうと、色々と答え合わせのように話をしました。




どうにか抗がん剤治療を受けれていた父は、奇跡的に骨髄種の数値が平常値ぐらいまで下がり、それに伴い腎臓の数値もみるみる回復していました👏🏻

そして同時に、脳梗塞の後遺症である【高次脳機能障害】も格段に良くなっており、ある程度普通に会話が出来るまでに回復していました✨


それには先生も"奇跡や!!!"と驚きを隠せず一緒に喜んでくれていましたが『でも本当の奇跡は起きないよ』と意味深な事も話しておられました。



この話も、私はてっきり《奇跡的に病気が治る可能性はない》という意味の捉え方をしていたんですが…

母上は《病気が治る治らないじゃなく、余命は変わらない》という意味だとちゃんと分かっていました。





そしてもう一つ💡

父が食事を受け付けなくなって、薬も飲みこめなくなった時…抗がん剤やその他の薬を飲むのをやめようと決断した日。

口では「今は無理に食べさせるより、少しの間薬をやめて、食欲が戻ったらまた元気になって欲しいな!」と前向きと捉えられる事を母上は話していたのですが…


実際はその日、、、

《生きてて欲しい》という気持ちから《よく頑張ったね、もう頑張らなくていいよ》という気持ちに変わっていたそうです。





最後に、これは昔の話ですが💡

私が学生の頃、父は膀胱癌を患い3〜4回再発しましたが奇跡的に転移はなく完治しました!!

だけど、私は最後の1回しか知りません。

父が何度も再発しては治りを繰り返していたなんて、知りませんでした💦






読んで頂いて分かるように…

母上は娘の私に余計な心配はかけまいと、自分1人で背負い…全て乗り越えて来ていたのです😭



もう一度言いますが、
母親という生き物はどれほど強いんでしょう。

自分よりも夫、自分よりも子供。

私の前で弱音を吐く姿は、落ち着いてよく考えたら本当に数えるぐらいしかありません…

泣き崩れる私をどうにか元気付けようとする母上の姿が多かったように思います!






そんな母上は去年の今日を思い出し、

病室に泊まっていれば…
リスク大の手術をやめとけば…
もっともっと早く骨髄種が見つかれば…

と涙を流していました😢




父が亡くなった当時のブログには、
"後悔はない"という言葉を書きましたが。。。

後悔というのは後から後から水のようにとどまる事なく湧き出てくるものですね。




父の最期の瞬間は、亡くなってから5ヶ月経とうとしてる今でも変わらず鮮明に覚えてるし、

幸せそうに笑って写る家族写真を見るたび、
父がもうこの世にいない事を突きつけられ、めちゃくちゃ胸が苦しい時も多々あります。




7/31のお昼。
病院へ「行って来るよ〜」といつもと変わらない、まるで競馬を買いに行く時のように陽気に手を振って出て行った父の姿を思い出すと、あの頃に戻りたいという心からの願いが溢れて来ます。



やっぱり生きてて欲しかった。

花嫁姿を見てもらいたかった。

いつか孫を抱かせてあげたかった。

もっともっと言い出したらキリが無いほど、まだまだいっぱいある!!



今日という日は、後悔や寂しさ。
悲しみが一気に溢れてどうにも止まりません。




どっかでずっと我慢してたのかな…
去年の今頃と比べてしまうからかも知れないや。



まぁ無理はしない主義なので🙋🏻‍♀️!!

今日は泣くだけ泣いて、
明日からはまた元気に笑って過ごします!!





だからお父さん!!!!
今日は母上と私を許してくれ😏🙏🏻