昨日はまったく偶然に、知り合いのOGさん数人、共通の知人が宙組を観劇。
え~っ、今日観ていたの? あれ? ○○さんも??? と打ち合わせもなしによく会ったものです。
じゃ「終演後にお茶しない?」と知人に声をかけて二人で久しぶりにヅカ話のつもりが、携帯のある時代だからこその技ですね、「どこにいるの?」と連絡があって結局みなでお茶!!
千秋楽が近くなり作品の掘り下げが深くなったね。
ショーの凰稀さんのあの思い切りの良い歌、あそこのところ・・・すごく良いね。
私はフィナーレの大階段の場面へ移るところ、コード進行がこうなって曲がかわるのね、あのコードが好きなの!
・・・なんて訳わからんですね、こんな話をしていました。
段々と何故か今まで会ってもこんな深い話したことないよね・・・という話になってきて、今も自分なりの活動を続けているOGさんの「こうしたいけど、気持ちがついていかない」こと「新しい出会いで得た新鮮な感動」のこととか、うん? なんでこんな話しているのだろう? と思いつつ、少しばかり人生の先輩として「私はこう思うんだけど・・・」なんて言ってしまったり、おこがましいことったらありませんでした。
一番面白いのは「他人の長所はわかるのに、自分のことはわからない」かな。
へぇ~、みんなそういうものなんだね。
私もわからないからある人に相談したら「占い師が自分を占えないのと同じ」って言われたよ。
・・・で爆笑。
私のまわりには「表現すること」を仕事にする人が多い。
私も「表現すること」を学んではいますが、学んでいるだけなのと仕事にするのとは大きな違いがあるんですね、だって学んでいるだけなら辞めるという選択はいつでもできますから。
でも仕事としているとそうは簡単にいかない。
話を聞いたり、う~ん・・・それはこうじゃないかな?と言ったりするうちに思ったこと!
「表現する世界」にいる人は、苦しんで悲しんで喜んで、いっぱいいっぱい傷ついて・・・、そうすればそうするだけ「表現の世界が広がる」と思いました。
だからとっても辛くてしんどくて、そして幸せでもあると。
観たり、聴いたりする立場でいることが多い私は、翼が折れそうな時を暖かく見守り、次なる飛翔の時に共に喜び、感動を共有することしかできません。
いっぱい話をするうちに今の私に欠けていることがいっぱい見えてきて、これはこれでう~ん、ダメだなこのままじゃ・・・と反省したり。
偶然のティータイム、大変面白い時間でした。