酔奴 | 市川笑野ブログ「笑野戯言草」

酔奴



猿翁十種の内「酔奴」は、


昭和16年に東京劇場で初演の作品で、


猿翁十種の中では最後に作られた舞踊です。


初代猿翁の狙いは、


「従来の奴もののイメージを脱皮したもの。」


それまでの奴もの舞踊のイメージは、


「供奴」など隈取の奴を思い出しますが、


酔奴は白塗りの化粧に黒しゅすの着付け、


どこか庶民の哀愁を漂わせています。




↑二代目市川猿翁(三代目市川猿之助)の奴可内


作曲も大変凝っており、


文楽の三味線の重厚さを失わず、


投げ節や小唄など


義太夫らしからね粋な節が続きます。


二代目猿翁の酔奴で三味線を弾かれた


鶴澤清治さんは、


「義太夫というのは本質的にパワーが大事ですけど、パワーだけじゃ演れない。(中略)
(軽く弾いてる感じの音は)すごく叩いたりする音あるでしょ。あれよりもっと力が要るんですよ。撥先に力入れなかったら音しないんです。(中略)
確かにまあ、いろんなもの弾きこんできた後に演るもんですね。(中略)
一小節として同じテンポのとこないんですから。常にくるくるくるくる変化してますから…。」(年鑑おもだか'99より)


と酔奴の大変さを語っておられます。


怒り上戸、泣き上戸、笑い上戸の


三人上戸のくだりについて二代目猿翁は、


「踊り手だけではなく、大夫も三味線も楽しみながらやらないと、お客様に楽しんでいただくことはできないでしょう。
これは大夫、三味線、踊り手のイキが合わないとうまくいきませんが、三者が無理に合わせようとして合うものでもありませんし、また互いを気にして合わせたのでは意味がありません。三者それぞれが自分のイキで語り、弾き、踊る、そのぶつかりあいから本当の面白さが生まれてくるのだと思います。」(年鑑おもだか'99より)


と語っています。


初代猿翁(二代目猿之助)は、


花の「花見奴」


雪の「酔奴」


に続き、


「月に因んだ奴ものを作りたい」


と考えていたそうですが、


果たせずに終わったそうです。


笑野


参考資料
市川猿之助の仕事
年鑑おもだか'99