松本主演ドラマ【ラッキーセブン】主題歌。
ネット上の嵐ファンの間では「ワイハ」と呼ばれます。うまいこと考えるよねぇ(笑)
イントロのアーアーアーアー!っていうハモリを最初聴いた時、
オウオウ、ついに5人でハモリ始めたぞ!!![]()
って机を叩きましたっけ(笑)(中の人は嵐アカペラやったらいいのに!と長年密かに願ってきた経緯があります)
招き猫みたいな振り付けがキャッチーで簡単そうで真似する人続出![]()
私は、右とか左とか混乱しちゃう人。(笑)
(…ん?ラッキーセブンで、招き猫?…Lucky cat?…まさか、ラッキーつながりであの振り付けに?笑)
スタンドマイク
を使っての数少ないパフォーマンスのひとつですよね。
「ハダシの未来」と「One Love」、後には「GUTS!」「マスカレード」「日本よいとこ摩訶不思議」「復活LOVE」「I'll be there」と続きます。
(あいるびはMVだけだったような?)
(他にスタンドマイク使った曲思い出したら書き足します)
そして、潤くんがテレビでYAZAWAのごとくポーンと蹴り飛ばしたあの鮮烈さね。笑
■”俺明日”のオマージュ説?
さてさて、昔の話ですが、この曲を聴いてSMAPの「俺たちに明日はある」(俺明日)と似ている?という話があったのを思い出しました。曲のみならず歌詞でも単語レベルで共通点がいくつもあり、嵐はSMAPのオマージュをしていたのでは?と当時考えた方もいるようで。
2つの曲を比べてみた結果、それぞれのグループの「スタンス」みたいなものが浮き彫りになった気がしてなんだか久々に楽しかったので、そのことを書こうと思います。
(※ちなみに私の「比較」のスタンスは優劣をつけることではなく、特徴を捉えることにありますのでそちら大前提でお願いしますm(_ _)m)
■参照先が同じ
個人的には、「時代が何度も回っているなぁ」という感じがしました。
まず、どちらの曲もイントロで70年代ソウル・ファンクを参照していると私は感じます。
とくにベースとギターの低音部でリズミカルに跳ねている、躍動感。
これで私が思い出したのは、ドリフの早口言葉で流れる、あの曲。
Don't Knock My Love/Wilson Pickett
(こちらはDiana RossとMarvin Gayeのカヴァーですが)
イントロのベース(と、ストリングスかな?)の躍動感がね。それっぽいでしょう![]()
こういうオマージュ文化って一般ピーポー(私も含む)が知らなかっただけで、世には結構あることを思うと、先に言ったオマージュだという仮説を想像で膨らまして楽しむことも面白いのですけど、うーん。私は、それぞれが70年代ソウル・ファンクを参照しているとは言えても、嵐がSMAPをオマージュしているとまで言う材料としては、ちょっと足りないんじゃないかなぁ?というのが私の率直な感想です。
私がこの2曲を比べて面白いと感じたのは、
「一度きりの人生」「転がるように」という共通の言葉があることです。
"A rolling stone has no moss"(転がる石に苔は生えぬ)
ということわざもあってか、歌詞の世界でもわりと出てくるワードですが、
着眼点により十人十色の解釈や、
文脈により十人十色の表現が展開できるので、
その言葉の向こうにシンガーやグループの「あり方」が垣間見ることができるんじゃないかと。
で、実際に読み比べてみたところ…
メチャクチャそれぞれのカラーが出てる!!!
■ワイハの「転がるように」
ワイハでの「転がるように」は、石が転がっていく”さま”全体を、人生に当てはめています。
他の石にぶつかったり、飛び跳ねたり、角が丸くなったり、進む方向が急に変わったり。誰の人生だって山あり谷あり、強い風だって吹くし、逃げたって明日は来るし、その明日だって確かかもわからない。諸行無常。自分だけじゃなく、みんなそうじゃん?っていうニュアンス。
東日本大震災の翌年のリリースということもあり、悲しみや絶望、不安、無力感から抜け出せない人もまだ多くいる中で、
彼らが提案できることは、ただひたすら「今を大切にする」ことだったんじゃないかと私はひそかに思っています。
(いつしかこの言葉が、この世界で両足で立つための5人共通の思想になり、5人に力を与える”魔法の言葉”になっていくなんて、たぶんまだ誰も気づいていなかったとは思いますが)
「誰かの決めた自由はいらない」っていうのも、嵐ファンの私にとって嵐っぽく感じるところで。
行間には(あくまで、自分で決める)というニュアンスの言葉が入りそう。
翔さん筆頭に「アイドルとは操り人形」という世の中の否定的な固定観念を払拭し、自分たちの頭で考えて手足を動かしてカッチリとキメてきた今の姿ともいまだにちゃんとリンクしているフレーズだと思います。
(現実が歌詞に追い付いたのか、歌詞がすでに現実を表していたかは激論になるかと)
■俺明日の「転がるように」
一方、俺明日の「転がるように」は、”不器用”の意味で使われています。
一度きりの人生だから、どうしていくのかを歌ったワイハに対して、
俺明日はすでに「一度きりの人生だから」とトライして見事に砕け散っているし、
「カッコイイ車に乗り、バラの花束を彼女にプレゼントする」みたいな、自分に似合わないこと、自分らしくないことをするより、不器用なままあちこちぶつかって行くほうが自分らしい、っていう流されまいとするニュアンスが含まれている気がする。
ダウンタウンの浜ちゃんと共演した木村さん、とにかくダメダメな役だったので、もちろんドラマの内容に沿っている歌詞、というのが一番なんですが。私が物心ついた頃、SMAPはすでにスーパースターだったけど、こういう不器用さや雑草魂みたいなものもどこか感じていて…それがこの歌詞の醸し出す何かと重なるんですよね。なので、私も深くまで理解できてはいないけど、SMAPがこれまで貫いてきたいろんなことの中に、こういう不器用を地で行く美学というか、そういうものもあるんじゃないかな、という気がしたんですよね。
他にもこういう曲があるとか、こじつけと言われればそこまでですが。
グループに対する解釈は人それぞれあると思うので、それを差し置いたとしても、
同じ言葉を使っていても全然方向性が違うってねぇ!
文脈が言葉の立ち位置を決めている、っていうのを改めて感じるね。私にとっては思わぬ面白さでした。
■今なら感じる「切なさ」
俺明日と比較してみて、嵐っぽいってこういうことなのかな?というのが少し見えてきたところで、もうひとつ、底抜けに明るい音楽の中に滑り込ませてある「切なさ」についても触れたいなと。
「もしも旅立ちを決めたときは、何も言わないで見送るから」
これがねぇ。結構、寂しいんだよ。寂しいの。
すんごい考えて決めたのに。ちょっとくらい話聞いてよって(笑)
でも、決めたことに口を挟まない優しさも大きいの。
その考えが最大限尊重されている、というか。
見送る側にとって自分と関わるだけがその人の人生ではないし、他人の人生や決断に口を挟みたくなるのって、自分の意思をもって人生を送れていなかったりして、置いていかないでという裏返しでもある。
だから、この歌詞の向こうには「俺(たち)も強く生きるからさ」っていう俺(たち)側の想いもある気がして。だから、切なくはあるんだけど、がんばろうな、っていう・・・
あーもー今じゃん。これ今じゃん![]()
「何も言わずに」って、字面の通りというより、反対したり、引き留めずにっていう意味だったのかなって今更。
でもね、旅立ちを決めようとした大野さんを何も言わずに見送ることをしなかった、っていうのがまた嵐な気もして。
それは嵐としてこれだけのことをやってこれたことに対する感謝と、自分も含めたあらゆる人たちに対する責任を果たすことも同時に大事だと判断したからだと私は思うんだけど。
コンサートでも毎年感じてはいたけど、改めて、嵐がその状況に応じて大切なことを見極められる力量があることを、改めてワイハの歌詞を熟読して目の当たりにした感じ。何も言わずに見送るには、そこに至るまでにそれなりの会話、説明、理解、そして目的意識が必要。これが現実。それすらもありのまま。
とんでもない追い風が来て「僕らはなにも変わっていない」と言い続けた2009年、あまりの人気ぶりに墜落するんじゃないかと先を不安に思うこともあったけれど、もしかしてこの時点(2012年)ですでに、嵐としてのあり方は示されていたのかな、とも。
私は気づいていなかったし、今の時点でたまたまそう見えるだけなのかも知れないけどね。
収録:シングル「ワイルド アット ハート」、アルバム「Popcorn」
発売日:2012/3/7
作詞:Soluna
作曲:Chris Janey, Junior Jokinen
編曲:Trevor Ingram
ソロパート:大野
サクラップ:なし
サトフェイク:なし
