#229 ワイルド アット ハート

 

松本主演ドラマ【ラッキーセブン】主題歌。

ネット上の嵐ファンの間では「ワイハ」と呼ばれます。うまいこと考えるよねぇ(笑)

 

イントロのアーアーアーアー!っていうハモリを最初聴いた時、

オウオウ、ついに5人でハモリ始めたぞ!!ポーン

って机を叩きましたっけ(笑)(中の人は嵐アカペラやったらいいのに!と長年密かに願ってきた経緯があります)

 

招き猫みたいな振り付けがキャッチーで簡単そうで真似する人続出爆  笑

私は、右とか左とか混乱しちゃう人。(笑)

(…ん?ラッキーセブンで、招き猫?…Lucky cat?…まさか、ラッキーつながりであの振り付けに?笑)

 

スタンドマイクマイクを使っての数少ないパフォーマンスのひとつですよね。

「ハダシの未来」と「One Love」、後には「GUTS!」「マスカレード」「日本よいとこ摩訶不思議」「復活LOVE」「I'll be there」と続きます。

(あいるびはMVだけだったような?)

(他にスタンドマイク使った曲思い出したら書き足します)

そして、潤くんがテレビでYAZAWAのごとくポーンと蹴り飛ばしたあの鮮烈さね。笑

 

■”俺明日”のオマージュ説?

 

さてさて、昔の話ですが、この曲を聴いてSMAPの「俺たちに明日はある」(俺明日)と似ている?という話があったのを思い出しました。曲のみならず歌詞でも単語レベルで共通点がいくつもあり、嵐はSMAPのオマージュをしていたのでは?と当時考えた方もいるようで。

 

2つの曲を比べてみた結果、それぞれのグループの「スタンス」みたいなものが浮き彫りになった気がしてなんだか久々に楽しかったので、そのことを書こうと思います。

 

(※ちなみに私の「比較」のスタンスは優劣をつけることではなく、特徴を捉えることにありますのでそちら大前提でお願いしますm(_ _)m)

 

 

■参照先が同じ

個人的には、「時代が何度も回っているなぁ」という感じがしました。

まず、どちらの曲もイントロで70年代ソウル・ファンクを参照していると私は感じます。

とくにベースとギターの低音部でリズミカルに跳ねている、躍動感。

 

これで私が思い出したのは、ドリフの早口言葉で流れる、あの曲。

Don't Knock My Love/Wilson Pickett

(こちらはDiana RossとMarvin Gayeのカヴァーですが)

 

イントロのベース(と、ストリングスかな?)の躍動感がね。それっぽいでしょう音譜


こういうオマージュ文化って一般ピーポー(私も含む)が知らなかっただけで、世には結構あることを思うと、先に言ったオマージュだという仮説を想像で膨らまして楽しむことも面白いのですけど、うーん。私は、それぞれが70年代ソウル・ファンクを参照しているとは言えても、嵐がSMAPをオマージュしているとまで言う材料としては、ちょっと足りないんじゃないかなぁ?というのが私の率直な感想です。

 

私がこの2曲を比べて面白いと感じたのは、

「一度きりの人生」「転がるように」という共通の言葉があることです。

"A rolling stone has no moss"(転がる石に苔は生えぬ)

ということわざもあってか、歌詞の世界でもわりと出てくるワードですが、

着眼点により十人十色の解釈や、

文脈により十人十色の表現が展開できるので、

その言葉の向こうにシンガーやグループの「あり方」が垣間見ることができるんじゃないかと。

 

で、実際に読み比べてみたところ…

メチャクチャそれぞれのカラーが出てる!!!

 

 

■ワイハの「転がるように」

ワイハでの「転がるように」は、石が転がっていく”さま”全体を、人生に当てはめています。

他の石にぶつかったり、飛び跳ねたり、角が丸くなったり、進む方向が急に変わったり。誰の人生だって山あり谷あり、強い風だって吹くし、逃げたって明日は来るし、その明日だって確かかもわからない。諸行無常。自分だけじゃなく、みんなそうじゃん?っていうニュアンス。

 

東日本大震災の翌年のリリースということもあり、悲しみや絶望、不安、無力感から抜け出せない人もまだ多くいる中で、

彼らが提案できることは、ただひたすら「今を大切にする」ことだったんじゃないかと私はひそかに思っています。

(いつしかこの言葉が、この世界で両足で立つための5人共通の思想になり、5人に力を与える”魔法の言葉”になっていくなんて、たぶんまだ誰も気づいていなかったとは思いますが)

 

「誰かの決めた自由はいらない」っていうのも、嵐ファンの私にとって嵐っぽく感じるところで。

行間には(あくまで、自分で決める)というニュアンスの言葉が入りそう。

翔さん筆頭に「アイドルとは操り人形」という世の中の否定的な固定観念を払拭し、自分たちの頭で考えて手足を動かしてカッチリとキメてきた今の姿ともいまだにちゃんとリンクしているフレーズだと思います。

 

(現実が歌詞に追い付いたのか、歌詞がすでに現実を表していたかは激論になるかと)

 

 

■俺明日の「転がるように」

一方、俺明日の「転がるように」は、”不器用”の意味で使われています。

一度きりの人生だから、どうしていくのかを歌ったワイハに対して、

俺明日はすでに「一度きりの人生だから」とトライして見事に砕け散っているし、

「カッコイイ車に乗り、バラの花束を彼女にプレゼントする」みたいな、自分に似合わないこと、自分らしくないことをするより、不器用なままあちこちぶつかって行くほうが自分らしい、っていう流されまいとするニュアンスが含まれている気がする。

 

ダウンタウンの浜ちゃんと共演した木村さん、とにかくダメダメな役だったので、もちろんドラマの内容に沿っている歌詞、というのが一番なんですが。私が物心ついた頃、SMAPはすでにスーパースターだったけど、こういう不器用さや雑草魂みたいなものもどこか感じていて…それがこの歌詞の醸し出す何かと重なるんですよね。なので、私も深くまで理解できてはいないけど、SMAPがこれまで貫いてきたいろんなことの中に、こういう不器用を地で行く美学というか、そういうものもあるんじゃないかな、という気がしたんですよね。

 

他にもこういう曲があるとか、こじつけと言われればそこまでですが。

 

グループに対する解釈は人それぞれあると思うので、それを差し置いたとしても、

同じ言葉を使っていても全然方向性が違うってねぇ!

文脈が言葉の立ち位置を決めている、っていうのを改めて感じるね。私にとっては思わぬ面白さでした。

 

 

■今なら感じる「切なさ」

俺明日と比較してみて、嵐っぽいってこういうことなのかな?というのが少し見えてきたところで、もうひとつ、底抜けに明るい音楽の中に滑り込ませてある「切なさ」についても触れたいなと。

 

「もしも旅立ちを決めたときは、何も言わないで見送るから」

 

これがねぇ。結構、寂しいんだよ。寂しいの。

すんごい考えて決めたのに。ちょっとくらい話聞いてよって(笑)

でも、決めたことに口を挟まない優しさも大きいの。

その考えが最大限尊重されている、というか。

見送る側にとって自分と関わるだけがその人の人生ではないし、他人の人生や決断に口を挟みたくなるのって、自分の意思をもって人生を送れていなかったりして、置いていかないでという裏返しでもある。

だから、この歌詞の向こうには「俺(たち)も強く生きるからさ」っていう俺(たち)側の想いもある気がして。だから、切なくはあるんだけど、がんばろうな、っていう・・・

 

あーもー今じゃん。これ今じゃんえーん

 

「何も言わずに」って、字面の通りというより、反対したり、引き留めずにっていう意味だったのかなって今更。

 

でもね、旅立ちを決めようとした大野さんを何も言わずに見送ることをしなかった、っていうのがまた嵐な気もして。

 

それは嵐としてこれだけのことをやってこれたことに対する感謝と、自分も含めたあらゆる人たちに対する責任を果たすことも同時に大事だと判断したからだと私は思うんだけど。

 

コンサートでも毎年感じてはいたけど、改めて、嵐がその状況に応じて大切なことを見極められる力量があることを、改めてワイハの歌詞を熟読して目の当たりにした感じ。何も言わずに見送るには、そこに至るまでにそれなりの会話、説明、理解、そして目的意識が必要。これが現実。それすらもありのまま。

 

とんでもない追い風が来て「僕らはなにも変わっていない」と言い続けた2009年、あまりの人気ぶりに墜落するんじゃないかと先を不安に思うこともあったけれど、もしかしてこの時点(2012年)ですでに、嵐としてのあり方は示されていたのかな、とも。

 

私は気づいていなかったし、今の時点でたまたまそう見えるだけなのかも知れないけどね。

 

Data #229 ワイルド アット ハート

収録:シングル「ワイルド アット ハート」、アルバム「Popcorn」

発売日:2012/3/7

作詞:Soluna

作曲:Chris Janey, Junior Jokinen

編曲:Trevor Ingram

ソロパート:大野

サクラップ:なし

サトフェイク:なし

#228 消えぬ想い

 

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ニノの歌い出しは「かっこいい」で溢れてる。

 

「久しぶりと笑って 歩き出す舗道には」

(嵐「消えぬ想い」より)


この「久しぶり」は「君」が言っているのか、「僕」が言っているのか。
歌詞のみを読む限りではどちらの解釈も可能だけど、私はニノの歌い方からすると、

「僕」が「君」に対して「久しぶり」と言ったような気がするんです。

その理由がニノの歌い方にあって。


「久しぶり」はちょっと低音を響かせ。
「と笑って」は口角や頬の筋肉を上げて、優しい声になっています。

 

今すぐ聞いてみてください。イヤフォーンヘッドフォーンで。

 

~♪

 

どうですか…なってるでしょう?

あまり過剰に感情を込めようとしない嵐さんですが、

この細やかなニュアンスの持たせ方がニノらしく、絶妙だと思っていて。
(無意識だとしたらなおのこと)
こういう細やかな表現を見つけるたび、好き…ってなります。


演技の仕事をしている時もそうだけど、

他者の心情を軽やかに、そして細やかに捉えて表現できることが、

「ニノらしさ」であり彼の「カッコよさ」だと私は思います。


メール歌詞の世界

 

歌詞だけを読んだ解釈と、

リリースしてしばらくしてからふと歌詞を読んだときの私の解釈を書きます。


【歌詞だけを読んだ解釈】

久しぶりに会った「いつだって大切なひと」がどこか浮かない顔をしていたら、なんでも話してみなよって言いたくなるよね。

悩みごとなんて誰にでも言えるわけではないだろうし、できるなら笑って今日を終えてほしいと私は思う。

 

この歌詞での「僕」は、彼氏になりたい・よりを戻したいという下心ではなく、

相手のことを本当に大切にしている寛大で優しさに満ちた男性だと私は想像します。

 

この二人は別れている、のかもしれない。けれど喧嘩別れとか性格の不一致とか、そういう別れ方ではなく、愛情もある、尊敬もある、でも互いの夢や人生を考えたときに一緒になることは互いにプラスにならない、という大人の選択をした感じかなと。(それ、めっちゃ辛いやつ)

 

なのに、「僕」はそれすらも受け入れて、どこまでも相手を想っている。

歌詞にある「約束」に明確なものはないけど、二人が付き合うとか、結婚するといった「僕」の想いに対する「君」の返事、みたいなニュアンスだとしたら、「僕」は振り向いてほしくて「何でも話してくれないかな」って思ってるんじゃなくて(思わせたいんじゃなくて)、大切だからこそ幸せになってほしいと思う深い愛情がある(を示したい)んだと思う。
「どうしてもゆずれないモノ」があって、この歌詞の2人は、互いを尊重して別れたことが想像できる。これは大人だよねぇ。いや、大人だってできてない←

この女性のイメージ、私は安室奈美恵さんの「Love Story」に描かれている女性に少し似ているのかなぁと。強い意思がある陰で、あまり器用ではなく、見せようとしないけど微かな揺らぎがあるというか。

 

「どうしてもゆずれないモノが 僕らの先照らしてるさ 手を伸ばそう」

(嵐「消えぬ想い」より)

 

「僕」にとってはそれがあることで「君」と一緒の道を歩けないのに、むしろ、その人の人生にとって大切なものだって理解して(しようとして)背中を押してる(押さないとやってられないんだろうけど)。「僕」との未来を築けなかったという事に囚われてはいけないよ、と言わんばかりの想いがこの言葉に詰まってる。なにそれ奥底までイケメンじゃないの元彼…!

 

 

【リリースしてしばらくしてからふと歌詞を読んだときの私の解釈】

リリース日は、2011年11月2日。東日本大震災から1年も経っていない時期。

「僕」は嵐、「君」はファンの皆、という解釈の方がこの頃は響いたんじゃなかろうか。

その場合、「僕」と「君」に彼女彼氏の関係は存在しない。

そのようなカタチがなくとも、想い合っている存在だということだけが、確かなもの。

 

本当にいろんなことがあって、久々に再会してみたものの、

表情を見る限り、全然乗り越えられていない「君」に気がついてくれる。

「何でも話してくれないかな」という言葉で、こらえていたものを解き放とうとしてくれている。

歌詞にある「約束なんていらないから」は、「いつまでに頑張ろう」という目標を決めたりするのではなく、とにかく自分のペースで、少しずつ、一歩ずつ、前に進んでいこうね、と無責任に急かすでもなく、話してくれているように感じられる。

 

「果てない空」でいう、「涙の跡が乾いたらまた呼びかけるから」にとても似ている。

 

誰かが「共に歩んでいきましょう」と言い、

誰かが「寄り添いたい」と言い、

誰かは「伝えたい」と言う。

 

彼らの想いがちゃんと歌詞にも重なっているように感じられる、

その細やかさが、少なくとも私の心に届いている要素のひとつなんじゃないかなぁと思う。

 

事実、そんな場面をいくつも見てきたような気がしている…


ルンルン曲の世界
SMAPの名曲「オレンジ」を作詞作曲した市川喜康さん、
一青窈「もらい泣き」や「ハナミズキ」を作曲したマシコタツロウさん、
そして嵐の編曲でおなじみ、ha-jさん。

切なくも前向きなメロディは、四七抜き音階がベース。
イントロはピアニカ…かな?
ハーモニカ類やアコーディオンってどうしてこう、哀愁を帯びるんだろうね。


サビのDm7→Gm7→C→F→Dm7→Gm7→B♭→A7

これニクいねーニクい。真剣さとか強い意思をメジャーセブンスひとつ差し込んで表現。

マイナーセブンスコードは暗さの中にある明るさ、

メジャーセブンスコードは、明るさの中にある強さや真剣さ。

ってことでセブンスでも与える印象がぜんぜん違うわけで。

ここでA7を差し込むことによって、流れの中でひねりが生まれて、

「手を伸ばそう」が伝えたい想いとして強調されるという。ニクいですね。ニクい(しつこい)

 

 

 

おまけ)ニノが歌い出しの嵐曲↓↓ 
Blue/チェックのマフラー/キャラメルソング/旅立ちの朝/Cry for you/シリウス/Dear snow/Waiting for you/君が笑えるように/It's good to be bad/イン・ザ・ルーム/unknown/Reach for the sky~天までとどけ~/未完/Sugar/光/夜の影/Doors~勇気の奇跡~(まだあるかも?)
 
なんなのその息混ぜ感。見え透いたカッコよさではなくて、青年にも、小悪魔にも、女性にも、翳や切なさを背負ってる感じにもなる。声域が智くんと近くても、表現として違う領域を担えているのはグループとして強いよなぁと思います。
(アカペラ的にも、同じパートを複数の人がやれるっていうのはグループとして凄く表現に富みます)
あ、台風ジェネレーションも入れる?あ、風の向こうへ?ファイトソングはちょっと違うか!

 

Data #228 消えぬ想い

収録:シングル「迷宮ラブソング」初回限定盤

作詞:alt

作曲:市川喜康、マシコタツロウ、ha-j

編曲:市川喜康、マシコタツロウ、ha-j

ソロパート:相葉・松本・二宮・大野・櫻井

サクラップ:なし

サトフェイク:なし



さとしくんは降りてくるのを待つひと。
降りてくるって、ちょっとスピリチュアル。
待つ間ってけっこうぐるぐるしてて
そのなかで
さとしくんの心がなにかと繋がったときに、
形として現れるというか。
そんな印象を私は持っているので、
ポンポン降りてきたという久しぶりな言葉が
本当に嬉しくてねぇ。



彼が一人で描いた新たな細密画を見て、
FSⅡのときの自分を思い出した。

チケットが取れてから
新たなプロジェクトを担当することになって
屍のように寝て過ごしたお盆が明け。
仕事もロクに片付いてないのに
弾丸ツアーで無理やり東京に観に行って
右脳がスパークしたような感覚になって
言葉にもならない感情を抱いたまま
帰ってきた次の日の朝
うつ症状が一気に溢れ出てしまった

涙がぽろぽろ止まらない
簡単なYESやNOも決められない
テキパキと物事を決める私が思い出せない
謎の下腹部の痛み

でも、FSⅡのせいにはしたくない

そう思ってそっとしておいたけど

今は
あの作品展が

責任感でフタをしていた
痛み苦しみ喜び全部
抱きしめてくれたんだと思う。




いろんな感想を持つ人がいると思うけど
何かを見て聴いて感じることって
その何かに反射して見える自分かも、

って、

私は思うのね。

Twitterにも書いたけど

不気味さとか怖さを感じるということは
きれいなものに対して
強いあこがれがある裏返しかもしれないし
その怖さが受け止めがたいレベルなら
それは防衛反応かもしれない。
自分を守らなければいけないほどの
過去現在未来の不安感が
そういうふうに表れているのかもしれない。

このせわしない世の中で
自分の感覚や感情に問いかける時間って
実際なかなか取れないけど

時間差でも全然いいから
音楽も美術も
そのものの評価にとどまらず
自分を客観的に見つめる役割というか
作用があるということが
いつか感じられる日が来るといいなぁと
Twitterを眺めておりました。