この記事は、勝手に解説①「永遠のニㇱパ ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」の続きの記事です。
こちら、小平町の道の駅に立っている武四郎像。とっても小柄ね。でも脚はさすが、がっしりしている…

シーン14 老中阿部(正弘)伊勢守へ直訴
阿部伊勢守とは、安政の改革を進めた老中・阿部正弘。
阿部は幕末、武四郎と同様に長崎でロシアの脅威を耳にしていて、北方の国防を強化する必要性を感じていた人物。
慣習よりも能力重視で人材登用を行ったことで知られており、筧利夫さん演じる阿部伊勢守にもそうした風格が漂っていたように思います。
私が読んだ更科源蔵「松浦武四郎の生涯」には阿部正弘に直接会ったというエピソードは出てこなかったけど、武四郎が1856年に幕府の命で再び蝦夷地に足を踏み入れることになったのは、松前蝦夷地御用掛となっていた堀織部正(ほりおりべのしょう)と箱館奉行の竹内下野守に武四郎が提言を行ったからのようです。
武四郎が指摘したのは、留萌や増毛など蝦夷地の日本海側の往来の不便さ。現在ではオロロンラインといって、ツーリングには最高な道なんだけど、崩れやすい断崖絶壁、そして札幌から北方へ向かう道を阻むようにして暑寒別岳(しょかんべつだけ)がそびえ立つため、当時は有事の際の対応に支障をきたすような状況でした。そこで、内陸の地形を調べて新道を作ることを提言したようです。
なので立ち位置的に、この堀織部正が石井ちゃん演じる堀井出雲守に近いのかな?と思いました。
阿部伊勢守「この堀井と共に内陸の地勢を調べて参れ」
ということで、堀井と共に再び蝦夷地を歩き倒す…と言いたいのですが、次の蝦夷地のシーンから堀井が全然出てこない!!石井ちゃんどこ!!
って思いませんでした?(ワタシオモイマシタ)
これは演者のスケジュールが合わなかった…のではないと思いたい(笑)
実際、堀織部正もまた幕府の役人として蝦夷地を調査した1人であって、武四郎の知見の広さも勿論知っていたので、1854年に樺太調査を行うタイミングですでに武四郎を同行させようとしていたんだけど、武四郎はすでに自分の書いた書物によって松前藩に睨まれまくっていたような状態だったので、断念した経緯もあるみたいです。
武四郎が幕府の命で蝦夷地に入ったのが1856年で、その後、札幌から天塩に入る前に少しだけ堀織部正に随行したのは「石狩日誌」にあるようなので…ずっと一緒に蝦夷地を調査したわけではなかったようですが行程を共にしたこともあったみたい(読み落としがなければ)。
なので、堀井はいなくても問題ないのかもね。
というふうに結構複雑なんですけど、短い時間の中で描く「武四郎の物語」としては、こんだけ書いといてアレですけど、このシーンはこれで十分かなと思いました。
武四郎を再び蝦夷地へ送ったのは当時の幕府なわけで、松前氏から領地を取り上げて幕府の直轄地にするという追い風が吹いていたわけなので。
更科さんの本を読んで、
「いや、あの、大石さんほんとよくまとめたよね…」ってかなり思ったとこです。
シーン15 幕府の役職を得て、再び蝦夷地へ
ロケ地:鹿追町瓜幕
「調査は200日にも及び、寒さに命を落とすものさえあった」とみゆきさんのナレーション。
武四郎が手を合わせた墓標には「向山源太夫之墓」とある。
向山源太夫は実在した人物で、幕府から命ぜられた調査隊の隊長だったようですが、樺太から帰ってきたところで伝染病にかかり、道半ばにして亡くなったようです。
(登場人物を本名にせず、こういうところで実在の人物を書く細かさよ…)
シーン16 リセとの再会と永遠の別れ
ロケ地:洞爺湖畔(壮瞥町)
「みんないない、みんな死んだ」
「シサムは同じ、変わらない」
「誰も戻ってこない、何も返ってこない、あんたが来ても変わらない」
男はみな、北蝦夷(樺太)に連れて行かれ、コタンに残るは女ばかり。
武四郎が私費で蝦夷地を歩いた時は、アイヌのおかれた状況、松前氏と商人の横暴を世に訴えたけれど、幕府の調査として再び蝦夷地を訪れたときは、前回よりもコタンに住むアイヌの人口が激減していることを記しています。
何度も蝦夷地を訪れた武四郎だからこそ気が付く変化よねぇ…!
コタンで武四郎に再会したリセの心情は、察するに余りありました…よく生きてたよほんとに。
リセは、この数年で起きた数々の苦しみをたった一人で抱えてきたわけで、
蝦夷地を必ず良い土地にすると言ってコタンを離れた武四郎の言葉とは真逆の事態になっている。
何も変わらない絶望感。
でも、このようなことを他のシサムに向かって言うことすら許されなかっただろうな、とも思います。
そういう意味でも、リセにとっての武四郎はやはり大切な存在、「ニシパ」だということ。
リセと武四郎のシーンは「恋愛要素」として描かれているようにも見えるけど、私は武四郎がいかにアイヌに受け入れられアイヌを敬愛したかをシンプルに伝えるために、重要なシーンだったと思います。
思えばシーン11で、武四郎はリセに
「イチニカが一人前になっても、生きていてほしい。リセが生きていると思いながら、わしも生きていく。死ぬのはどうか、やめてくれ」
と言った。これは、和人の死生観ですよね。
生きていることに価値を置く。死は絶望。
アイヌの方々の死生観を少し調べてみたら(正直に言うとググった程度と言う方が正しい)、死ぬことは死者や先祖の世界とか、神の世界へ魂が戻っていくということだという。あくまで神が人間の肉体を借りているという考え。自殺した人は人を襲った熊とおなじように、二度と現れないよう懲罰を受けるべきものとされる。
これはもうちょっと勉強しないとわからないけれど…。
それでもアイヌは迫害に耐えきれずたくさん自殺してしまったらしく、「近世蝦夷人物誌」にもそういったことが記されているようです。
リセを様々なアイヌが抱いた想いの「象徴」と見るのだとしたら、リセがとっさに武四郎を弓矢から守ったのは、消えゆこうとするアイヌの物語をなんとか未来へ繋ごうとする、かすかな希望、なんだろうか。
うーん。なんか、なんか違うな…(ぶつぶつ)多分まだ知らないなにかがあるのだと思う…。
リセが武四郎を庇い死ぬ必要があったのか、というのはもうちょっと勉強したらわかるのかな。
シーン17 イチニカから、市助へ
リセの息子、イチニカが江戸へ渡ることを決意する。
実際に帰化アイヌとなった市助のことだと、ドラマのあとに解説があった。
市助もまた「近世蝦夷人物誌」で紹介されている。
これは、読むべきかな。
シーン18 井伊直弼の台頭
老中阿部正弘が死去し、井伊直弼が「安政の大獄」によって反対派を弾圧。
この中には、武四郎と親交のあった橋本左内(西郷どんでいう、かざまぽん)なども含まれていました。武四郎が蝦夷地を調査していなければ、武四郎自身も処刑対象になったかもしれないという…。
「和人は、アイヌだけでなく同じ和人をも、弾圧するのですね」
正論すぎて、ガーン…ってなりました。
和人から見るアイヌのしたたかさにも驚きがあるのだけど、アイヌからみる和人の愚かさもまた確かに残酷に思えました。
シーン19 「人心を惑わす悪書」
やっぱり、「近世蝦夷人物誌」読むべきじゃない?私。
シーン20 蝦夷地を命名せよ
明治時代に入り、大久保利通は武四郎に蝦夷地各地に新しい地名をつけるように命じる。
また鍋島直正は、蝦夷地の改名案を出すよう武四郎に命じる。
(幕末~明治初期は激動すぎても頭から湯気が出そう…)
更科によると、
「(武四郎は)開拓判官となって、これまでアイヌ語の片仮名でしか標示されなかった地名に漢字をあて、北海道の国・郡名をきめ、その境界をきめる仕事にたずさわった。そうした仕事は彼以外にできるひとがいなかった。彼は彼のつくった山川取調図を貼り合わせて北海道全図をつくり、その上にテープを貼って国・郡の境にした。これが今日もほとんどそのまま、支庁管内の境界として残されている」(「松浦武四郎の生涯」P190)
とありました。
境界線まで武四郎なの…!!
シーン21 「バカクサイ!」
大久保もあんだけ武四郎を利用しておきながらコロッと立場を変え、松前氏から賄賂を受けた(らしい)東久世開拓使長官によって渡道を阻まれ、「バカクサイ!」と明治政府の職を辞した。更科によると、武四郎は手段として幕府の役人という地位を使って調査を行ったのであって、旅歩きの人生だった武四郎にとって、その地位などは実際のところ堅苦しいものでしかなかったようです。
シーン22 「リセに、あわせる顔もない」
武四郎が一人で戦うには、もはや万策尽きてしまった。
「アイヌの窮状を何一つ救えなかった」というやるせなさ。
自分を救ってくれたリセにも、ウテルクにも、こんな情けない姿を見せられない、という悔恨の念。。。
シーン23 「さぁゆけ、お前が時代の先頭を歩むのだ」
武四郎が江戸でイチニカに想いを託すシーン。
Emina👑@em1nalize
でも私の感じる物足りなさは武四郎が何もできなかった、という無念さとリンクしてるなぁーと。武四郎は思いを果たせなかったという事実をそのまま描いたのはかえって良かったのかもと感じました。#永遠のニシパ
2019年07月15日 21:41
さいごにひとこと。
これはもう、個人的な話でしかないのですが、イチ嵐ファンとしてなんというか、なんともいえぬ気持ちがわくラストシーンでもありました。
「Japonism」以来、彼らは「つなぐ」ということを意識して立ってきた印象が私はあるので、休止という選択を発表してからなおのこと、そういう想いみたいなものを重ねずにはいられなくなってしまっている…。
武四郎が遺したたくさんの記録が、様々な研究者によってなんとか今まで繋がれてきました。
それがなかったら、北海道の歴史は和人による開拓の歴史しか語られなかっただろうし、このようなタイミングでこういった歴史に光が当たることもなかったと思います。
今、アイヌ文化は「観光資源」として利用されようとしています。正直言って今の私は、それが本当に正しいのかを考えるための材料すら持ち合わせていません。
でも今回、いろんなことを理解しようとするにあたり、様々なアイヌの方々の発言などに触れることができました。百人百様の考えがあり、一つにすることはとても難しいことも知りました。
私は、アイヌへの迫害という歴史がいまだに尾を引くこの北海道の地に生きていることをとても苦痛に思ってきました。
でも過去は変えられない。
どのように尊重し振る舞うべきなのか、イチ道産子、イチ道民として多くのことを考えるきっかけになりました。
潤くん、あなたの決断は、私に素晴らしいきっかけをもたらしてくれました。
武四郎を演じてくれて、本当にありがとう。