出羽三山羽黒山伏の星野文紘先達を京田辺にお迎えして、月読神社を参拝後、開催されるトークライブに参加した。
星野先達のことは、2022年の夏に、知人や友人が出羽三山を訪れる投稿が、続けて飛びんできた時に、三山の名称や由来、山伏修行のことを調べる中で知った。祖父が山伏で、形見のほら貝が家にあるので、心に残った。当時は、仕事や介護で自由になる時間がなく、時が流れ……
星野先達が、となりの市にお見えになると知り(しかも残席3名!)、すぐに申込をした。
月読神社は、今年の1月5日に甘南備山に登拝した折に、月読命が降臨したという伝承を知って、お参りしたかった神社なので、そのことにもご縁を感じた。
星野先達のお話の中で、心に残ったのは、「縁が起きる」という言葉だ。
これまで、「縁を結ぶ」「結ばれる」「いただく」「つながる」「感じる」などの使い方を、したり聴いたりしてきたけれど、「起きる」と耳にしたのは初めてだった。
星野先達のお話を聞いているうちに、「縁が起きる」という状況が、どういうことなのかを体験した。
考えてやらない。都合でやらない。こうなろうと思わない。頭がからっぽのときに入ってくる。
なぜ、そうなったのかがわからない。なんかわからんけど……のタイミング。
考えると、ひとの器の、魂の部分がどんどん少なくなっていく。
山では、思考が入らない。山伏は、つなぐ役目。山と人をつなぐ。自然と人をつなぐ。人と人をつなぐ……。そのようなことも話されていた。
頭から、思考や都合や、こうなろうが消え、からっぽになった時、縁が起き、物語になるそうだ。
そのことを体感した。
星野先達のお話の中で、初めて耳にした「魂振り(たまふり)」というワードが気になり、(どういうものだろう?)と思いつつ、考えるのをやめたら、「せっかく、一番前で聴いてくれているから、ちょっとやってみようか」と、声をかけてくださり、直々に「魂振り」をしていただくという、びっくりするような展開になった。
和室だったので、前に出て横になると、先達は頭上にお座りになり、私の側頭部に両手を添えた。目をとじると、頭部がやさしく転がされるというか、ゆられる感じ。
思いだそうと思っても、もう思いだせないけれど、終わったときの状態は、体感として記憶している。
頭の中がすっきりクリアになり、眉間のところが、ぱーっとひらけて、軽く、明るく、解き放たれて、力が抜けた感じ!
頭の中に流れ、巡っている水が、澄み切って、ろ過された感じ!
起き上がり、目をあけると、「それが本来の顔です」と言っていただけて嬉しかった。
会場にいるみなさんにも、頷いてもらえた。
自分では、どんな顔なのか見えないけれど、視界がすっきりと明るく、勝手に笑顔がひろがっていく。
続いて、「もう一人やってみようか」と、先達がにこにこして会場を見渡すと、勢いよく手をあげたかたがいらして、「魂振り」の実演が始まった。自分が受けているときは、目をとじていたので、わからずにいた様子を、観ることができた。
(この、とっても気持ちのいい状態を、持続したい)
(自分で自分に「魂振り」をしたいときは、どうすればよいのだろう……)
と思っていたら、「人にしてあげることはできるのですか?」という質問が上がった。
先達の答えはマルで、人にしてあげることができるという。しかも、誰でもできるというのだ。
修行を積んだ山伏だからできるのではなく、なんの修行もしていない私たちでもできると。
先達が、山伏修行で伝えようとされていることの、真髄のような気がした。
「やってみるか?」ということで、今度は「魂振り」のレクチャーが始まる。
「最後に、もう一人誰か……」と言われたとき、勇気を出して手をあげて、教えていただいた。
受けて、観て、レクチャーを聴いて、(こんなふうにやるのだろう)と、イメージしていたことと、実際に頭部に手を添えて、肉体にふれて実践させてもらうのでは、全く感じが違っていた。
しっかり観て覚えたと思っていたのに、頭をホールドする手の位置がちがっていたし、肉体へのアプローチの感覚もちがっていた。
実践させていただき、心得違いを正してもらえて、本当によかった。
考えたらダメだと言われていたから、頭では何も考えないようにしたので、「できてる!」と言われても、どんなふうだったか、言語化することができない。再現できるかどうかも危うい。
振る、というよりは、揺らす、動かす、愛でる、という感じだろうか。帰宅して、思い浮かんだのは、魂振りが起こっているのは、肉体とは、おそらく別の次元だということ。
肉体にふれ、肉体を通じてコンタクトする何か。重なって存在する何か。見えないし、さわれないけど、感じられる何か。
肉体に及んでいる力はとてもソフトだけれど、起きているのは、「おおいなる祓」だ。その果てしなさ。
星野先達に「魂振り」をしていただけるなんて、思いもしなかった。やりかたのレクチャーが始まるなんて、思いもしなかった。
「縁が起きる」というのは、こういうことなのだ。
自分ではなく、人によって動かされる。何も考えず、何も望まず、頭をからっぽにしていたら、運ばれていく。
考えや、都合で、頭がいっぱいになっていたら、動かない。
最後に、どうしても、忘れたくなくて、あわててメモした、先達の言葉は、
「うけたもうーー」
***
今回、京田辺の地で、お話会が開催になったのは、司会・進行をされていた「おとだまうさぎ」さんと、先達との出逢いから生まれた、一冊の本によるものだった。
タイトルは、『魂と心』
読ませていただき、人と自然、神々や、見える世界と見えない世界が、もっと密接につながりあっていた時代のことを思った。どんなことの中にも、神様を感じ、おおいなる存在に畏敬の念を持ち、おかげさまの心で、節目を大切にし、生活のすべてが神事であり、祈り。
日本人は、そうして生きてきた。そのことを思いださせてくれた。
亡くなった両親に、祖父母に、ご先祖様に、守られていることも。
その本に、星野先達は、筆文字で「自然 祈り 命 魂」と、記してくださった。
ありがとうございます。
(追記)
お話会が始まる前に、声をかけてくださり、そのかたのおかげで一番前で拝聴することができた。帰りも駅まで車で送ってくださり、初めてお会いしたのに、話が止まらず、カフェで2時間お茶をして、春には甘南備山登拝をご一緒する約束が生まれた。由子さんとの出逢いも、不思議なみちひらき。
そして、このイベントのお知らせを受け取ることができたのは、和美さんが「残席3名です」のシェアをしてくださったおかげだ。
いつ、どこから、ご縁の種がまかれ、芽吹き、ふくらんでいるのか。
たどることさえ果てしないけれど、頭をからっぽにしていたら、縁が起きる。
飛び込んできたら、心を澄ませて、うけたもうーー!
浜田えみな
