術後6日目の朝。退院を翌日に控え、主治医が回診に来て、カーテンのすきまから、顔をのぞかせる。向かいのベッドのおばあちゃんにも、声をかけている。
先生の見た目は、いまどきの若者という感じで、背が高く、肩幅も広くて、顔が小さく、マスクからのぞく、つぶらなタレ目が愛くるしい。子犬みたいな童顔で、何を話していても、さわやかオーラ! Vネックのドクターユニフォームを着ている姿は、サッカーの練習に向かう学生にしか見えない。先生と話していると、私は、就職して東京で1人暮らしをしている息子を思い出すし、おばあちゃんにしたら、孫みたいなものだと思う。
「傷の様子を見せてください」と言われ、Tシャツをめくって、おへそを出す。
おへその上にも下にも、細身の絆創膏のような縫合テープが、隙間なく何本も貼られていて、傷がどうなっているのかがわからなくて、怖い。しかも、この縫合テープは、信じられない粘着力で、シャワーをあびても、まったくとれないのだ。貼りかえることもない。自然にとれるまでそのままにしておいてくださいと言われている。
傷は、ひきつるような痛みがあるし、おへその下の部分は、赤紫色に腫れて熱を帯び、ふれるといびつな塊がある。明日、退院なのに、どうしたらいいのだろう……と思っていると、触診していた先生が、「膿の袋ができているね。出しておこうか……」と、つぶやいた。
(ええっ)
「よし、出そう。いいですか? 用意します」と、颯爽と出ていく先生。
(いいですか? と言われても……)
(膿を出す……)
(絞り出し? 切開? このまま? ベッドの上で?)
「ちょっと痛いかもしれないですけど、いきますね? いいですか?」
いいですかも何も、やるしかない状況になっている。
膿を出さなければ腫れが引かず、痛みがとれないのならば、出すしかない。
怖いし、いやだけど、無言でうなずく。
「いきますね!」
(きゃ――――――っっっ!!!)
(怖い、怖い、怖い!)
(痛い、痛い、痛い!)
おそらく、おへその下の赤紫に腫れているあたりを、両手でつまんで、絞り出しているのだろう。
(イテテイテテイテテイテテ、痛い、痛い、痛い、痛い!)
(きゃ――――――っっっ!!!)
(NO麻酔――――――っ!!!)
(野戦病院――――――っ!!!)
頭の中に、特番で観た戦時中のドラマの野戦病院の様子が浮かぶ。
麻酔なしで、患者の身体をおさえつけ、暴れないようにして、傷を切り開き、軍医も負傷兵も叫び声と脂汗にまみれて、手当をする凄惨なシーン。
白いベッドとカーテンで仕切られた空間が、粗末なむしろと密林に変わる。
(野戦病院、野戦病院、野戦病院――)
(痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!)
一度声を出したら、叫びっぱなしになりそうなので、必死でこらえる。
膿は、なかなか出し切ることができないようで、場所や角度を変えて、何度も絞り出され、終わる気配がない。
「痛いですよね?」
と、口で言いながら、全く手をゆるめない先生。
(先生は、痛くないですよねっ! 私がどんなに痛いか、先生には、わからないですよねっ!)
(ひぃぃ――――――っっっん、ひんひん……)
(ロープ! ロープ!)
脳内イメージは、野戦病院からプロレスのリングへ。
プロレスなら、ロープをつかんだら、どんな技をかけられていても、ブレイクだ!
(ロープ! ロープ!)
……いくら手を伸ばしても、届かないロープ。
もう、無理―――と思ったころ、ようやく終了。
「終わりましたー」
いつのまにか、おへそには、大きなガーゼがあてられ、幅の広いテープでとめられている。
(その下は、いったいどうなっているの?)
(終わっても、痛いんですけど―――っ)
(前より、痛いんですけど―――っ)
「膿が出ると思いますが、出た方がいいので、どんどん出してください。出なくなったほうが、中でたまってしまって、よくないです。開いて出さないといけなくなるので、しっかり動いて、膿を出してくださいね。ガーゼは、交換してもらうよう、言っておきますから」
「はあ……」
痛くて、声も出ない。膿が出たら、痛みが治ると思ったのに、だまされた。痛い。痛い。痛い。
傷の痛みと、膿の痛みは別だった!
(ひどい……)
「では!」
さわやかに出ていく先生の手にある医療用バット。山盛りに積み上げられた血まみれのガーゼを見てしまい、泣きそうになる。
(ぴょえーーーーーーん)
バットを片手に、向かいのおばあちゃんに、声をかける先生。
「Sさん、次、みますからね。これ、置いてくるので、もう少し待っててくださいね」
「あ、はいはい(笑)」
(笑っている?)
(私、おばあちゃんに、笑われた?)
ぴょえーんだった気持ちが、ふくらんでいく。
おばあちゃんが笑ってくれたのなら、処置された甲斐があったというもの。
おばあちゃんとの距離が近づいたようで、うれしい。
よくやった! えみな。
