突然、「手術で臓器を摘出する」という、想像もしなかった事態に巻き込まれたせいか、手術直後は、ナチュラルハイだった。すべてがポジティブ思考で、しかも、少しネジが狂っていた。
たとえば、おへそから盲腸を出すという説明をきいて、「へそから、盲腸を出産!」というフレーズが浮かび、それがツボにはまって、脳内にリフレインして、やまなかった。
おへそは、胎盤とつながっていただけで、おへそから生まれたわけではないのに、盲腸の手術によって、出産、誕生の新しいフェーズが成立したような錯覚があり、還暦という節目に起きたことが、たまらなく素敵なイニシエーションに思えた。
おなかの傷は痛むし、呼吸も苦しく、頭痛と吐き気で気持ちが悪いのに、なんだかワクワクして、ファンファーレが鳴り響いて、誇らしいような心持ちで、高揚していた。
そのうち、「臓器が失われてしまった」という喪失感が、ひたひたと湧いてきて(こちらが正常な感覚だと思う)、無自覚のうちに行われた手術や、全身麻酔によって、肉体が感じたショックや抵抗が、時間差で甦ったように、絶え間なく打ち寄せてきた。
身体から切除された臓器のぶんだけ、ぽっかりと空いたすきまの、その寒々しさを埋めることができない哀しみと、とりかえしのつかない事が起きたという後悔のループ。
とりかえしのつかない事は、壊死した虫垂や、盲腸や、結腸の一部が切除されたことだけでなく、なんの心の準備もないまま、目覚めたら「おへその形が変わっていた」ことが、すぐには受け止めきれない衝撃だった。これは、いきなり、へその緒が切られることの衝撃と、似ているのかもしれない。
「母親からの分離」「巣立ち」「解放」「自由」という言葉が、混乱の中で浮かんできた。
「おへその形が変わること」と、「母親」は、何も関係がないと思うし、そんなことを感じたことなどなかったのに、失われて初めて、「胎盤とつながっていた証」であることや、「へその緒が外れたときの形」は、とてもパーソナルなもので、存在証明だという気持ちがあらわになり、それが変わってしまったら、母から生まれたことや、元の自分を証明してくれるものが消えて、なんのルーツも持たずに荒野に放り出されたような、これまでに体験したことのない心もとなさに襲われた。盲腸の手術が、アイデンティティの崩壊に至る人なんて、いないだろうけど。
やがて、「生まれ直し」という、新しいおへそを愛でる気持ちが湧いてくる。
ポジティブ思考からネガティブのループ、そして、再びポジティブ思考へと、入院中、さまざまな思いがグルグルと巡った。
思考も感情も身体も、今回の出来事を受容できず、起こったことに動揺していて、統合できずにそれぞれが暴走して、混乱している。
小さな子供の私まで飛び出してきた!
手術に至るまで2日に渡って、がまんして苦しんだあげく、大切な臓器が死んでしまって、切り取られることになり、わけがわからないまま、全身麻酔で死んだようになり、おへそが切り込まれ、切除された臓器が取り出され、傷の痛みと、炎症による感染症と、全身麻酔の副作用で、頭が痛くて、気持ちが悪くて、吐き気が続いて、お腹が痛くて、姿勢を変えるたびに傷がひきつれて、おしっこは出ないし、声が枯れて喉も痛いし、下痢が続くし、夜は眠れないし、おへその形は変わってしまうし、埋められない喪失感でいっぱいだ。
自業自得とはいえ、こんなに痛くて辛くて苦しい私に、(ごほうびがいる!)という気持ちが、むくむくと湧いてきた。
(ごほうびというよりは、慰謝料? 生まれ直しだから、誕生日プレゼント?)
とにかく、身体の中にぽっかりできた隙間を埋める何かが、猛烈に欲しいという気持ちでいっぱいになった。
すごいものじゃなくて、アメとか、アイスクリームとか、きれいな折り紙とか、ちっちゃくてかわいいもの、美しい何か、てのひらに乘るようなささやかなものでいいのだ。
それよりも何よりも、共感したり、ねぎらったりしてくれて、空いた穴を満たしてーーーっ! そうでなければ、潰れそうだからーーーっ! ……というようなことを、布団にもぐって、心の中でリピートしていた。
お見舞いって、そういうことなんだと思った。ぽっかり空いた穴の種類や深さは、人によって違うけれど、ひとりではとうてい埋められない。入院するまでわからなかった。
誰かに何かをねだるような気持ちが炸裂したのは初めてで、そんな自分にびっくりしたけれど、もしかすると、小さいころに封印したものだろうか。
入院中は、眠りのたびに深い場所に潜るらしく、いろんな境界が曖昧になって、つながっている。
統合の旅をしているのだ。
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(予告・仮題)(★印 投稿済)
急性虫垂炎万感(1-長い話を短く前書き)★
急性虫垂炎万感(2-いきなり手術宣言)★
急性虫垂炎万感(3-へその形が変わること)★
急性虫垂炎万感(4-大部屋か個室か)
急性虫垂炎万感(5-野戦病院!?)
急性虫垂炎万感(6-リアル冥界下り)
急性虫垂炎万感(7-大腸のメタファー)
急性虫垂炎万感(8-役に立ったもの)
急性虫垂炎万感(9-家族の見舞い)
急性虫垂炎万感(10-病院食)
急性虫垂炎万感(11-初洗髪・初シャワー)
急性虫垂炎万感(12-原点回帰)
(ごほうび!)のオーダーは、夫にしか話していないのだけど、あまりにも「念」が強かったのか、各所に飛んでいて、いろんなカタチをうけとりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
別の章で、後述します。
浜田えみな
