映画『国宝』に感銘を受けた夫に、「歌舞伎も、人間国宝と呼ばれる人の舞台も、今まで観たことがないから、どう?」と、誘われ、坂東玉三郎さんのトークショーと地唄舞『残月』のチケットを申しこんだ。

これまで、歌舞伎を鑑賞したことがなく、坂東玉三郎さんについては、女形の衣装をまとった、夢のように美しい写真しか知らず、どんな声でお話をされるのかも、想像できなかった。

 

伝統芸能は、二十代の終わりに文楽に魅了され、劇場に通いつめた時期があり、国宝と称される技芸の洗礼を受けた。それは、舞台ごと、観衆ごと、劇場ごと、時空を超える巨大な渦に引き込まれ、タイムワープするような振動に貫かれるもので、幕がおりても、席から立てない体験をした。

 

人間国宝(重用無形文化財保持者)の認定を受けている高齢のかたの評伝や、インタビュー記事を読むと、幼少より、その世界にいて、ふれる機会があり、親元を離れて師匠についた日から、とりまく日常のすべてが技芸の修行となり、厳しく過酷な修練の中で、精神性や品性を磨き、精進し続けた年月の賜物だとわかる。

今の時代、同じような修練を積むことは、おそらく難しく、その技芸を舞台で観じる体験が、どれほど貴重で、かけがえのないものかを痛感する。

残された時間が無尽蔵ではないことの危機感も。

 

 

幕があがり、舞台の中央に、白いスーツ姿の素顔の玉三郎さんが、スポットライトにうかびあがる。遠く離れた2階の客席からでも、謙虚で、たおやかで、凛として、しなやかで、品格と誠実さがあふれ出ていて、お話のあいだじゅう、客席のすみずみにまで、あたたかい手がさしのべられているのを感じた。

 

2021年から始まり、今回で36回目になるとのことで、全国各地で開催されていて、舞台では叶えることのできない交歓……化粧や衣装を通さない「素のつながり」を、玉三郎さんが、どれほど大切にされているかが伝わってきた。

 

トークショーでは、朝のルーチンや、自宅で着ている服装など、日常の風景を語ってくださり、ニューヨークや、ギリシャで撮影された、物語のように美しいフィルムに、言葉を添えてくださった。事前に寄せられた質問に答えてくださるコーナーのあと、「愛の賛歌」を歌い上げる映像が流れ、舞台で歌ってくださっているような振動に包まれた。

 

20分の休憩のあと、いよいよ地歌舞「残月」

 

入場したときに、手渡されたリーフレットによると、娘が夭逝したことを偲んで作られた曲とのことで、玉三郎さんが心を打たれたという歌詞が記されていた。本文には、振付にあたって意図された想いが、綴られていて、読んでいると、蒼い闇に月の光がとどきはじめ、幽玄な舞台が、あの世とこの世の橋渡しの場であるように感じられた。

 

亡くなった人が甦り、語らいの楽しいひとときを過ごしたあと、ぽっかりと浮かび上がる月に、何を想い、何を観るのか。

幕がおりても、その光が灯りつづけている。

 

浜田えみな