書体も、大きさも、墨の色も、筆も、紙も、色も、裕子さんがこれまでに研鑽されてきたすべてを使って、自由に、豊かに、楽しんで、書と対話されているのが伝わってくる。額装もすばらしくて、いつまででも観ていられる。
裕子さんは書道家として、和古さんはご住職として、重ねてきたものやご苦労がある。通じ合い、つながりあう想いが共鳴しあうお二人のお話は、同席していて、深く聴き入ってしまう。
スピプロ10期の学びがなければ、繋がることのなかったご縁が、離れたり、交差したり、並んだりしながら、それぞれの軌道をまわっている。
(本文より)
◆挽きぐるみ蕎麦(ランチ)
◆箸墓古墳(寄り道1)
◆みむろもなか(寄り道2)
◆紫龍書展
*******
◆挽きぐるみ蕎麦(ランチ)
書道家の出井裕子さんが、還暦記念の書展をご自宅で開催されるとのことで、大寂山光源寺のご住職で、多彩な活動をされている米田和古さんと、お祝いに伺う。
光源寺近くの駅で待ち合わせをして、和古さんの車に乗せていただき、まずは、おすすめのお蕎麦屋さんへ。
古民家風の落ち着いたたたずまいのお店で、石臼手挽きの十割蕎麦。しかも、殻ごと挽く「挽きぐるみ」蕎麦が食べられる。
(玄蕎麦!)
正倉院展に行く前に、ならまちにある「玄」という蕎麦屋の「挽きぐるみの蕎麦」が食べたいと思い、時間の都合であきらめたところだったので、イメージしたものが叶う速さに驚く。
〇〇したいな、と、ちらっとでも思ったことが、やがて目の前に現われるのが、本当に速い。
落ち着いたお座敷に案内していただくと、ほどなく、そば茶と、そばせんべいが運ばれてきた。器も素敵で、あたたかいそば茶の香ばしさと、素朴なせんべいに、ほっこりゆるむ。
蕎麦は、切り口(エッジ)が口の中で〈際立ち踊る感じ〉を味わいたいので、冷たい蕎麦のほうがよいのだけれど、秋になり、〈あたたかいお出汁を飲みたい〉という気持ちもあり、迷っていると、「冷たいお蕎麦、あたたかいだし」と書かれた「限定6食 鴨汁そば」というメニューが目に入る。
尋ねてみると、ちょうど2食残っているということで、さっそく注文する。
お蕎麦も、殻ごと挽いた蕎麦と、殻を抜いた蕎麦の両方を頼むと、半分盛りにして、持ってきてくださった。
最初に、抜きの蕎麦が来た。まずは、蕎麦だけで味わう。香りもよく、そのままでもおいしく食べられる。
(いつも「マイ塩」を持ち歩いていて、なんにでもかけている友達がいるのだけど、私も持っていればよかったと思う。塩で食べてみたかった!)
あたたかいお出汁で、冷たいお蕎麦を食べるのは初めてだ。鴨がびっくりするほどやわらかく、ジューシーで、白ねぎは甘くふくよかで、蕎麦とのハーモニーがこのうえなく至福。
念願の玄蕎麦は、大盛を頼んだけど、まだまだ食べられる。
蕎麦湯は、ゆで汁ではなく、蕎麦粉を溶いて作ってくださっているのだと思う。とても濃厚な、まっしろなものが運ばれてきて、滋味滋養を感じる。とろみがあり、鴨と白ねぎが薫る濃い目の出汁にそそいで、味わう。蕎麦湯のお代りも持ってきてくださり、最後まで、あたたかく飲み干す。
◆箸墓古墳(寄り道1)
名残惜しくお店を出て、走りだした車の中で、和古さんが付近の案内をしてくださる。私は、どこにいるのか、どこを走っているのか、ぜんぜんわからないのだけど、あたりは、古墳だらけらしい。
邪馬台国の卑弥呼の墓という説がある「箸墓古墳」も近くだということで、案内してくださる。
前から見ると、こんもりとした小山にしか見えないけれど、航空写真で見ると、美しい「前方後円墳」の形をしている。前方後円墳は、鍵穴の形に似ている。車で古墳のまわりを走っていると、拝所があるのが見え、和古さんもお詣りしたことがないというので、行ってみることに。
駐車場に車をとめて、稲刈りが終わったばかりの、のどかな田んぼの畔道を歩いていく。航空写真で確認すると、拝所の場所は、鍵穴の底辺の真ん中なので、お墓の縁を歩いていることになる。
見上げるご神域の森は、大切なものを守っていることが感じられる。こころなしか、空まで突き抜けて、次元がちがう。
京都よりも、さらに遡る歴史を刻み、重ね、その遺構を横たえる奈良の地は、見えないものと見えるものが、近しく結びついていた時代の気配を感じる。
◆みむろもなか(寄り道2)
箸墓古墳を後にして、道路を走っていると、大神神社の参道と大きな鳥居が見えてきた。
三輪駅は、参道の途中にあるので、電車で訪れる人は、この鳥居をくぐれない。初めて目にした。
過去に大神大社を参拝したときのことを話しているうち、和古さんが、名物の「みむろ」というもなかのことを教えてくださり、「行く?」と誘ってくれたので、勢いで買いに行く。
出井裕子さんの書展が目的なのに、寄り道ばかりの私たち。
あとで地図を見てわかったのだことは、待ち合わせをした田原本の駅から、裕子さんの家までは、そんなに遠くない。ところが、反対方向にある天理市柳本にあるお蕎麦屋さんに行き、桜井市箸中にある箸墓古墳に行き、拝所でお詣りをして、さらに三輪にある大神大社の参道に入って、みむろもなかを買いに行くという、どんどん離れていくルートで、ぐるっと大回りをしていて、お天気もよいし、エネルギーは高いし、楽しくて、すっかり大和まほろばリトリート。
◆紫龍書展
予定時刻を大幅に超えて、裕子さんの家の付近に到着したものの、住宅街なので目印が見つけられず、迷子になって、ぐるぐる。
ようやく、会場に到着。
お玄関で出迎えてくれるのは、「昇龍」の力強い書。
ご自宅での書展開催ということで、おもてなしの心が随所にゆきとどいた、あたたかい空間の中に、さまざまな書作品がちりばめられている。
書体も、大きさも、墨の色も、筆も、紙も、色も、裕子さんがこれまでに研鑽されてきたすべてを使って、自由に、豊かに、楽しんで、書と対話されているのが伝わってくる。額装もすばらしくて、いつまででも観ていられる。
生徒さんの作品が展示されているお部屋もあり、作品から声が聴こえてきそうなほどだった。
裕子さんは書道家として、和古さんはご住職として、重ねてきたものやご苦労がある。通じ合い、つながりあう想いが共鳴しあうお二人のお話は、同席していて、深く聴き入ってしまう。
裕子さんと私は、学年が同じ。わこさんと私は、生まれ年が同じで、何度も聴いて、何度もびっくりしていることかもしれないけれど、すぐに忘れてしまうので、
「えーーーーっ もっと若いと思っていた!」
と、声をそろえて叫んだあと、(同じ年なんや~ わーい)と、同窓会気分で距離が縮まる。
一足先に還暦をむかえられ、大きな節目を超えられた裕子さんと、イベントに参加され、新しい扉がひらく体験をされたばかりの和古さんの、晴れやかな笑顔がキラキラして、来年2月にやってくる60歳という節目を、どんなふうに迎えるか、どう超えたいかを見据えて、準備をしていこう! という気持ちになる。
スピプロ10期の学びがなければ、繋がることのなかったご縁が、離れたり、交差したり、並んだりしながら、それぞれの軌道をまわっている。同期の仲間は「魂の縁者」だと、綜海さんがおっしゃっていた言葉を、いつも思い出す。
書展会場では、裕子さんの娘さんが、お茶を出してくださったり、お客様のおもてなしをされたりしていて、笑顔がとっても素敵で、いてくださるだけで場が華やぐ感じ。
三人での記念写真も、たくさん撮ってくださった。
和古さん 裕子さん 素敵な時間を、ありがとうございます。
浜田えみな














