(ほんとうに?)

「決める」ことの強さって、こういうことなのだと、実感する。
無敵のバリアで守られたように、何にも侵されない道が、まっすぐに通る。

(本文より)

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◆自立支援医療制度

ケアマネージャーのOさんから、父の介護体制について「提案があるのよ。今、いる?」と、電話がかかってきて、資料を持ってきてくださったのは、いつだっただろう。

「医療でデイケアが受けられるから、すごく安いのよ。私も初めて知ったの!」

と力説されたのだけど、「医療でデイケアが受けられる」という意味がわからなかった。

今、父が支払っているデイサービスの経費は、「介護保険制度」の適用を受け、介護度に応じた支給限度額を超えた分は、全額自己負担している。

現在、支給限度額ギリギリ(たまに少し超える)で週6日間デイサービスを利用しているため、新たに増えたレンタル手すりの利用料は、既に全額自己負担となっているため、今後、ショートステイの利用をすると、ますます経費がふくらんでいく。

そこで、今、「介護保険」で利用しているデイサービスを、「医療保険」の適用を受ける自立支援医療デイケアに変更すれば、「介護保険」の支給限度額に余裕ができるので、その分で、介護用品レンタルとショートステイを利用して、月々の経費負担を抑えよう! という提案だった。

そのクリニックは隣の市にあり、心療内科・精神科・リハビリテーション科の診療と、認知症の診察、精神科デイケア及び重度認知症デイケアの施設を備えている。
精神科でデイケア施設を備えているところは、なかなかないとのこと。

「自立支援医療制度」で検索すると、厚生労働省のHPに概要が掲載されていた。
クリニックに電話をかけ、デイケアを利用したい旨と経緯を伝えると、「受給者証」の交付に係る手続きなどを教えてくださり、施設利用の可否については、「重度認知症デイケア」は、ほぼ定員で、「精神科デイケア」のほうに若干空きがあるが、どちらでデイケアを利用するかは、診察してからの決定になるとのことで、一度見学に来られてはどうかと言っていただき、伺うことにする。

◆施設見学

父の家から、電車とバスを乗り継ぎ、45分ほどで到着。
クリニックの受付のかたも、デイケアの担当のかたも、とても親切で、ていねいに説明をしてくださった。

重度認知症デイケアのフロアは、ちょうど歌と簡単な手遊びをしているところで、とてもにぎやか。みなさん、楽しそうに身体を動かしておられた。
精神科デイケアのフロアは、みなさん無表情な感じで、静かに、黙々と作業(塗り絵?)をしている時間だったので、対照的だ。

その後、面接室のようなところで、手続きの説明をしてくださった。
まずは、新規で利用する場合は、診察を受け、どちらのデイケアを利用するかを判断していただき、5回のお試し利用をしたのち、問題がなければ、利用決定となり、受給者証の申請に必要な診断書を交付(有料)してくださるので、まずは、居住地の市の担当課に提出するとのこと。
決定は大阪府が行う。

指定医療機関の一覧に、現在、父が診てもらっている脳神経外科の先生のクリニックも載っていたので、受給者証の申請に必要な診断書を作成してもらえることがわかった。

「自立支援医療制度」の自己負担限度額は、住民税の金額によって段階があり、お薬とデイケアの利用で、父の場合は、ひと月1万円なので、かなり安い。
これまでに8年ほどデイサービスを利用しているので、最初からこの施設を利用していれば、数百万の節約!

ただ、デイケアの利用時間が9:00~15:00と短いため、仕事をしながらの利用は難しい。
また、父は、最近、昼間にウトウトすることが増えているので、その場合に眠れるベッドなどがあるかどうかを尋ねたところ、「精神医療ケアの施設のため、生活改善の観点から、昼間は起きて活動することが基本なので、体調不良時以外に眠るための場所はないです」とのこと。
介護施設と医療施設の違いを感じる。

資料とデイケアの利用申込書一式をいただき、御礼を言って、施設をあとにする。
帰宅してから、受給者証の申請窓口となる市の担当課と、大阪府の担当課に電話をかけて、不明点などを確認した。

そのときに、精神医療の自立支援制度のため、認知症の場合、必ずしも受給者証が交付されるわけではないと教えていただく。
父の場合は、妄想、幻覚、暴言、暴力行為、てんかんなどがあり、薬が処方されていると伝えると、それであれば大丈夫かもしれないとのこと。

主治医に診断書を書いていただくのも経費がかかるので、今後のショートステイとデイサービスの利用日数によって、申請するかどうかケアマネージャーのOさんと相談する。

◆ショートステイチャレンジ

 



玄関から庭先までの手すりの支柱に、施したセメントが乾くまでの間、触ってはいけない理由がわからず、【絶対に触ってしまう認知症の父】の隔離のためのショートステイ。

まずは、父が馴染むかどうかチャレンジをする。
契約時に、施設担当者のBさんから「利用にあたってのお願い」という、留意事項や持ち物一式が書かれたしおりをいただいているので、それを見ながら準備をする。

衣類、洗面具、薬。すべてに名前を記入
黒っぽい色の靴下だと、マジックで書いた文字がぜんぜん見えない!
歯ブラシの軸が細すぎて、名前を書くのが大変!

(お名前シールや、アイロンシールがいる!)

介護職の友達が、昨年の夏ごろに、

「子どものころ、親が持ち物ぜんぶに名前を書いてくれたよね。年取って施設行くようになるとさ、今度は自分が、持ち物ぜんぶに親の名前を書くんだよ。おむつとかにもね」

と言うのを聴いたとき、なんだか胸がいっぱいになったことを思い出す。私は、2人の子どもを1歳になる前から保育園に預けていたので、毎日、その日に使う紙おむつに名前を書いていた。

(紙おむつに、親の名前を記す……)

そのときの気持ちを想像する前に、本能的に、感情がシャットダウンした。
だから、今回、初めて体験している。

紙おむつは利用料に含まれているとのことで、持参が不要だったため、父の名前を記入してはいない。
だけど、衣服や持ち物すべてに名前を書き、お泊りセットを準備している気持ちを、いったいなんと表せばよいのか。

*****

当日の朝、お迎えの時間が、デイサービスより1時間15分も遅いので、父をなだめるのに一苦労。

「今日は、9時15分に迎えが来るからね」と何度伝えても、朝5時30分からごはんを食べて、トイレに行くたびにズボンやジャージの前を汚す。
だんだん、はかせるものがなくなっていくので、やきもきする。
すぐに洗濯をして、日当たりのいい場所に干しておく。

いつもは、7時ごろから、玄関先の椅子に座って、庭木を眺めながら、デイサービスの迎えの車が来るのを待っている父。

最近は、家の中でも場所がわからなくなることが増えた。先日、トイレに行く途中で、何をしようとしていたのかわからなったようで、せっかく廊下まで歩いたのに、向きを変えて、寝室に戻りそうになる姿を目撃して、あわてて声をかけて、トイレに誘導した。
これまで、何度か、台所や廊下に、水たまりができていることがあったのは、うろうろしているうちにもらしてしまったのかもしれない。

そんな父は、ショートステイチャレンジのこの日、玄関先で車を待つ習慣を忘れてしまったのか、夜中に起きていたので疲れたのか、トイレのあと、ベッドに戻って横になった。

9時前になったので、声をかけると起き上がり、汗をかいたのか、「着替える」と言い出したので、上半身の服を着替えた。ふだんは、いくら私が声をかけても着替えたがらず、おふろも嫌がるのに、どういう具合なのだろう。
ともかく、洗い立ての服で、施設に行ってもらうことができて、うれしい。

9時15分にBさんが来られたので、1泊2日分のお泊りセットの中身と、薬の説明をする。
無事にお泊りできれば、帰宅は翌日の16時ごろの予定。

夕方、帰宅願望が強くなり、なだめても無理な場合は、16時30分~17時に帰宅することになると、説明を受ける。その場合、必ず、事前に連絡がある。

午後から、自立支援医療制度の対象施設の見学に行くため、すぐに出られないこともあるかもしれないけれど、夕方は必ず家にいると伝える。

父はよくわかっていないし、すぐに忘れるので黙っておこうと思ったけれど、一応、

「おとうさん、今日は、泊まりの仕事だからね」

と耳元に伝える。返事はなし。私の気持ちの問題だ。

(伝えたからね)

◆お泊り成功

 



16時ごろから、そわそわ。
時計ばかり見ている。帰ってきてもいいように、ごはんもおかずもある。父の好きな肉じゃがだ。
時計が16時半を指す。電話はない。40分。45分。50分。17時。

(クリア?)

17時10分。15分。25分……

(クリア?)

施設に確認しようかどうか迷いながら、本当に帰ってこないのだろうかと半信半疑でいたら、18時ごろ、ケアマネージャーのOさんから電話がかかってきた。

「大丈夫みたいよ。私も心配で電話をかけたら、今、テレビ見てるって」

どうやら、おとなしくしている様子。暴れたり、騒いだりしていない様子。

それはもう、どこにいるのかもわからなくなっている状態なのだと思ったけれど、なぜか、脳裏に浮かんだ光景は、父が、ほかの施設利用者のおじいさんやおばあさんと、ニコニコしてテレビを見ている光景

実際はどうなのかわからないけれど、父と利用者さんたちが、談笑している光景も浮かんできた。
それは、

(家にいるより、ずっといい感じ)

そんなことを感じて、ちょっとほっこりしていたら、

「週3日利用している利用者さんが、入院することになってベッドが空いたので、お父さんがこのままいられるのだったら、来週の木曜日まで延長できるって。どうする?」

とOさん。
1泊もできないかもしれないと思っていたのに、いきなり7泊8日の可能性が登場した。

(…………)

もちろん、これからも父の自宅介護をしないでいいなら、すごくありがたいけれど、1週間も施設で過ごしたら、自宅に戻ったときに、父は今できていたことができなくなるのではないか? という不安が大きい。

1人で立てない、歩けない、トイレに行けない、何から何まで介助が必要……となり、これまでよりも自宅介護の負担が増えたら、とても、とても困る。

(どうしたものか……)
(3日くらいにしておこうか……)


などと気持ちが揺れ、思いきれずにいたのだけど、

(ギックリ腰!)

そう、私は「ギックリ腰」
朝から、苦労して背中と腰にシップを貼り、ロキソニンを飲んで、ごろごろしていたのだ。
この状態で、父の介護は無理だとわかり、そのための天啓だと感じる。

「いままで、頑張ったのだから、ゆっくり休んだらいいよ」

と、Oさんに言っていただき、いきなり7泊8日のショートステイが実現するかも!? という状況に突入。
もちろん、父が帰りたいと騒いだ時点で終了だけど、びっくりするような展開。

(ほんとうに?)

「決める」ことの強さって、こういうことなのだと、実感する。
無敵のバリアで守られたように、何にも侵されない道が、まっすぐに通る。


父が不在の夜は、昨年のコロナ入院の時以来だ。

(静か)

(父が起き出した音に耳をそばだて、廊下に出て、手すり誘導のスタンバイをしなくてもいい)
(トイレが終わったあとのズボンに目をやり、濡れていないか確かめなくていい)
(濡れていたら、うまく誘導して着替えさせなくていい)
(洗濯ばかりしなくていい)
(一晩に何度も、それをしなくていい)

(ドアの向こう、廊下の向こう、家のどこにも、人の気配のない静けさ)
(物音が聴こえないだけでなく、気配を感じない、体感の静けさ)


それを、しんしんと感じて、

(うわぁ~ ほんとにいないわぁ~)

と思う。
夜中に何度も目が覚め、家じゅうのすみずみに浸透する静けさ

(いないわぁ~)

と感じ、布団にもぐったまま、目をとじる。その繰り返し。

朝も、何もしなくていい。
自分のことだけでいい。


美容院の予約をしていたので、ギックリ腰だけど、がんばって行く。
郵便局で振込をしたかったけど、400メートルを歩く元気がなく(マップで距離を測定)、まっすぐ帰宅。

ギックリ腰の原因は、メンタルだろうと予測する。
たとえショートステイでも、施設で預かってもらうという決断は、じつはすごく大きなエネルギーで、頭では何事もないと思っていても、見えない部分で、大きな衝撃波となって、どかんとぶちこまれる。

体験したので、わかったことがある。
これまで、さまざまな事情で、ご自身では介護できない状況があり、ご両親のどちらかや、あるいは二人ともを、施設に入所されている方とお話すると、みなさん晴れ晴れとした顔で、歓びと感謝を語られる。だから、

(いいところが見つかっていいなあ~)

と、心からうらやましく思っていた。
安心されているだろうと思ったし、その決断に、なんら思い煩うことはないと感じていた。

でも、そんなことはないとわかった。
ショートステイのお試しチャレンジでも、ギックリ腰になるような打撃があるのだから、施設入所の決断は、その比ではないだろう。のちのち、笑顔で話せる日が来るとしても……。

介護にまつわるさまざまなことは、どれも大きな決断だ。
すべての感情を共有したり、あるいはわかちあえる家族の存在が、必要だと感じる。
そして、ケアマネージャーさんや、施設関係者のかたたちの存在
ひとりでは耐えられない。
病気療養者の看護や、高齢者の介護は特に。

昔ながらの三世代同居で、孫やひ孫の声を聴きながら、終日を迎えられる幸せ
そんなあたりまえのことが、現在では難しくなっている。
私の祖父母は、父方も母方も、田舎の家で、お嫁さんに世話をしてもらい、孫やひ孫の声を聴きながら亡くなっている。ご先祖様の大きなお守りがあるのだと思う。

父にも、人に恵まれるご縁や徳があるようなので、あたたかい人たちとともに、心おだやかに、すこやかに、過ごしてほしいと願う。

とりあえず、何事もなければ、お泊りを続け、木曜日の夕方に帰宅。
戻ってきたときにどんなふうになっているかは、そのときにならないとわからないので、考えない。翌朝の8時にデイサービスの迎えが来るまで、なんとかする。

父が不在の間に、やっておくことは山のようにあるのだけど、ギックリ腰で思うように動けなくて、がっかりだ。
でも、ギックリ腰でなかったら、延長を頼まなかったかもしれないので、ここは、すべてを流れにゆだねる。

(なんとかなる)

◆剪定問題

父の足腰が弱ったため、剪定ができていない植栽の繁茂がすごい。
父がなぜか、バリケートのようにして、ふさいでしまった横庭のバラが巨大化して、2階の窓に届いている。細長い庭は、歩く部分がないほど、雑草か何かわからない植物に覆われている。
いったいどうしたらいいのだか。

メインの庭も、大きな松の新芽?がぼうぼうに伸び、あじさいが広がり、金柑がとんでもないことになり、わけのわからない雑草が元気いっぱい。
主人に、ホームセンターで高枝切りバサミや、水まき用のホースリール(元からあるものが劣化したため)など、いろいろ買ってきてもらい、最低限のお世話をする予定。
手すり工事をするのに邪魔になる草木の刈込も。

放っておくと、あっというまにジャングル化しそうで、怖い(いや、すでになっている)。
どうして、昔の一戸建ての庭には、こんなにたくさんの植栽があるのだろう。
介護の動画とあわせて、剪定のやりかたの動画も見始めたものの……

(やりたくない)
(たぶん、しない)

 



浜田えみな

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