(なぜ、曼荼羅は、すごいと言われているのだろう?)

(その秘密はどこにあるのだろう?)

 

教えを極めた高僧だけに浮かび上がる、ホログラムのようなものがあるのだと、想像していた。

 

ところが! 逆だった。

 

教えを極めた高僧にしか、ひもとけない奥義や、経典の内容を、一目でわかるように表したものが曼荼羅だった。

なんの学も持たない庶民が、見るだけで、その世界に入っていけるようにしたものが曼荼羅だった。

 

(本文より)

 

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奈良国立博物館で開催されている「空海生誕1250年記念特別展 空海KŪKAI」に行ってきた。

どれも貴重かつレア。1200年前に生きていた人が、実際に書いたものや、唐から持ち帰ったものが現存し、観ることができる奇跡。これだけ一同に集めて展示される機会は、もうないかもしれない。

 

公式サイトの「展示品一覧」を見ると、展示期間がわかる。前半だけものや、後半だけのものがある。一度しか行けないなら、じっくり眺めて、行く時期を決める。

 

これは絶対観たい! と思ってチェックした筆頭が、金剛峯寺が所蔵する平安時代の「両界曼荼羅(血曼荼羅)」だ。この曼荼羅は、平清盛が描かせたもので、胎蔵界曼荼羅の中心に坐する大日如来の冠が、清盛の血をまぜた絵の具で塗られているというのだ。

 

彩色された両界曼荼羅で一番古いものとされているし、平清盛の血云々の謂われもすごいし、国宝だし、本物を観たい! と思ったのだけど、空海展に行くまで、私は、「両界曼荼羅」がどういうものなのか、全くわかっていなかった。

 

著名な寺の春や秋の特別公開で、仰々しく展示されているものを観ても、

(仏様がいっぱい)

(かすれて、ぼんやりしていてよく見えない)

という感想しかなく、「胎蔵界」「金剛界」の違いも知らず、同時代の仏像や彫像に出逢うほどには、心が動かされずにいた。

 

(なぜ、曼荼羅は、すごいと言われているのだろう?)

(その秘密はどこにあるのだろう?)

と思い、教えを極めた高僧だけに浮かび上がる、ホログラムのようなものがあるのだと、想像していた。

 

ところが! 逆だった。

 

教えを極めた高僧にしか、ひもとけない奥義や、経典の内容を、一目でわかるように表したものが曼荼羅だった。

なんの学も持たない庶民が、見るだけで、その世界に入っていけるようにしたものが曼荼羅だった。

 

空海展では、曼荼羅に描かれた世界を、さらにイメージしやすいよう、両界曼荼羅が掲げられた、広い展示室に、大日如来ほか4尊を立体的に配置している。

 

また、展示に添えたボードで、「胎蔵界曼荼羅」「金剛界曼荼羅」のそれぞれを、矢印や色分けなどで図解し、子どもにもわかるように、とってもフランクな話し言葉で教えてくれている。

このボードのおかげで、両者の違いがわかったし、2つで1つだということもわかった。


描かれている小さな仏さまは、その他大勢に見えていたけれど、すべてにお名前と役割があり、グループによって役割がある。

わかるって、なんて、わくわくするのだろう。

 

血曼荼羅とされる胎蔵界曼荼羅は、その大きさも「圧巻」だった。とにかく、初めて見る大きさで、こんなに大きかったのだと、感銘を受ける。一辺が約4メートル。

 

その下に立ち、見上げていると、大日如来を中心として、放射円状にひろがる、414尊のネットワークが、燦然とまたたいていて、おしみなく、やむことなく、降り注がれるエネルギーを感じる。

 

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もっとすごい曼荼羅がある。

2016年から6年に渡る修復の後、初めて一般公開される両界曼荼羅だ

 

これは、空海が唐で師匠の恵果から授けられた曼荼羅の図様をもとに、天長年間(824~833)に描かれたと考えられていて、空海が直接制作に関わった現存唯一(しかも最古)の両界曼荼羅で、高雄山神護寺に伝わることから「高雄曼荼羅」と呼ばれている。

前期では「胎蔵界曼荼羅」、後期で「金剛界曼荼羅」が展示される。

 

こちらも一辺が約4メートル。肉眼では、その繊細で優美な筆致や、ていねいに描かれた表情や、指先、装飾品などを、はっきりと見ることはできないけれど、目で見えなくても感じられる、別格の迫力が、確かに伝わってくる。

 

展示の中で、両界曼荼羅のほかに、長い時間、動けずにいたのは、空海のさまざまな肉筆の書状と、「諸尊仏龕」という三面開きの仏龕だ。

「諸尊仏龕」は、空海が、師の惠果から受け継ぎ、唐から持ち帰った品で、常に身の回りに置いて礼拝したとのこと。

敬愛する師の形見の品は、さぞ大切だっただろう。空海の体温さえ感じられそうだった。

 

書状の筆文字は、とめはねや、筆の運び、文字と文字との感覚などから、書いたときの心持ちや、息づかいが感じられる気がする。

この文字たちは、筆を通じて、確かに空海と、繋がっていたのだ。

 

驚いたのは、曼荼羅に描かれている仏様たちの、詳細な図像。空海は、仏様たちの図像も書き写して持ち帰っていた。それがあったから、ほんとうに忠実に、最初の両界曼荼羅は制作されたのだ。

 

(1200年前のものが、目の前にある)

(何を観ても、すごい。何から何まですごい)

 

途中から、ざわざわとなだれこんできた、修学旅行または遠足の学生集団にも負けず、何往復もして、ひたりきる。

 

館内は、正倉院展ほどではないものの、かなりの人口密度だったのに、出口を抜けると、設置してある写真撮影用のブースで写真を撮る人の姿はなく、ミュージアムショップのレジにも列がない。

空海グッズを購入する人は、あまりいないらしい。

 

 

「鹿」がプリントされているシャツを着てきたので、記念に自撮り。

 

図録を買おうかどうか迷った末、資料や読み物として、手元に置きたいと思って、購入。

厚さ約2.5センチ。重い!

 

 

 

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空海展が展示されているのは新館で、明治28年4月に帝国奈良博物館として開館した建物は、「なら仏像館」となっていて、空海展のチケットで、入場できる。ミュージアムショップや、トイレ、休憩処が設けられている地下通路で、往き来ができる。

 

この日、仏像館では、吉野の金峯山寺の仁王門に安置されている金剛力士立像が公開されていた。

その大きさに目を見張る。東大寺南大門の金剛力士像に次ぐ大きさだそうだ。

 

 

 

 

 

門の中に安置されていると、網目越しの薄暗がりなので、こんなに明るい展示室で、光の中にさらされていると、逆に、本物に見えないのが不思議。テーマパークにいるようだ。

門の中では、よく見ることができない、足元や後ろ側なども、しっかり観た。

 

 

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到着したころは、やや曇り空だったけれど、午後からは、暑いほどの晴れ。奈良公園は、外国人の旅行者だらけ。鹿だらけ。若草山も、空も、猿沢の池も、みんな、きらきら。ぴかぴか。

 

 

 

 

 

いろいろまわりたいけれど、時間がないので、まっすぐ帰る。

興福寺の五重塔が修復工事をしていたので、驚く。

 

 

奈良を訪れた外国の人や、修学旅行の学生さんたちは、さぞがっかりしただろう。

 

 

まっすぐ帰るといいつつ、奈良に来るといつも、パッケージがかわいい「季節限定」のドリップパックと、「みちひらき」というドリップパックを買うために、猿沢の池の近くにある猿田彦珈琲に立ち寄る。

ならまちというエリアにある、猿田彦神社にも、お詣りする。

 

今回は、季節限定のドリップパックが「マザーズデイブレンド」で、あまりにも季節限定なので見送り、お約束の「みちひらき」ブレンドだけを買う。

このブレンドは、ここぞという日の朝に飲んだり、ボトルに入れて持っていって飲んだりする。

タイミングがあえば、あげたい人にプレゼントする。

 

扉がひらいていく。

 

 

浜田えみな

 

→ このあと、大変なことに!! つづきます。