私にとって、「温泉」とは何だろう? と思って、昔のブログをながめていたら、
〈わたしにとっての「温泉(ゆ)」は、「自分のマグマとつながる場所」だ〉
という一文を見つけた。
それから、こんな文章も。
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ゆっくり時間をかけて自分の中から治癒力が引き出されていく。
自分のマグマとつながっていく。
対話しながら、答えがひもとかれる。
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◆「きみトモ温泉」の入り方
①浜田えみな作『きみのトモダチ』を読む♨(郵送します)
②とびだしてくる子に逢う♨
③名前をつける♨
④どんな子だったか描ける人は描く♨
⑤浜田えみなに教えてくれる♨(メッセンジャー)
⑥日程調整の上、zoomによる温泉タイム♨
・名付けた名前について
・とびだしてきた子について
・そのほかいろいろ
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「きみのトモダチ」は、その人の心の中にいて、「ずっと手をつなぎたがっているもの」と出逢う物語です。
トモダチの姿をしているので、名前を呼ぶことができます。
その名前は、何を伝えてくれるのでしょう。
1993年9月に物語を書いたとき。
2015年12月に「物語の森」の展示をしたとき。
そして、今、2023年5月。
物語は、さらに深いレイヤーへ。
生きているものはみんな、自分で自分のことを大丈夫にする力があり、それを湧き出させたら、いつでも湯治ができます。
(自分の中からあふれだした治癒のエネルギーに包まれる体感)
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「じぶん温泉」(初出 2010.11.29 アメブロ・FC2)
言葉では、伝えることができない。
目に見えるものなら、見せてあげられる。
形あるものは、ふれてもらえる。
でも、自分の内側から、つきあげ、湧きおこり、あふれだしてとまらない“その感じ” は、
体感してもらうしか、伝えるすべがない。
いくら、言葉をつくして表現しても、内から、みたされ、あふれ、循環する“その感じ”は、
なってみないと、わからない。
教えてあげることも、説明することもできない。
代わりに感じてもらうこともできない。
言葉で伝えきれるものでは、ないから。
言葉でわかってもらうものでは、ないから。
こんなにライブでリアルなのに。
(じぶん温泉)
気づいてもらうことはできないか?
ボーリングを手伝うことはできないか?
へその緒が切られた瞬間に、生涯を生きぬいていくだけの、生命エネルギーが点火するという。
その火は、いつも、消えることなく燃えていて、自己治癒力や、内在力という、じぶん温泉の源泉をあたためている。
温泉になど行かなくても、いつも、のぞきこめる場所に、とうとうと、みたしておくことができたなら。
琴線にふれていくことで、そのひとの源泉の、場所と深みに近づいていけないか?
湧きだす最後のきっかけが、わたしの文章だったらうれしい。
あふれだしたら、あとはもう、たたえておくだけ。心に、からだに。
とびこんでみるだけ。つむじから、つまさきまで。
(じぶん温泉、かけ流し)
元気になれて、素直になれて、笑顔になれて、やさしくなれる。
どこにもいかなくても、こころの淵から、のぞきこんでみるだけで、たえまなく湧きだしていることがわかる。
ゆたかに、あふれだしていることがわかる。
目をとじて、みたされていくだけ。
両手にうけて、さしだしていくだけ。
(じぶん温泉)
あふれだすまで、わからなかった。
自分のなかに温泉があることを。
そうなるまで、きづかなかった。
自分で癒せばいいことを。
(じぶん温泉)
キャッチフレーズにしようと思った。
ココロにいつも“じぶん温泉”
いつからでも。だれにでも。
どんなときでも。どこででも!
(ゆ)
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それぞれにそれぞれの湯治場と泉質があります。
じぶん温泉に出逢えたら、尽きることのない、かけ流し。
二つの温泉がまじりあう〈いっしょに温泉〉のひとときを、楽しみにしています。
浜田えみな
画像は、旅する絵描き 木の葉堂 白澤裕子さんに、初めてオーダーして描いていただいた、私の湯治場です。
最初はひとりで入っていたと思うのですが、いまや、森のおふろやさんに(笑)
「じぶん温泉かけ流し ~つきのしずくが落ちたら~」
ハート温泉について
私のトモダチについて





