小さなお米つぶたちが、いっせいに、クスクス、うきゃうきゃ、笑い転げている中に入って、耳元をくすぐるような笑いの渦の中で、こちょこちょこそばしあって、思い思いにブレイクダンスしている感じ。

 

そんなことをしたことはないけれど、イメージの中で、私はお米たちと遊んでいて、その高揚を感じたまま、水の中でお米粒たちにふれる。

 

(ちゃめっけたっぷりなお米粒たち)

 

そんなふうにハートとつながって、お米にふれて炊きあがったごはんは、いったい、どんな味がするのだろう。

 

(くすくす笑い転げて炊きあがるごはんを、私と家族は、ずっと食べ損ねていたことに気がつく)

(これからは、話しかけずにはいられなくなる)

 

(本文より)

**************

 

ヒツキアメツチを主宰されている大橋和(なごみ)さんが、米子から山根美穂さんを招いてくださり、ミキをつくるワークショップを開催してくださった。

 

たくさんの人が集まる場は、子どものころから苦手で、オンラインでも対面でも緊張してしまう。
サロンに着いて、扉を開けていただくと、玄関には靴がなく、まさかの一番乗り。

 

Uターンして、みんなが来るまで外で待っていたい気持ちでいっぱいだけど、そんなおかしなことをするわけにもいかず、おそるおそる中に入らせていただくと、ハルモニウムが置いてあるのが目に入り、たちまち、うれしくなる。

 

ほどなく、美穂さんのやわらかで伸びやかな歌声が聞こえてきて、お話したこともない美穂さんのことが大好きになる。

 

近くで、ハルモニウムを見るのは、初めてだ。

 

(撮影:大橋和さん)

 

サロンには、光がいっぱいに差しこんで、風が通り、みんなが来るまで、すぐ前に座って、蛇腹の開閉によってゆらぐハルモニウムと、透き通るマントラの調べを、いっぱいに浴びていると、とても心地よくて目をとじる。

 

だんだん、みんながそろってきて、輪になって座る。

和さんと美穂さんのお言葉をいただく。

マントラの音の意味を教えていただき、みんなで声を合わせる。

 

前日に、和さんから、「自分の身体にいる」ということが、とても大事だと教えていただいていたのに、

 

(歌詞を覚えなきゃ)

(メロディを覚えなきゃ)

(リズムを覚えなきゃ)

 

ということで頭がいっぱいになって、身体が置き去りに。

 

和さんが、背中に手をあててくださったから、そのことに気がついた。

後ろからハグしてくださったのか、背中一面があたたかくなり、そのやわらかな感覚に、

 

(わたし、ここに、いる)

 

と気がつく。

自分の輪郭(かたち)を、和さんがふれてくださっていることで感じる。

 

(自分のことを、おしえてくれるのは、そばにいてくれる人)

 

****

 

奄美大島に住む人々に飲まれていて、ご神事に奉納されているという「ミキ」については、名前を聴いたことがあるくらいで、飲んだこともなく、作り方も知らなかった。

 

材料は、水と米とさつまいもで、作り方もシンプル。

でも、ひとつひとつの瞬間が、五感を通じて、神様とつながるご神事に思えた。

 

たとえば、お米を「研ぐ」。 お米を「洗う」

 

美穂さんが教えてくださったのは、そのどちらでもなく、

お米を「感じる」。お米と「話す」。お米の声を「聴く」。お米と「歌う」。お米と「笑う」

 

または、いのちを。または、ひかりを。

 

(お米とつながる)

(いのちとつながる)

(ひかりとつながる)

 

そんなふうに感じた。

つながるのは、「ハート」だと、話してくださった。

 

ほんとうに、やさしく、いとおしく、対話するように、てのひらにつつみこみ、すべてのお米粒とお話されるように、つながっていらした。

 

ひとりひとり、順番にお米にふれさせてもらう。

流し台の前に立ち、水を張ったボウルで、じっと待っているお米粒に手を差し入れ、てのひらに包み込んだとき……

 

傍に立つ美穂さんに感じられ、伝えたくなるものが、それぞれ違うのだそうだ。

 

美穂さんのことばかけによって、そのひとのなかから引き出されていくものが、いっぱいにひろがって、あふれだしていく

 

(その気配を、見守っている)

 

私が、伝えてもらったポイントは、

 

(お米たちの無邪気さ)

 

小さなお米つぶたちが、いっせいに、クスクス、うきゃうきゃ、笑い転げている中に入って、耳元をくすぐるような笑いの渦の中で、こちょこちょこそばしあって、思い思いにブレイクダンスしている感じ。

 

そんなことをしたことはないけれど、イメージの中で、私はお米たちと遊んでいて、その高揚を感じたまま、水の中でお米粒たちにふれる。

 

(ちゃめっけたっぷりなお米粒たち)

 

そんなふうにハートとつながって、お米にふれて炊きあがったごはんは、いったい、どんな味がするのだろう。

 

(くすくす笑い転げて炊きあがるごはんを、私と家族は、ずっと食べ損ねていたことに気がつく)

(これからは、話しかけずにはいられなくなる)

 

乾いたお米に最初に浸す水は、とても大事だと教えていただいた。

 

いままでみたいに、じゃーって水を入れるのではなく、言葉をかけようと思う。

炊飯を、自分のハートとつながる機会にしようと思う。

お米粒たちの話を、聴いてみようと思う。

 

おかゆを焚いていると、ガスの火が燃える音に、おなべの中の水が沸騰をはじめる音が重なり、その音は、水の量や、お米の状態によって変わっていく。

 

お鍋の前で、台所で聞こえる「音」について、とっても、楽しそうに話してくださる美穂さん。

たしかに、いくつかの料理を平行して作っていると、台所には、いろんな音があふれる。

 

ふきこぼれたり、煮詰まったりするので、沸騰する音や、焦げ付く気配には敏感だけれど、アラームとして感じるだけで、美穂さんのように楽しんでいなかったし、ゆとりのかけらもなかったことに思い当たる。

 

調理中に聞こえてくるさまざまな音は、すぐに耳に蘇ってくる。

音だけで、何を作っているのかわかるほど。

 

美穂さんは、その音たちの中にいて、それぞれの音を聞き分け、引き出し、ハーモニーを操る指揮者のように見えた。

 

(キッチン・オーケストラ)

 

という言葉が浮かんで、わくわくする。

 

昔は、火を起こすのも、かまどだったから、もっと、たくさんの、今では聞くことができなくなった音を、女性は聴き分けて、火と、水と、風の中心にいたのではないかと、思う。

 

かまどにも、お台所にも神様がいて、家の中には、たくさんの神様がいて、太陽の下で土を耕し、水を汲み、集落の女性たちと笑い、循環の中に在る女性によって、その家の命が育まれ、継がれていったのだと感じる。

 

***

 

おかゆがたきあがったら、木べらで混ぜるという行程がある。

これも、みんなで順番に混ぜた。

 

このとき、つながる場所は、ハートではなく、下腹部。

丹田のあたりなのだろうか。

私の場合は、つながるよりもなによりも、まず、その中に入ることができないという関門が。

 

(入ろうとしても、弾力のあるバリアみたいなものがとりまいている感じ)

 

美穂さんは、ずっと下腹部のポイントにふれてくださっていた。

和さんは、背中や、知らないうちに力が入っている下あごをゆるめてくださっていた。

 

そうしているうちに、入れなかった場所に、ぽんって入っていた。

 

(安心で、安全で、こわくない場所)

 

こんなところにあったのだ、と思った。

木べらで、炊きあがったおかゆのなべをかきまわすとき、「もう、好きなように、楽しくやっていいから」って言ってくださった。

 

お米を洗うときも。

おかゆをまぜるときも。

子どもみたいなままで。

 

(頭であれこれ考えないで)

 

***

 

さつまいもをすりおろすのは、まるいおろし器。

 

(くるくると渦が生れる)

 

これも、みんなの手で。

 

(十人の女性の手)

(それぞれのハートや、からだの大切な場所からつながるエネルギーが、ミキの中へ)

 

できあがったミキは、みんなで分けて持ち帰らせてくださった。

「分け御魂」という言葉が浮かぶ。

 

(美しく、唯一無二の、かけがえのないもの)

 

自宅で、発酵を見守る。

発酵が始まると、泡が出てくるそうだ。

 

****

 

(撮影:大橋和さん)

 

昼食は、美穂さんが用意してくださった、玄米ごはんと、おみそしると、ミキを使った和え物が二種類と、うめぼし。

 

和え物は、オレンジと緑の色どりが美しい。

にんじんと、菜の花だ。

 

(撮影:大橋和さん)

 

にんじんには、桜の花の塩漬けがトッピングされていて、季節感たっぷり。

しっかりして甘いにんじんと、やわらかなほろ苦さに春を感じる菜の花。

 

(食べ物は、いのち)

(いただくまで、生きている)

(いただいてからも、生きている)

 

そのように接するのも、接しないのも、作る人や、食べる人の在り方によることに、気がつく。

 

美穂さんは、米子から大阪に向かう日に、契約されている農家さんに寄って、材料をそろえてくださったそうだ。

 

土から抜いたばかりのものたち。

 

根菜をみると、思い出す言葉がある。

 

「どんなにいびつでも、でこぼこでも、土に抱かれていた形なんだよ」

 

田舎に住む友人の言葉だ。

耕された畑ではなく、山に自生する芋の仲間だったから、掘り出されたそのかたちは、いびつで、ごつごつしていた。

 

だけど、それは「土に抱かれていた形」

 

美穂さんが用意してくださった、心づくしの品々も、土から生まれたものだ。

玄米も、にんじんも、菜の花も、もとは小さな種

太陽の光を浴び、風に吹かれ、雨に打たれ、人の手によって育てられ、収穫されたもの。

 

どのように育てられたものかを、美穂さんは大切にされていて、それを届けてくださった。

 

噛むたびに、「滋味あふれる」という言葉が浮かぶ。

 

(輪になっていただける幸福)

(その場に在ることの幸福)

(春分という特別な日の幸福)

 

美穂さんは、ミキつくりのいくつもの過程で、参加したひとりひとりのからだにふれ、瞬時に伝わってくるものを翻訳して伝えてくださり、サポートしつづけてくださった。

 

ヒツキアメツチの学びの中で、みなさんを感じてこられた和さんの言葉は、その背景を知らない私にも、宝物のように感じた。

 

(その場に、ずっといられたこと)

(すぐ、かたくなったり、無意識にとじていたりするたびに、和さんが手を添えてくださったこと)

(おなべをまわすとき、自分では見えない、自分の外面の変化も、いっしょにいる人たちが、あたたかく見守ってくださったこと)

 

(できあがっていくミキには、そのすべての瞬間が、手を通して、木べらを通して、音を通して、渦を通して、仕込まれている)

 

****

 

「忘れないうちに、作ってくださいね」

 

そう言って、レシピと、ミキつくりの材料をお土産にくださった。

今回と同じお米が1キロと、必要な量のさつまいも。

 

(撮影:大橋和さん)

 

ミキは、「誰かといっしょに創りたい」と思った。

たとえば、娘。

たとえば、共鳴しあえる人。

 

和さん、美穂さん、ご一緒したみなさんへ、心からの感謝を。

 

最後のイメージワークで、受けとったイメージは、虹のひかり

ミキの発酵を見守ります。

 

 

 

浜田えみな。

 

山根美穂さん Remind & Essence Lotus

 

 

大橋和さん ヒツキアメツチHP