冥界に下るとは、心の深層に向き合うこと。

冥界に下るのは、誰かに認められるためではなく、女性性の本質を余すことなく体験し、本能的で在るため。

 

二つのサイドが統合されると、循環のシステムに入る。

冥界に下ることは、統合によって、本当の自分に生まれ変わる旅へのイニシエーション。

 

(本文より)

 

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モーリーン・マードックの「ヒロインの旅」に書かれた「イナンナの冥界下り」の章を読んで、激しく心に残ったことが二つある。

 

一つは、地上における栄華と権威を誇示するものを身に着け、たったひとりで冥界に降りてきた「天と地の女神イナンナ」を、七つの門で全てはがして丸裸にし、怒りと憎悪と嫉妬に燃える、ダークな眼力で瞬殺した「冥界の女王エレシュキガル」が、自身も苦しみはじめ、痛みに倒れて唸っているとき、イナンナを救うために地上から降りてきた「二人の小さな精霊」が、まるで鏡のような「共感力」で、エレシュキガルの悲しみを映し、感じ、表現したこと

共感を得たエレシュキガルが、深い痛みを受け入れ、永年に渡る恐ろしい怒りが解けたこと

 

もう一つは、身代わりを差し出すことを命じられたイナンナが、身代わり探しの旅の果てに「夫ドゥムジ」を差し出したものの、愛する夫の死を嘆き悲しみ、その慟哭を聴いた「ドゥムジの姉ゲシュティンアンナ」が、自分が身代わりになると申し出て、一年の半分を冥界で過ごすことになる。

 

そこに書かれていた言葉。

 

〈彼女は自ら冥界に赴き、生贄の連鎖に終止符を打った。彼女は誰も責めなかったからだ〉

 

本文を転載する。(読みにくさを回避するため、改行しています)

 

「ゲシュティンアンナは心が厚く謙虚で、犠牲を意識できる賢い女だ。

下降・上昇・下降のサイクルに耐える強さがあり、深い女性性も、自身の男性性も知っている。

新しい女性性のあり方だ。

彼女は「人間として個人として苦しみに向き合おうとする。女神の力を存分に表している」 

彼女は自ら冥界に赴き、生贄の連鎖に終止符を打った。彼女は誰も責めなかったからだ。

 

ゲシュティンアンナは現代のヒロインについて多くを教えてくれる。

彼女が冥界に下るのは誰かに認められるためでなく、女性の本質を余すことなく体験するためだ。光は強さや勇気、生きることを教えてくれる。

闇は死や苦しみの意味を教えてくれる。

闇に入れば本能的になる。

ゲシュティンアンナは闇を受け入れ、円環的な叡智の変化を受け入れる。

 

(モーリーン・マードック著 フィルムアート社 『ヒロインの旅』P160 後ろから4行目~P161より転載)

 

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冥界は「感情・女性性・潜在意識・インナーチャイルド・闇……等」の世界。

地上は「理性・男性性・顕在意識・大人の自分・光……等」の世界。

 

「感情・女性性・潜在意識・インナーチャイルド・闇……」を「理性・男性性・顕在意識・大人の自分・光……」で抑え込み、支配しようとすればどうなるかを、「イナンナの冥界下り」は教えてくれる。

 

その解決方法は、水の神エンキが作りだした2体の精霊が教えてくれる。

 

〈鏡のような共感力〉

 

何度も繰り返す〈生贄の連鎖〉に、終止符を打つ方法は、ゲシュティンアンナが教えてくれる。

 

〈闇を受け入れ、円環的な叡智の変化を受け入れる〉

〈誰も責めない〉

 

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この文章を読んだとき、日本神話に記されている「海の神の怒りを鎮め、愛する夫を救うために、入水する(冥界に下る)おとたちばなひめ」のことを、思い出した。

 

おとたちばなひめは、やまとたけるから受けた愛に包まれ、愛の中で、海に沈んでいく。

 

(誰も責めていない)

 

海神の怒りは解け、嵐が静まり、生贄の連鎖に終止符が打たれた。

 

「イナンナの冥界下り」を知って、山下弘司先生から学んでいる「和のひめ」たちが、どんどん深まっていく。

 

12ひめ神の「ひめむすび」というセッションは、自分の中にある女性性を、それを象徴しているひめ神とむすんで、ひらいていくプロセス。

 

日本神話に登場するひめ神は、「冥界下りのイニシエーションを伝えている」

そのことに気がついて、はっとする。

 

いざなみは、火の神を出産し、文字通り冥界に下る。

そこで出会うのは、隠しようもない、抑えようもない、だだもれの、いざなぎ(男性性・顕在意識)といざなみ(女性性・潜在意識)の感情のバトル。

 

そのバトルを和解に導くのは、日本書紀に登場するくくりひめだ。

くくりひめが話した言葉は「白事」とだけ書かれている。

これまで、私は、「白の言葉」というのは「いざなみの本当の気持ち」だと思っていた。

いざなぎに対しての罵詈雑言を詫び、怒りや悲しみや寂しさの底にある、真の愛を伝えたのだと。

 

でも、「イナンナの冥界下り」の精霊のエピソードを知り、いざなみといざなぎ、双方への「共感」を表した言葉ではないかと想像する。

 

ただ、共感されること。感情に寄り添ってもらうこと。

そのことによる、深い癒しと解放。

 

あまてらすは、ただひとり天岩戸に入ることによって、冥界に下る。

いちきしまひめは、冥界(胎内)から出ていくために臍の緒を切る。

あめのうずめは、闇の中で笑い、踊り続ける。

おおげつひめは、すさのおによって殺され、冥界に下り、再生と循環のサイクルに入る。

くしなだひめは、櫛に形を変えて冥界に下る。

すせりひめは、何もかも捨てて、父すさのおの支配から脱し、おおくにぬしを大王にしたあと、他国のひめへの嫉妬という冥界に下る。

このはなさくやひめは、火中出産という冥界に下る。

いわながひめは、妹と二人で嫁ぐが、ただひとり戻され、冥界に下る。

たまよりひめは、何もかも捨てて、海から陸という冥界に下る。

くくりひめは、実態を持たないという冥界にいる。

おとたちばなひめは、海神の怒りを鎮めるために入水して、冥界に下る。

 

〈誰も責めない〉

 

このことによって、生贄の連鎖が終わり、すべての力が自分に戻ってくるのを、「イナンナの冥界下り」神話体験のワークショップで体感した。

 

12ひめカードの「あまてらす」の背中には、小さな羽がたくさん。

冥界下りから浮上するときの羽だと感じる。

 

冥界に下るとは、心の深層に向き合うこと。

冥界に下るのは、誰かに認められるためではなく、女性性の本質を余すことなく体験し、本能的で在るため。

二つのサイドが統合され、循環のシステムに入る。

冥界に下ることは、統合によって、ほんとうの自分に生まれ変わる旅へのイニシエーション。

 

 

 

冥界に下る前と、冥界から出た後のイナンナが違うように。

岩戸に入る前と出た後のあまてらすが違うように。

すさのおに殺される前と死後のからだから衣食住を満たす種が芽生えたおおげつひめが違うように。

 

顕在意識、現実世界、男性性を象徴するイナンナ(またはイザナギ、またはコノハナサクヤヒメ)と、潜在意識、心の世界、女性性を象徴するエレシュキガル(またはイザナミ、またはイワナガヒメ)

 

これまで、日本神話に登場する男神と女神は、男女を象徴していると思っていた。

 

ひめとの約束を絶対に守らない男神。

役割を果たさない男神。

自分の保身ばかりを考えて、ひめをないがしろにする男神。

 

顕在意識と潜在意識だと考えたらどうだろう?

大人意識とインナーチャイルドだと考えたらどうだろう?

自分の中にある二つのサイドだと考えたらどうだろう?

 

どちらかだけでは、完全になれない。

二つのサイドの統合により、どんなにパワフルな循環と創造が生まれるのか。

 

神話が教えてくれる。

 

浜田えみな

 

ヒロインの旅 ~イナンナの冥界くだり~

 

 

 

イナンナの冥界下り 神話体験 ワークショップ