満月でも、新月でもない、赤い月。

体験したことのない赤い月は、満ちることも欠けることもない、存在の輪郭。

 

マヤの暦で、私は「赤い月」

その存在を体感する。

 

************

 

職場から帰路に着き、自宅最寄り駅のホームで見上げた月。

 

 

(ああ、満月。まんまるだ)

 

と思った。

 

改札を出て、家までの道を歩きながら、ふと見上げたら

 

 

(まんまるじゃない!)

 

思わず、立ち止まって、目をこらす。

どう見ても、左下が少し欠けている。

 

朝からチェックして、「始まりは18時9分」だと記憶していたのに、少し早い気がする。

大阪だから、少し早くなるのかもしれない。

歩いている間にも、見上げるたびに、部分月食が進んでいるような気がする。

数分で、肉眼でわかるほど進むことはないと思いながらも、月が動いていることが体感として伝わってくる。

 

(地球の影が投影されていく)

 

この天体ショーを、立ち止まってずっと観ていたいと思った。

 

誰かといっしょに観ていたいな、思った。

飲み物や、食べ物を用意して。

リビングの大きな窓から。

または、縁側から。

 

そんなことを想いながら歩いていると、

 

(歩きながらもいいかも)

 

と思う。

 

どこまでも、月を見上げながら、歩き続ける。

大きな公園の中を。

街路樹が続く舗道を。

波の音が聞こえる浜辺を。

 

(鳥取砂丘とか、素敵!)

 

暗くなった道を歩きながら、妄想が止まらない。

 

(静かな住宅街を……)

 

と思いながら、実家のあるエリアに入ったら、

 

(ぜんぜん、静かじゃない!)

 

「始まったで」

「欠けてるで!」

 

聴こえてくる関西弁。街頭に照らされる人影。

いったい、何人いるのだろう? と思うほど、そこかしこの家の前と、道路に、人がいる。

家族がいる。夫婦がいる。

みなさん、双眼鏡のようなものを持ち、あるいは肉眼で、同様に東の空を仰いでいる。

 

(なんて、平和なのだろう)

 

と、心から思った。

 

実家の向かいにも、ご夫婦の姿がある。

70代後半くらいだろうか。

私が実家にいたころからは、すでに世帯が入れ替わり、自治会が違うので、顔を合わせたことがない。名前も知らなかった。

寒いのに外に立ち、二人並んで月を眺めているお姿。

 

(なんて、健やかなのだろう)

 

と、祈るような気持ちがあふれる。

 

家に帰ると、家族ラインに「月食始まったよ」と、夫がコメントをしている。

ユーチューブのスクリーンショットが張り付けてあり、肉眼ではとても見えない美しさ。

 

調べると、いろんなところでライブ配信がされていることがわかり、アカデミックが大好きな私は、国立天文台のライブを選ぶ。

 

 

アナウンサーかと思うほどの美声で、二人の先生がお話をしてくださる。

「20世紀の天文少年」という言葉に、ふくらむロマン

ほのぼの。

専門的なことも、図を交えて説明してくれる。

ものすごくわかりやすく、見どころを案内してくれて、まったく飽きない。

 

天王星食の前に、遠くにある恒星が、一瞬で、吸い込まれるように月の影に隠れる瞬間も見ることができ、ドキドキ。

それに対して、天王星は月の輪郭にふれてから、完全に見えなくなるまで、13秒ほど

 

 

天王星の大きさ。月が動いていること。

ライブで、リアルに、その瞬間に立ち会えて、心臓がバクバク。

 

月の影から姿を現す瞬間も体感したくて、3時間近く、最後まで観てしまう。

 

 

そのあいだに、2階の部屋から、双眼鏡をのぞいて、大阪の月を観る。

 

 

ライブ映像は、東京の国立天文台三鷹キャンパスから、岩手県奥州市水沢の観測所、沖縄県石垣島天文台、ハワイ観測所を結んで紹介され、月の高さや、食が起こる時間の違いから、地球の表面に横たわる日本列島をイメージできる。

 

 

皆既月食になり、明るい月の光が消えると、いっせいに、まわりの星々が姿を現し始め、特にハワイの空は流れ星だらけ

想いもかけない方向に軌跡を描くリアルな流れ星に、ハートをつかまれる。

その残像。

 

9万人ちかいひとたちがライブを観ていて、「今、この瞬間の想い」を、自由にコメントしている。

すごい速さでスクロールしていくのを、読む。

言葉づかいや内容から、若い人たちのコメントが多い気がする。

小学生の子も観ているようだ。

 

私が感じていることを、同じように感じている、たくさんの声。

解説をしてくださっているお二人の宇宙愛への賞賛。

 

「声に癒される」

「こんな人がおじいちゃんだったらいいな」

「サンタクロースみたい!」

「ほのぼの」

 

などのコメントが続出。

「サンタクロース」というのは、お一人が、白い長いあごひげで、赤いダウンジャケットを着ていらしたからだ。

 

 

(おじいちゃんってー――(笑))

 

と思いながら、いったい、何歳の子たちが観ているのだろうと思いながら、先生たちのプロフィールを調べると、

 

向かって右のおじさんは、山岡 均先生。57歳。

肩書きは、「国立天文台 准教授/天文情報センター長・広報室長

向かって左のおじさんは、渡部 潤一先生。65歳。

肩書きは、「国立天文台 上席教授」

 

 

この日の体験から天文学を志す令和の子供たちもいるだろうと思うと、わくわくする。

長男が「宇宙兄弟」に夢中になり、JAXAに関わりたいと言っていたことを思い出す。

物理が壊滅的だったので、早々にあきらめていたが、宇宙に関わる方法って、あらゆる分野で、いくらでもあると、今なら思う。

 

固定観念をはずす。

信念体系から自由になる、

 

思い込みの枠が外れたら、なんて自由なのだろう。

ひとりで大阪の住宅街を歩きながら、誰かと月を観ることも、どこまでも歩くこととも、砂丘に寝転ぶこともできる。

その気配や、匂いや、湿度や、からだにふれる感覚は、五感以上にリアル。

そんな世界を、私は小さいころから、誰に教えてもらうわけでもなく、行き来している。

物語を読むことや、書くことで。

 

(最強だ)

 

***

 

満ちていく月。

欠けてゆく月。

 

そのときの自分の状況によって、感じることが違う。

 

自分がとてもポジティブなとき。

満ちていく月をイメージすると、しだいに輝きを増す光に、顔が上がり、胸がひらき、口角が上がり、船出に向けて帆を張るように、気持ちがふくらんでいく。

 

欠けていく月をイメージすると、さみしくて、ものがなしくて、置いてきぼりにされるようで、ひきとめたい気持ちで、すがりたくなる。

 

自分がとてもネガティブなとき。

満月の光はまぶしすぎて、うつむいて、たちすくんで、目をそむけて、ひざを抱えたくなる。

 

欠けていく月は、見えない部分で静かに満ちていく力を感じ、深い場所に根が張るように、何かが目覚めていく体感。

発芽も、誕生も、育まれるのは光のない世界。

 

そんな体験をしていた時の、皆既月食

 

白い満月が欠けてゆき、赤い満月が浮かび、再び光が満ちていく。

 

太陽と、地球と、月。

そして、天王星。

 

満月でも、新月でもない、赤い月。

体験したことのない、赤い月は、満ちることも欠けることもない、存在の輪郭。

 

 

マヤの暦で、私は「赤い月」

その存在を体感する。

 

一部始終を観ることができた夜。

 

浜田えみな

 

国立天文台ライブ