圧倒的な静けさの中にいるのに、何かを感じる。

巨大な磁場に立っているように、何かが身体をかすめて、動いている気配を感じる。

 

(この感覚を、どう表現したらよいのだろう?)

 

ずっと考えていて、

 

(夢の中だ)

 

と思いあたる。

 

(本文より)

 

◆リーフレットは、ひらかない

◆夢の中

 

*************

 

◆リーフレットは、ひらかない

 

大野寺から室生山上公園芸術の森まで、裕子ちゃんのスマホナビと、道路に次々と現れる標識や看板に導かれて、登っていく高揚感。

 

山に抱かれた広い駐車場に車を停めると、入り口らしきガラス張りの明るい建物が見える。

 

券売機で入場券を買って、受付のおばさんに渡すと、引き換えに、蛇腹に折られた施設案内のリーフレットをくれる。

 

展開すると、園内全景と、公園内に点在するアートの名前と説明が詳細に書かれている。

私は、もともと、こういうものは隅々まで読み、内容を把握してから鑑賞するタイプだけど、裕子ちゃんといると、そういうことはどうでもよくなってくる。

 

建物は、天窓からの光が差し込み、とても明るく、白い椅子と机が並べられていて、休憩することもできる。

壁には、園内で撮影されたと思われる季節の光景や、花や、生き物の写真が展示され、大きなカエルの写真もあり、こんなのがいるんだねぇと、裕子ちゃんに話しかけながら、進んでいく。

 

リーフレットは、ひらかない。

 

公園は広く、遠くまで見晴らせ、迷子になることもない。

アートは、存在している。

名前や由来を知っても知らなくても、在る。

 

見たまま、感じたまま。

見る順番とかが、あるかもしれないけど、宇宙に任せる。

 

裕子ちゃんといると、そんな自分になっている。

 

◆夢の中

 

 

 

 

 

建物を出ると、そこに広がるのは、

 

山。草。広。静。整。清。

 

奥まった室生の山の中に、整備されたグリーン。

山上公園という隕石が落ちたように、まわりに抱かれ、溶け込んでいる不思議な空間。

 

圧倒的な静けさの中にいるのに、何かを感じる。

巨大な磁場に立っているように、何かが身体をかすめて、動いている気配を感じる。

 

(この感覚を、どう表現したらよいのだろう?)

 

ずっと考えていて、

 

(夢の中だ)

 

と思いあたる。

 

現実の世界ではありえないことでも、夢の世界では、当然のように受け入れて、違和感のない状況。

特殊な世界観の中で、なにもかも全肯定で進んでいくストーリー。

夢の中の出来事のような場所。

 

うすぐもりの空も。

人工的に整地され、手入れが行き届いた芝生のあざやかなグリーンも。

それをとりかこんでそびえる、昔からの山々も。

 

(日常の中に現れた非日常)

(巨大なアートの夢の中にいる)

 

意図すれば、どこにでも行けそうな気がする。

そんなアートが、いたるところにある。

不思議なものが、ちらばっている。

 

裕子ちゃんは、さっそく木のうろにぽっかり空いた穴をのぞきこんでいる。

不思議の国のアリスの世界。

 

 

 

 

「これは何?」

 

というものがたくさん。

 

 

 

 

自然のままでは、絶対に存在しないものなのに、調和して感じられるのはなぜだろう。

 

室生の山奥に、いきなり出現しているこの平地は、地滑り対策のために整地された跡地を利用した公園とのこと。

 

人と自然が共存するために創られたものだから、すべてがなじんで共鳴しているのかもしれない。

 

作品は、イスラエルの彫刻家 ダニ・カラヴァン氏によるものだそうだ。

帰宅してからひらいたリーフレットには、

 

「自分の作品は、その場に立って、歩いて、触って、嗅いで、耳を傾けて初めて本当にわかってもらえるものだ」

 

という言葉が載せられている。

 

そのとおり、裕子ちゃんと私は、歩いて、降りて、触って。

不思議なアートを、てんけん三昧。

 

てんけんしているときは、なんだろうなあと言いながら、登ったり下りたりのぞいたり。

 

 

 

あとでリーフレットを見ると、鉄橋のようだと思ったゲートは、奈良から伊勢へと重要な寺社仏閣(伊勢神宮・斎宮跡・三輪山・室生寺・長谷寺・箸塚古墳など)をつなぎ、古代の太陽信仰にもつながっているのではと言われる北緯34度32分の「太陽の道」を視覚化したものだと書いてあり、びっくり。

 

広い公園地には、私たちのほかには、小さな子どもを連れた三人家族の姿が見えるだけ。

はしゃいでいる様子なのに、声はきこえず、まるで蜃気楼のように、視界から消え、また、現れる。

 

(思いきり……)

 

走り回りたいような、歌いたいような、寝転がりたいような、できないような。

 

 

 

(圧倒的な静けさの中にいるのに、何かを感じる)

(巨大な磁場に立っているように、何かが身体をかすめて、動いている気配を感じる)

 

その気配が、ずっと消えない。

山の中なのに、空が突き抜けている。

みえないなにかがあり、とてつもないどこかに、つながっている通路のよう。

 

 

林の中に入っていく遊歩道を歩くと、ふわふわの感触がとても気持ちいい。

自然と調和した色合いと質感が持つものとして、間伐材などの木質チップと樹脂材を混合して作られた、特別な歩道用の舗装材だそうだ。

 

幻想的な林に足を踏み入れていく感覚は、わくわくする。

 

 

 

くもり空で日が差さないので、まだ、朝露が残っているような、みずみずしさ。

 

 

 

 

 

かわいらしいコケ。

ハート型の葉。

真っ赤なへびいちご。

しゃがみこんで、カメラを構えていたら、裕子ちゃんに写真を撮られていた。

 

 

公園内には、売店も休憩所もない。

一番大きな池(マップには「第1の湖」と記されている)のまわりには、観覧席があるので、そこでお昼にする。おにぎりや、どらやきや、裕子ちゃんの実家からおくられてきた桃のコンポートや、ナッツ。

 

 

 

すぐ目の前には、木がこんもり植えてある小さな島がある。

その向こうには、ピラミッドの島がみえる。

 

どこからか、低音の鳴き声が響いている。

 

「ウシガエル?」

「写真あったもんね」

「いるんだね」

 

姿は見えないけれど、どこかで鳴いている。

ウシガエルは、卵も、オタマジャクシも、大きいのだろうと思った。

 

裕子ちゃんが、ピアスに目を留めてくれたので、

 

「そうだよー。裕子ちゃんが、これからのえみなさんに、連れていきたい服かものを身に着けてきてねって言ったから、つけてきたんだよ」

 

と、外して見せていたら、アクアレムリアの中に、湖が、そっくり逆向きに映っている。

 

「いいね!」

 

と言って、裕子ちゃんが写真を撮ってくれた。

 

 

今日、翼を描いてもらうために、ここにいる。

 

浜田えみな

 

つづきます。次はいよいよ、お絵描きタイム♪

 

前回までのてんけん

 

 

次回のてんけん

 

 

 

旅する絵描き 木の葉堂 白澤裕子さんのHP

 

 

過去のてんけん隊ブログ