OSHO禅タロットと出逢って十年ほどになる。
師が定期的に開催してくださるリーディングセッションに参加した。
5月は2枚引き。
「5月のテーマ」と意図して、2枚引いた。
カードを見たとき、胸がすくような思いがした。
望んでいることを、カードが代わりにやってくれた感じ。
(打ち破りたい!)
そういう衝動が、ずっと身体の中にある。
続いて2枚目。
このカードも、ずっと私の中にある望み。
***
「破壊と創造」
開口一番の師の言葉だ。
「なくなったら、何かが始まるのかもね」
「創造性」のカードを見ると、自分の中に表現することの歓びが、むくむくと湧き起こるのを感じる。
そして、いつのまにか、美化されている。
芸術的なものに。
他者から評価を受ける価値のあるものに。
師は、「創造性のカードは、日常をていねいに生きること」だと教えてくれた。
「だけど、多くの人は、〈創造性〉とは、〈芸術的〉=〈価値あるもの〉=〈他人が評価してくれるものでなければならない〉と、とらえがち」だと。
私を縛っているのは、まさにその点だった。
幼いころ、日常を彩っていた「創造性」は、日記を書いたり、作文を書いたり、ペンのむくままに落書きをしていることで、ただ、楽しくてしかたがなかった。
それなのに、どうして、「職業」になるほどのクオリティがなければダメだと、思いこんでしまったのだろう。
なぜ、人から認められるものでなければ、やる価値がないと、決めつけてしまったのだろう。
人からどう見られるかを、こんなに気にしているのだろう。
「盆栽」のことが思い浮かんだ。
父は、盆栽が好きで、庭には、いったいいつ作ったものかわからない、たくさんの盆栽がある。
子どものころは、父の盆栽に興味などなく、介護のために実家に戻ってからも、まじまじと眺めたことがなかった。
ところが、一ヶ月ほど前から「朝活」を始め、早朝の庭に出るようになり、植物を眺めているうちに、ふと、盆栽に巻き付いている針金に気がついた。

鑑賞用の価値を付加するために、伸びたいように伸びる力を、針金で抑えられ、ねじまげられ、誘導され、固定されている。

(根っこから盛り上がってくる、はみだしたい気持ち)
人からの評価に応えるため、もっと、針金をきつく巻くのか?
人からの評価に応えるという針金をはずし、評価に生きることをやめるのか?

鑑賞用として価値ある形にするために、針金を巻かれて抑制された枝。
その枝の太さに、「本当はどんな形になりたかったのか」と、その根に問いたくなった。
自分のやりたいことを、他人の評価に委ねていることが、この盆栽だとわかり、解き放ちたいのは、この針金だと思った。
ただ、そのままに伸びていく形が、「創造性」であること。

盆栽やめます。

浜田えみな
ソウルコーチ養成コース受講中です。
