(成仏させたい!!)

 

〈だれか、わたしの『手のような雨』を成仏させてください〉。

 

***

 

『ドラえもん』に登場するジャイアンは、聞くに堪えない拷問レベルの音痴なのに、そのことが見えていなくて、自身の歌を空き地で披露する「ジャイアンリサイタル」に、同級生を強制参加させている。

 

〈わたし、すごい。わたし、うまい。見て! 聴いて! ほめて!〉

 

この経験が大事なのだと、スピリチュアル・プロフェッショナル養成講座の最終日に、本郷綜海さんがおっしゃった。

 

このことを聴いたとき、過去に私が行ったジャイアンリサイタルのあれこれが、絵巻物が転がるように、流れでてきた。

 

(わたし、ジャイアンだった!)

 

最初の記憶は、小学2年生のときだ。短い物語を小さなノートに書き綴り、大人の人(主に先生)に見せまくっていた。

どんな話を書いていたのか思い出せないが、ジャイアンのように、自信満々だったと思う。

ほめられて、さらに調子に乗って、毎日書いていた。

 

その後も、あれもこれもといろいろあるが、わたし史上最高のジャイアンリサイタルは、短歌だと思う。

 

短歌など創ったこともないのに、初めて創った短歌をほめてもらって、調子に乗った。

 

***

 

突然、短歌に目覚め、毎日、歌を詠み、処女歌?から半年後の誕生日には、五十歳記念のミニ歌集『手のような雨』を創った。

 

自分で撮影した写真と短歌を組み合わせ、編集し、出逢った人たちへの感謝をこめて、フェイスブックで告知し、欲しいと言ってくださった人に送付した。(ジャイアン!)

 

その年の9月に開催される「文学フリマin大阪」に参加することを決め、増刷した。(ジャイアン!)

 

4月から短歌の会に入り、歌会に参加するようになった。(ジャイアン!)

 

仲間たちとフリマに参加し、短歌みくじや、グッズを作って販売した。(ジャイアン!)
 

『手のような雨』も、ダメもとで置いてみたところ、買ってくださるかたがいて、目の前で、自分の作品が売れていくのを観るという体験ができた。(ジャイアン!)

 

ところが、理由は忘れたが、文学フリマには出なかった。(インナージャイアン?)

 

短歌が創れなくなり、短歌の会もカルチャースクールもやめた。(インナージャイアン?)

 

(在庫)

 

何冊残っているのだろう。

 

父の介護のため実家に単身赴任中なので確認できないが、数十冊は残っていると思う。

 

ぎっしりと『手のような雨』が入っている箱を見るたびに、いたたまれない気持ちになり、胸がうずく。
 

それが、文学フリマに出なかったことからなのか、短歌から離れたことからなのか、よく考えもせずフライングしたことへの自戒なのか、販売するという機会を避けたことからなのかは、わからない。おそらく、すべて少しずつ、うずいていて、それが、短歌以外のことにもつながっていると感じる。

 

しかも、当時はビビッドで美しい色をしていたが、そもそも、家庭用のフォトブックなので、創ってから五年以上経つと、写真の風合いが落ちていることに気づいて、がっかり。

時機を逃すことへのうずき。

 

ああ……。

 

(成仏させたい!!)

 

再び、ジャイアンリサイタルを発動し、もらってほしいとお願いすれば、お嫁入先は見つかるかもしれないが、それでは成仏できないだろう、と思った。

 

「無料という名の傲慢さ」こそが、最も成仏させたいうずきの一つではないかと感じるからだ。

 

物々交換はどうだろう?

そのかたのジャイアンリサイタルの産物との交換。

 

あたたかな循環!

 

〈だれか、わたしの『手のような雨』を成仏させてください〉

 

そんなお願いを、落ち着いたらしてみよう。

 

ということを思いながら、目をつぶって、ページをひらいてみたら、こんな歌が載っていた。

 

***

 

〈リトルミィ〉

 

誰でもない 私は私に参加する 優勝しよう 努力賞じゃなく

 

宇宙では またたきひとつ なんもかんも そうだよやばい もう負ける気がしない

 

バケの皮 はいでみようか その下に隠れた私と今、逢いたい

 

“やりきった”なんてありえない うそぶいて満たされたふりをすることの罪

 

今だれを演じていますか その役は何度目ですか『はだかの王様』

 

いい人をやめたい夜のリトルミィ 貫きたいからその表情(かお)貸して

 

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内なるマグマとつながって

〈じぶん温泉かけ流し〉

浜田えみな

スピプロ10期