アッパーリミット現象だと感じたことにコミットして、勇気を出して進んでみると、思いもかけないことが起こった。

 

私にとっては、苦手で苦手で、どうやったらいいのかもわからなくて、途方にくれていたことが、ある人にとっては、とても簡単なことだった。


「丸投げしてね」と言ってもらえた。


悩んでいたことが、一瞬で、ノープロブレム。

 

(やったことがない。苦手。できない)

 

という、私の能力は変わらないけれど、リミットの境界線が、さしのべられた手によって、あいまいになり、つまりは、領域がひろがっていることに気がついた。

 

 

〈ひとしずくであることを静かに手放したら、どこまでも拡がる波紋に乗る〉

 

OSHO禅タロットの水の8 「手放し」のカードを見るたびに、思うことばだ。

蓮の葉の上の、今にも落ちそうなひとしずく。

落ちないよう、ひとしずくでありつづけようと、がんばって、がんばって、持ちこたえているが、ついに、池に向かって落ちていく。

 

すると、何が起こったか。

 

ひとしずくは、ひとしずくではなく、池全体になりました……という寓話だ。

 

このカードのひとしずくのことを、私はずっと「エゴ」のことだと思っていた。

 

でも、〈ひとしずくの表面張力を、アッパーリミットと考えることもできる〉と感じた。

 

自分が考える限界なんて、ひとしずくだったのだ。

限界を超える怖さなんて、ひとしずくにすぎなかったのだ。

 

ひとしずくを手放したら、池にもなれる。湖にもなれる。川にもなれる。滝にもなれる。海にもなれる。

 

サレンダーという言葉を、本郷綜海さんの講座で、初めて知った。


サレンダーって、〈ひとしずくを手放して、もっと大きな波紋に乗ること〉だったのだと、感じることができた。


大きな波紋とは、仲間。

 

リミットはひとりでは超えられない。


出逢いに、心からの愛と感謝を。

 

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内なるマグマとつながって

〈じぶん温泉かけ流し〉

浜田えみな

#スピプロ10