何をやるために生まれてきたのか、ずっと知りたいと思っていた。
やらないままにはできないと、かなり本気で思っている。
すると、世界が動き始めた。
あらがえない渦に、引き寄せられ、飛び込んでいる。
6月から、ひめ神カードにふれ始めた。
ひめ神が象徴しているのは、魂レベルでのいのちの循環と、女性性だ。
守られ、育まれ、愛された記憶と、存在だけで愛を与えていた記憶。
これまで体験したことのなかった、生まれる前の記憶にさえ、つながることができた。
それは、自己存在の圧倒的な承認と肯定だった。
いちばん苦手で、その前に立つこともしなかった扉を、ひめ神カードは、簡単にはずしてしまう。そうと気づかないうちに、すでにその中に招かれている。
ずっと硬くて、冷たくて、ブラックホールのような感覚だった、第3チャクラのあたりが、やわらかく、ひろく、豊かになっているのだ。
(いつのまに!?)
すると、こんなことが起こった。
なぜ、生まれてきたのか。
ちゃんと知っていた自分のことを、思い出したのだ。
***
私が、何かをするときにブレーキになっているもの。それは、
「できなかったら、恥ずかしい」
「まちがえたら、恥ずかしい」
「笑われる。ばかにされる」
という気持ち。
その気持ちが芽生えたきっかけとして、明確に覚えている体験がある。
小学5年生の時だ。
国語で「大造じいさんとガン」という作品を習い、作者の椋鳩十のほかのお話を知っているかという質問に、私は勢いよく手をあげて、先生にあててもらい、
「『むくどりのゆめ』」
と、自信満々に答えたのだ。
先生に、「あれ?」と言われ、かーーーーっと顔が熱くなり、心臓がバクバクして、頭がぐらぐらした。
すぐに、『月の輪グマ』と言い直したけれど、とっさに〈むく〉という言葉で連想したタイトルが口から出てしまったみっともなさ、自信満々で手をあげたのに、みんなの前で〈まちがえた〉という恥ずかしさ、〈ばかにされたにちがいない〉という記憶は、ずっと残った。
教室の風景と、自分では見えるはずのない、自信たっぷりに発言したドヤ顔。
間違えたとわかって、まっ赤になって、焦っている情けない姿。
『むくどりのゆめ』という、間違っているなんて、1ミリも思っていない、自分の声。
(なのに、まちがえた)
それらが、鮮やかに記憶されていて、五十年近くもの間、折にふれて、幾度もリアルに蘇えり、ブレーキをかける。
(みっともない)
その体験から、〈まちがうことの恐怖〉、〈人前で発表することの恐怖〉、〈自信を持つことの恐怖〉が生まれたのだと思う。
***
先日、
「それって、ほかの人が覚えていると思う? 先生や、教室の友だちが、今もまだ、椋鳩十の作品名を間違えた子のことを、覚えてばかにしていると思う?」
と言われた。
ほかの人にとっては、次の授業では、忘れてしまうくらいの出来事だと思った。
誰も覚えていないことに、私は、五十年近く、ずっと、とらわれていたのだ。
「そういう気持ちがなかった時のこと、思い出せる?」
と言われて、恥ずかしいとか、笑われるとかいう気持ちを、持っていなかったころの自分を思い出してみた。
かわいいとか、スタイルがいいとか、そういう劣等感もない、無邪気で、無敵で、無防備だった自分を、さかのぼってみると……
小学2年生のころだとわかった。
すると、そのころやっていたことが、蘇ってきた。
本を読むことが好きだったので、自分でもお話を書く人になりたいと思い、毎日、小さなノートに書いていた。
人に見せることにためらいがなく、いろんな人に読んでもらっていた。
毎晩、寝る前に、布団の中で、妹と交代で物語を作っていた。
そのことを思い出したとき、
(知ってたんや)
と思った。
あのころ、毎日、書いていた。
気がついたら、やっていた。
(知っていた!)
魂が望むことを知っていた。
そのことに、どうしようもなく、心がふるえた。
ジャッジがそれを邪魔してきたこと。
わかった瞬間、からだの中に電流が走った。
思わず、近くにあった座卓の脚をにぎりしめた。
泣いたら泣けるのだろうか。
こういうときは、泣くといいのだろうか。
わからないまま、泣かないことを選んで、必死で心を落ち着かせていた。
それでも、ものすごいエネルギーが、からだからあふれていることがわかった。
わかっていたのに、ないものにしてきたことを、とりもどす。
***
自分に嘘をついたときのことを覚えている。
小学校の卒業文集は、『将来の夢』という作文だった。
本当に書きたかったことを書かなかった。
実現できなかったら、恥ずかしいと思ったからだ。
嘘の作文を書いたことが、トゲのように、チクチクと、ずっと刺さっている。
もう一度、書いてみよう。
小学2年生の気持ちで。
***
せっかくなので、ひめ神カードをひいてみた。
くくりひめは、古事記には登場せず、日本書紀に一度だけ登場する。
いざなぎといざなみのすさまじい口論を、いざなぎにある言葉を伝えることで収め、仲を取り持つひめ神として。
何を言ったのかは、「白事」とあるのみで、それ以上、何も書かれていない。
(白の言葉とは?)
山下弘司先生は、「白の言葉」を、「本音」「本当の気持ち」だと教えてくださった。
現代でも、「白状」「自白」「告白」という言葉が表すように、「白」は、心の中にある真実を表している。
〈心の中にある、偽りのない真実を伝える力〉
それが、くくりひめからのメッセージだと感じた。
白の言葉で、卒業文集のリベンジをしよう。
浜田えみな
