ひめ神カード講座ベーシックの後半のひめ神のワークで、〈存在だけで、傍にいる人に愛を与えた〉というワードを見たとたん、

 

〈名前のことだま®だ〉

 

と思った。

 

何もできない自分でも、何もしなくても、ただ、名前を呼ばれるだけで、呼んでくれた人に、自分のことだまの力をプレゼントできると知ったとき、人前に出ることや、名前を告げることが、苦手ではなくなった。
 

伝えるものを持つことの歓びを知った。


山下弘司先生から「名前のことだま®」を学び、その世界観を知ったことで、人生が大きく変わったと思う。

 

名前のことだま®は、肯定の世界だから、どんなことも、希望で始まり、歓びで終わるのだが、それでは解決できないものは、対処しない限り、残っているのだろうと、思うのだ。

 

たとえば、生まれる前のワークなら、いつでも、どこでも、なんどでも、私はその場所にグラウンディングできる。

でも、生まれてからのワークができない。

入っていけない。

 

(なぜ?)

 

ものごころがつく前の、記憶などない時期のことなのに。

生まれる前のワークと同じく、想像するだけでよいのに。

 

(どうしてだろう?)

 

そういうこともあるのだと思った。

ひめカード講座を受けながら、ずっと〈ひめセラピー〉だと感じていたし、カード占いではなく〈カウンセリング〉的な要素があるとも教えていただいた。

 

となれば、ワークに対して、抵抗やブロックが生じてしまう場合もあるのではないかと、感じる。

無理、とか、やりたくない、とか、入っていけない、とか、もやがかかる、とか。

 

そういうときは、どうすればいいかというと、

 

(そうなんや)

 

と、言ってあげたらいいのだと思う。

 

***

 

今、いろんなセラピーや、ヒーリング、リーディングのセッションがあふれている。


私も、いくつか学んでいるけれど、平行してセッションをしていると、相乗効果で気づきが深まったり、壁を破る突破口になったりするように感じる。


それとも、解放のタイミングだから、いっせいにほどけていくのか。

 

ひめむすびワークで、生まれる前からの回想をしていたせいか、ハートメディテーションをしているときに、とつぜん、小さなころの母との会話のシーンが蘇ってきた。

 

私を出産して、初めて対面したときの母の感想なのだが、ひとことで言えば、〈かわいくなかった〉というもの。

 

「赤ちゃんは、色が白くて、ピンク色で、ぽっちゃりしていると思っていたら、一か月早く生まれているから、小さくて、やせてて、色が黒くて、目がぎょろぎょろしていて、思っていたのと、ぜんぜんちがってて、いやー、かわいくないー、どうしようって思った」

 

対して、妹のときは、

 

「とりあげてくれた看護婦さんが、この子、エクボあるーって言ってくれて、色が白くて、ぽっちゃりしてて、ピンク色で、赤ちゃん! っていう感じで、かわいかったー」

 

これまで、あまり意識したことはなかったのだが、あらためて、母のこの言葉が、私にとって、けっこうな闇になっていたのかもしれないと思った。


たとえば、美醜に対するコンプレックスが大きいこととか、妹に対して勝ち負け的なモノサシを持ってしまうこととか。

 

このとき、私のこともかわいいと言ってくれていたら、顔に対するコンプレックスは持たなかったろうか?

私と妹の立場が逆だったら、妹に対して、勝ち負けでジャッジすることはなかっただろうか?

 

(どうだろう?)

 

だけど、もし、そうだとしたら。

そんなことで、五十数年間、〈かわいくない〉という呪縛にとらわれていたとしたら。

 

むしょうに、笑いがこみあげてきた。


難産の末、やっとの想いで出産した我が子が、夢に描いたプリティなベビーではなく、目を疑うような、みすぼらしい赤ちゃんだった母の衝撃と落胆。
かわいそうだけど、笑える。


何の悪気もなく、ありのままを伝えた母の言葉に、勝手に呪いをかけられた私。
ばかすぎて、笑える。

 

なんだかもう、(笑うしかないやん?)

 

笑うという衝動がとまらなかったのだが、その笑いが引くと、一瞬、さみしくなって、それを覆い隠すように、猛烈に怒りが湧いてきた。

 

そんなことを言った母に。

笑いながら、私に伝えた母に。

妹と比較した母に。

妹はかわいいと言った母に。

そんなことにとらわれていた自分に。

 

怒りの底に、また別の感情があると知っていて、それを見に行く気にはなれなかった。

 

見に行かなくていい。

排除しなくていい。

ひとつになればいい。

ハートの光でヒーリングすればいい。

 

そうとわかっていても、ただそこにあるものを、遠巻きにしている。

 

近づいたらいいのか、なかったことにしたらいいのか、わからなかった。

 

(入っていってもいいの?)

 

そこにあることを認めたことが、あなたにとって、すごい進歩なんだと言われて、なるほどそうかと思った。

 

(さて、どうしよう?)

(どんなふうに、近づこう?)

 

どうしようかと思っていたら、OSHO禅タロットのグループリーディングに参加する機会があったので、カードに聴いてみることにした。

 

その体験は次の投稿で。

 

浜田えみな