ひめ神カード講座のひめむすびセッション。
後半のひめ神の回想療法は、〈自己愛〉と〈自己肯定感〉とつながっているのかもしれないと思った。
前半のひめ神は、生まれる前にそそがれていた愛。受け取っていた愛。包まれていた愛。
目をとじるだけで、その気持ちに共鳴することができた。
自分の体験として、グラウンディングすることができた。
だけど、後半のひめ神には、グラウンディングできない。
靄がかかったように、近づけない。
後半のひめ神は、自分が、そうと気づかず、まわりに与えていた愛。ふりまいていた愛。魅了していた愛。
何も変えなくても、そのままの自分で、相手を笑顔にすることができたであろう、あれこれを、ひめ神カードは、象徴している。
(なぜだろう? 抵抗を感じる)
目をとじて、思い起こそうとしても、自分の体験として同化する前に、フィルターがかかる。
ひめ神が手招きをする扉の向こうに、行けずにいる。
そんな自分を感じている。
〈自分の存在が、両親に笑顔を与えた〉
そのシーンを想像しようとするだけで、靄がかかる。
抵抗しているエネルギーを感じる。
(罪悪感?)
(なんに対して?)
***
ひめ神カードは、カウンセリングだという。
クライアントさんにとって、葛藤や抵抗が生まれ、セッションが進まないような、深い内容にふれることも、あると思う。
さて、私は、どうなのか。
シェアしようとして書き始めたら、
「前半の回想にはなくて、後半の回想で登場するのが、名前だ!」
という内容になってしまった。
(なぜ?)
想いもよらない展開だったが、それはそれとして、納得できた。
自分の名前を呼ぶ両親のことを、回想できたから。
さまざまなシーンで、名前を呼ばれていたことに、気がついたから。
それはそれとして。
ハートメディテーションをした。
私の根源のトラウマは、いったい、なんだろうかと。
その体験は、次の投稿で。
つづく
浜田えみな
